気功のひろば

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2020.01.18

めぐりのよい身体と社会

1/17、京都キャンパスプラザで、
経済政策の専門家、田中信一郎さんの講演を聞いてきました。

関西立憲経済女子同友会主催の『政権交代が必要なのは、総理が嫌いだからじゃない
 私たちが人口減少、経済成熟、気候変動に対応するために』(現代書林)刊行記念講演会。
後半は立憲民主党代表の枝野幸男さんがちょうど神戸からの帰路に立ち寄られ、
質問を受けながらお二人の対談となりました。

田中さんのお話は1時間。
「日本は今、急激な人口減少という有史以来経験したことのない社会現象に遭遇している。
2008年をピークに60万人ずつ、毎年、船橋市一つ分の人口が減っている。
なんの手も打たずに今の政治や社会状況が続いたら、少子化がさらに進み、
100年後には日本の人口は4000万人台まで減少してしまう。
ということが、国土交通白書を見ると一目瞭然。…」

その原因を、非正規を増やしてきた政策、縦割の社会体制などに見て、
「根本からの改革、つまり
全く新しいビジョンを持った政党によるパラダイムシフトが必要な時期」と。

大きな公共事業や、大企業が利益を上げれば景気がよくなってみんな豊かになる、というのは、
人口が増加し、経済規模を拡大していけた時代のモデル。
「全体が豊かになればみんなが豊かになる」と言えば、一見正しく見えますが、
大企業の利益は過去最大なのに実質賃金は下がり、
単純にお金が大企業へ動いただけで、生活は豊かになっていないので、
現状に合わず、うまくいかないモデルと言えます。

そうではなくて、
末端が活性化して有機的につながりあい、地域で利益を循環させて、地域も経済も豊かになる。
そうした新しいモデルは、タケノコのように自然発生しているけれど、
本質的な経済政策につながることを理解できる人もまだ少ない。
けれど旧態依然のままでは限界で、人々が自ら動こうと思っても制約が多く、
個人の動きが自由にできない。

この改革はある意味、予算では計れないものがあるでしょう。
ある場所に予算を投入して活性化させ、大きなお金の流れを作るのではなく、
むしろ、人々が自由に活動するための制約や障壁になっているものを取り除き、
お互いの活動がつながりやすい法や仕組みを整備していく。

こうした流れは、今後一気に進んでいくと私は思っています。
なぜならば。

講演と対談を聞いていて、「これは、体の末梢循環と似ているな」と思いました。

メインポンプの心臓だけをいくら丈夫にできたとしても、
末梢の循環が悪くなっていると、
血圧が上がったり、冷え性になったり、脳卒中になったりと、
いろんな障害が出てきてうまくいかない。

それよりむしろ、ほっとおちついて、体がゆるんでいくと、
すみずみまで気血やリンパの循環がよくなり、
心臓の負担も減るため、ゆとりを持って楽に働くようになるので、
血行障害や冷えも改善しやすくなります。

これが、大手術や筋力トレーニングを頑張るなどの
大変なことかというと、そうでもなく、
時々目を休めて温めるとか、
休憩になったら、ふーっとゆっくり息を吐くとか、
自分の体にちょっと目を向けてケアするようになると、
早い人はその場で、たいていは一週間ほどで、
体のめぐりが変わってきます。

身体は生命体ですから、
より快適に生きようとする能力が元から備わっています。
だから、内なる生命力そのものに目を向けて、過剰な意識や頑張りを手放すだけで、
体はどんどん変わっていくのです。

社会というのも人の集まりですから、
有機的な生命体と言えます。
社会が本来持っている、気持ちよくみんなで生きていこうとする力、
いわば「社会的な生命力」に目を向け、
その働きを阻害しているような制度や慣習をなくし、
「経済政策」という名のもとに続けられてきた、特別な誰かや組織への優遇という
不毛な努力を手放していくことで、
社会の健康化は意外なほどスムーズに進んでいくだろうと思います。

これは私が、一人一人の体を見ている実感で、
社会もそうだろうと思うからです。

こうした社会変革ががもし、政権交代で実現すれば、
静かな革命がおこります。

大きな闘争もなく、派手な鳴物もない。
でも確実に、根本のところから流れが変わっていく。

生命原理を土台とした、めぐりのよい社会へと。

1.17、阪神淡路大震災から25年。
大きな犠牲があり、たくさんの貴重な命が失われましたが、
そこから、みんなが自発的に助け合うボランティア活動や
NPOという動き方が広がっていきました。

私たち気功協会も、その一端を担うNPOとして、
心を新たにして活動していきたいと思います。

天野泰司

2020.01.15

季節をめぐる気功

天野の新刊、タイトルが決まりました!

『季節をめぐる気功 ーこの一年で身体が変わる』

近しい方たちにご意見伺ったり、
朝日カルチャー京都「季節の気功」に
来られた方に選んでいただいたり、
(ありがとうございました!)
だんだんに絞られていって
編集の方とご相談し、きのう14日に決まりました。

きのうは、表紙の絵も必要かと緊張していましたが
本文の中の絵を使うことも含めて、
一度デザイナーさんに先に相談することになり
まだ、表紙はこれからです。

あと2回の校正と、表紙の装丁がスムーズに終われば
2月末から3月に、書店に並ぶ予定です。

本文中の挿絵は今回、墨絵だけでなく
細かいものをペンで書いて、
ちょっと楽しくしてみました。

墨絵の原画です。
どこに入ってるか、本ができたら見てみてくださいね !

気功協会の事務所も、6-7月移転する予定で
今度は自宅と事務所がひとつになるのですが
きのうは、自宅1階の細かい図面も
設計の森田徹さんから次々に送られてきて
そのたびに細かい相談。
新刊と並行して、着々と進んでいます。

(純)

2020.01.12

本日です !

どなたでも来ていただける初講座、
「季節の気功」、本日です!

河原町三条、朝日カルチャー京都で13-15時半。
直接カルチャーへお問い合わせください。(純)

2020.01.02

新春

初春のお慶びを申し上げます。
どんなお正月を過ごされていますか。

事務所では、お庭をしてくださっている
よしふみさんが持ってきてくださった、お正月のお花が
日に日に、開いてきています。

きょうは初詣に、近くの吉田神社へ。京大の東、節分で有名ですね。
すいていて、いつも何かよいことがあるのです。
今年は、桧皮葺の檜皮をご寄進。三百円也。
おみくじは「吉」、家移りも吉とのこと。
今年、事務所と自宅の引越を控えているので嬉しい。

ぐるりと上がって、大元宮で全国の神様にお参り。
お伊勢さんの内宮外宮もいらして、効率がよいのです。
二日なので、こちらも並ばずにお参り。
事務所用に、初穂をお受けしました。

宗忠神社でお神酒を受け、
小さなスルメとこぶをいただくと
全身に染み渡るよう。
坂道が凍って、子どもと小さい雪だるまを作ったこともありましたが
今年はあたたかく好天、しかも無人で
心も晴れ晴れ。

まっすぐ真如堂へ抜けて、阿弥陀さまに手を合わせます。
菩提樹の大木があります。咲く頃にまた来たいな。

そのまま自転車を取りに吉田神社へ戻ろうと思っていましたが、
吉田山荘のカフェが、看板が出ている。
初めて入ります。
本館は宮さまのお宅だった建物ですが、
カフェも静かで、ゆっくり。

紅茶に黒豆と、女将さんの書いた子年にちなむ和歌も。
天野せんせいは、おぜんざい。

私のいただいた和歌は、壬生忠見で
正月の「子の日」に野山で宴し、
根のついた松をいただいてくる古い習わしに基づいたもの。
子の日は、根延び。

京都にきて、門松ではなく、根のついた小さな松に水引をかけ
玄関両側につけてらっしゃるのをよく見かけます。
「根引の松」は、ねどしには、より縁起がよいのでしょうか。

ことしは、3月に天野の新刊「季節の気功」が春秋社から出版、
7月頃、事務所移転と変化の年です。
きょうのおだやかさに、
すこやかに進むような気がして、とてもふくよかな気持ちになりました。

本の原稿や会報などが重なったので、
元旦にゆっくりしたり、おせちを一部省略したりしたのもよかったかも。
おかげで、引越しに向けた整理が進みました。

みなさまも、どうぞよい年になさってくださいね !
(純)

2019.12.28

「気功生活」発送しました。

会報「気功生活」の発送と、事務所の大掃除まで
なんと午前中に終わってしまい、協力(強力)メンバーに大感謝。
新刊のゲラも見ていただいて、おいしいごはんに。
あったかで楽しい、アクティブな仕事納めでした。

昨日は、来年夏引越し予定の事務所の
改装プランもぐいっと進んだし、虹も出ていて
多くの方のお力に助けられて、よい年の瀬になりました。

みなさん、ほんとうにありがとうございました。
どうぞよい年をお迎えください。(純)

2019.12.27

創造しつつある精神

The Book of Life
12/27のテーマは、
A Mind in the State of Creation

以下、天野の訳です。
—————-

瞑想とは、
意識が寄せ集めてきた、あらゆるものをなくして
心を空っぽにすることです。

そうすれば、…
そうしたくないでしょうが、
そんなことはかまいません、ただ聞いてください。…

心にとてつもない空間があり、それが自由なのだと気づくでしょう。

ですから、ただ待っているのではなく、
一番始めに自由を希求する必要があります。
最終的に自由を手にするのだと。
仕事の中でも、人間関係でも、すべてのなすことの中に必ず、
自由の重要性を見出そうとしていくのです。
すると、瞑想は創造だと気づくでしょう。

私たちは、創造という言葉を軽々しく口にし、いともたやすく使います。
画家はキャンバスにいくつかの色を落とし、そのことにものすごく興奮します。
それは彼の自己満足であり、自己表現の手段です。
また、お金を稼ぎ名声を得るための商売ですが、彼はそのことを「創造」と言うのです。
画家たちは皆「創造」し、「創造的」画派がいくつもあるといいますが、
それらは「創造」と何ら関係がありません。
ある特定の社会の中で条件づけられた、意識的な反応でしかありません。

私がお話ししている「創造」は、全く別のことです。
心が「創造という状態」になっているということです。

そこに表現はあるかもしれないし、ないかもしれません。
表現ということ自体は、たいして意味のないことです。
創造には何の理由もいらないのです。

創造しつつある精神は、瞬間瞬間に、死し、生き、愛し、ただそこにある。
そのすべてが、瞑想なのです。

2019.12.20

無一物中無尽蔵 〜高野山にて

2019.11.16-17、「禅密高野山合宿」。

西田天香さんの「無一物中無尽蔵」をキーワードに、
弘法大師空海「秘蔵宝鑰」、
劉漢文・禅密功から「陰陽合気法・人部」。
時代の違う3人の共通点に光をあてて、
体を動かすことと、瞑想を中心に深まりある合宿となりました。
最初の講義から、まとめます。(純)

於: 高野山普賢院 話: 天野泰司
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私たちが今学んでいることが、弘法大師やそれ以前のお釈迦さまたちが
やろうとしたこととクロスオーバーしている。
空海は、それまでの仏教のように段階的・間接的でなく、直接本質(秘密の蔵)に入ってしまう、
そのために高野山という場所を選んだ。
私たちはもう秘密の蔵の中にいる。観念してください(笑)。
人は幸せを求めて生きている。それに近づいていく合宿に。

*西田天香さん語録から

・無一物中無尽蔵、有花有月有楼台。
・物そのものは本来誰のものでもない すべて全体のものである
・拝むと云うのは自分をなくするのです。
 自分をなくすると全体が自分である。

・本来自分の物、そんなものがあるはずがないのです。
 無一物にいて祈りに祈る生活が、この上もない無尽蔵の宝を持つ、まことに如意宝珠であります。
・無一物と言うと無尽蔵が隠れ、無尽蔵と言うと無一物が隠れてしまいますが、
 これは見方によって何とでもなることなので、正しく言えば、
 無一物がそのまま無尽蔵であり、無尽蔵がそのまま無一物なのであります。

・自分というものに執われないと全体が一つである、ということがよく分かる。
 この自分というのは、迷いの世界である。
 「元来は一つである」ということを知ったとき、我々の本国を知ったことになる。
・拝んでいないとき、ほんとうに拝んでいることがあるのです。
 力んだり騒ぎ立てたりして拝むことは、仏には通じぬ。静かに自分が仏と一つになるように拝むのです。

・われらは〇の当体に帰ることによって、生死を超えることができる。
・今一番世界で要求していますものは、落ち付いた生活でありましょう。
 それは、思い切って複雑な物を捨てることによってでないとあらわれてまいりませぬ。
 あらゆる点において人類全体が楽しめること、落ち着けること、
 そうしてまた闘争しないような平和な世界を生み出すには、
 極度に単純な、ありのままに帰らなければならぬ。
 そうしたものが一番値打のあるものです。また美しい尊いものです。

天香さんの生き方そのものが、この思想を表す。
何も持たない。所有を完全に捨て、それでいて周囲が助けてくれる。
共鳴した人が集まって山科に一燈園という場ができたが、場も預り物。
年末になると全部置いて路頭に帰り、呼びにきてくれる人があると戻る。
何も持たないことが、全ての力を自分の中に持つことと同じになる。
それを、金銭や物が動くこの世界でやってみせた稀な実践。

今ある宗教は一方でお金を稼ぎ、また教えていく両輪だが
そもそもは、お金も、教えも誰のものでもない。
その原点に還ると執着を捨てやすくなる。
「私」が執着の源。

「陰陽合気法・人部」の瞑想も同じで、
自分が色濃くある状態では瞑想はうまくいきにくい。
自分というものをなくしても大丈夫なんだ、と最初に知っておくと
瞑想がはかどる。秘密の蔵に直接入る準備。
色んなものを持ちながらでは遠回りになる。

*空海「秘蔵宝鑰」

「秘蔵宝鑰」は空海の主な著書のひとつ。
ちくま学芸文庫「空海コレクション1」がわかりやすい。

序が有名、文章が詩的で美しい。
・・牛頭 草をなめて病者を悲しみ
 断し車をあやつって迷方をあわれむ
 三界の狂人は狂せることを知らず
 四生の盲者は盲なることをしらず
 生まれ生まれ生まれ生まれ 生の始めに暗く
 死に死に死に死んで 死の終わりに冥し

「生死、輪廻を巡って闇の中をさまよっていることを皆気付かない。
私は教えてくれる師があった、迷いから抜け出してください」ということを言っている。
空海は、すべてをかけてそれをやろうとした。

実際のやりかたの書かれている部分。
「十住心論」の10番目に、
空海が唐の恵果阿闍梨からいただいてきた密教について書いている。

・・凡ゆ伽観行を修習する人は当に須く具に
三密の行を修して五相成身の義を証悟すべし。
いうところの三密とは、一に身密とは契印を結んで
聖衆を召請するが如き、これなり。

二には語密とは密かに真言を誦して文句をして
了了分明ならしめて誤謬なきが如きなり。
三には意密とはゆ伽に住して白浄月の円満に相応し、
菩提心を観ずるが如きなり。
次に五相成身を明かさば、一にはこれ通達心、
二にはこれ成菩提心、三にはこれ金剛心、
四にはこれ金剛身、五にはこれ無上菩提を証して
金剛堅固の身を獲るなり。然れどもこの五相、
具に備うれば、方に本尊の身と成る。
その円明はすなわち普賢の身なり。
またこれ普賢の心なり。十方の諸仏とこれ同じ。
またすなわち三世の修行、証に前後あれども、
達悟に及び已んぬれば去来今なし。
凡人の心は合蓮華の如く、仏心は満月の如し。
この観、もし成ずれば、十方国土のもしは浄、もしは穢、
六道の含識、三乗の行位、及び三世の国土の成壊、
衆生の業の差別、菩薩の因地の行相、三世の諸仏、
ことごとく中に於て現じ、本尊の身を証して
普賢の一切の行願を満足す。
故に『大毘盧遮那経』にいわく、「かくの如く真実心は
故仏の宣説したもうところなり。」と。・・・

具体的なやりかたのエッセンス。
月輪を観想する阿字観の後半、光の瞑想。
三密相応(身=手印(体を使う)、口=真言、意=イメージ、仏の光と一体になる)は
「陰陽合気法・人部」の瞑想ととても近く、おそらく源流が同じではないか。

空海は唐の時代、西安で法を授かって戻ってきた。
日本からゆく時は学生僧、帰ってくる時には膨大な教えと共に「虚往実帰」。
行く前の修行で直接感じるものがあって、行くとそれが体系だって詳しく書かれたものがあり、
そのまま全部受け取ることができたのではないか。

阿字観の「あ」は、存在の否定、ない・空という意味。

・・(本文より)本来金剛薩埵である私たち。日輪と月輪の観想によって照見した本来の心は、
静かで清らか、満月の光が虚空に満ちるようで、知覚や思慮を離れた真理の世界。
観想は悟りの知恵の実践、生きとし生けるものはすべて普賢菩薩の心を持っている。
満月の丸くて明るい形は悟りを求める心と似ている。・・

ここはちょうど普賢院。
「みんなの中にもともとある賢さは平で清らか、まん丸な白い光のようなもの」。
空海のいう、それを実際に禅密の瞑想でもやっていく。
禅密では「先天に戻る」「逆行の道」という。
今回「秘蔵宝鑰」を読んでみて、
禅密の瞑想は高野山の瞑想体系ととても近いことがよくわかった。
うまく伝わっていない実践の部分を、
私たちは幸い、よく学ぶことができている。

[実習・肩の荷がおりる気功 変形版]

*禅密と性

禅密は、性の働きをうまく使っていく。
今まで受け取ってきた性にまつわるタブー感、嫌な感じ、情報をクリアにすることが大切、
そうすると直接そのエネルギーを使えるようになる。

真言宗では理趣経をよく唱える。
最初の部分に、性の喜びは仏の境地、日常の出来事全ては仏の境地であると細かく書かれているが、
そうして、観念を塗り替えることが必要な時がある。
本来の純粋さを取り戻すことが大切。

生活すべてが仏の境地。例えば赤ちゃんの存在もそうだし、
野生の動物が狩をして他の動物を食べていることも、あっと思うが動物自身はそう考えていない。
残酷、と思うのは私たちのなかに残酷さがあるから。

これから使っていく性的な力は、手垢のつきやすいものだが
「これも仏の境地」と思っていただくとたやすく外せると思う。

禅密ではまず密処の感覚をつくっていく、体の中に火を灯していくことで動いていく。
それが光になったり、円相になったりするもの。
簡単なことがいちばんいいので、おちつく気功をやりながら禅密の感覚を織り交ぜていこう。

[実習・心がおちつく やさしい気功 禅密版]
肉中肉・密処の気感をもちながら手をなでる。
背骨を自然に動かしながら、顔をなでる。慧目が開く。(後略)

[実習・陰陽合気法・天地部]
劉漢文先生は単純明快、
「深刻に一生懸命やらないと気なんて動いてこないんじゃないか」というような思い込みを
見事に崩してくる。もともと天地と一体な訳だから、
わざわざ天地と一体になるために、一生懸命なのはおかしなこと。
あれこれ考えるのではなく、天然の只中に入っているような感じならok。
そうでないと、観念を崩していくことも必要になってくる。

(阿字観の図をさして)阿字を見て、このまるい光に一体化していく。
「あ」は空、そうだと思ったら違う。
般若心経にも二重否定がたくさん出てくるが、こうだと思っていることは怪しいと思って。
光と一体になっているような感覚がふっと出てきたら、いい瞑想になっている。

・・・一に身密とは契印を結んで聖衆を召請するが如き、これなり。
二には語密とは密かに真言を誦して文句をして
了了分明ならしめて誤謬なきが如きなり。
三には意密とはゆ伽に住して白浄月の円満に相応し、
菩提心を観ずるが如きなり。・・

禅密はシンプル、太陽なら太陽、月なら月、星なら星の光を観想してひとつになる。
宇宙との一体化すなわち仏になることを意味している。

ゆ伽は身体的な工夫をしていくこと。ひとつの教えのくくり。
ゆ伽密、無上ゆ伽密の段階があるが、禅密は無上ゆ伽密の直接体験の道しるべ。
意密がメインになる。

[実習・陰陽合気法・人部の前半]
(純)

2019.12.20

気功の学校2020 〆切間近

年間クラス「気功の学校」、新年1/5から
新しく始まります。

1-3月は心身の変化が大きい大切な時期なので、月2回
4月からは第一日曜日で、12月まで。

再受講生も新入生も
様々な経験や知識をよこにおいて、ゼロに戻る新鮮さ。
「自然が先生」というフラットな間柄。
「気持ち良い方に動く」という操体法の原理が、生活を気持ちよいほうへ
自ずと導いていって
毎回の講座はもとより、一年経つ頃には、なんだか笑顔が増えていることでしょう。

担任・天野の新刊が出たり、
事務所の移転など、新しい気配がすぐ伝わるのもメリット。
どうぞ心身を整えに、いらしてください。

昨今は皆さんお忙しいかなと思い、
受付期間を開講ぎりぎりまで延ばしました。が
事務局もこれから
会報「気功生活」作成が大詰めにかかりますので
お早めに、申し込みいただけたらありがたいです。

天野の教室に出たことがある方が優先ですが、
それぞれ、様々な思いやつながりをおもちなので
どうぞ願書をこちらから、送ってみてください。

おまちしています。ありがとうございます。
(純)

2019.12.13

明日 今年の最終講です。

気功と整体・入門編〜やさしい呼吸法
2019/12/14(土)15:30~17:30
於・朝日カルチャーセンター芦屋・天野泰司

息が変わると、体が変わります。
生命活動の基本は、呼吸の「緊張と弛緩」のリズム。
息を整えることで、大脳が深くリラックスし
体の元気を引き出すことができます。
呼吸のいちばん基本から
疲労回復や体質改善の方法まで、
順々に学びを深めていきましょう。

⭐️今年の最終講座。心身の大掃除に !
どなたでもお越しいただけます。
1月からの「気功の学校」新規の方もぜひ。

申し込みは朝日カルチャーへ、
着替えは不要、動きやすい普段着でどうぞ。(純)

2019.11.30

高野山へ

11/16-17、「禅密高野山合宿」25名で、高野山へ。
前回2013年だったので、6年ぶり、宿坊は同じ普賢院です。

前日、準備をしつつランチにいった北白川・カフェグリル猫町(おいしい)、
ふと見ると、窓際に
禅密功を晩年に教えていただいた故・劉漢文先生を
一回り小さく、日本人にしたような方が。
短い髪に眼鏡、長袖のポロシャツ・・。
まだ高野山にいくという実感がなかったのですが、やはり行くんだ、と。

先に行かれていた方から「マイナス2度」など伺っていたので、
かなり寒いかと用心し、みなさんにもお知らせしたりしましたが
幸い6度ほども高く、好天に恵まれました。

寒暖差が大きかったためか、紅葉が最高に鮮やか。

以前と比べて、グループで来る外国客がかなり多く
ケーブルに乗り切れず、臨時便が来たのには驚きました。

ケーブル駅から普賢院さんまでのバスに乗り込んだものの、やはり混みこみ、
早めに着いている必要のある私達、
これは着いてもお昼が食べられないかもと、下りて駅前に一件だけある食堂に飛び込み、
バスはあきらめてタクシーへ。
運転手さんから
「海外の人はほとんど泊まって、翌朝早く出て次の場所へ行かれる」と伺えて
朝はすいている、とわかりました。

お寺に入ってしまえば一転、静かな時間に。
普賢院さんの室内やお風呂はきれいに改装され、寒さ対策もなされて
部屋には事前にエアコンを入れてくださるなど、心配りもありがたく、
快適度がかなりアップ。

講座1。
広い和室がありがたい。各所に般若心経の額やお軸。
空海の思想、西田天香さんの「無一物中無尽蔵」、禅密の「人天合一」。
それぞれの共通点、そしてやさしい気功の実習、禅密は陰陽合気法・天地部と人部を中心に。
心地よくまた深い内容です。

精進料理の夕食は、前回よりおばんざい的な感じ。
作る方が変わられたのかな。
お風呂はみな「あったかーい」と嬉しそう。。

講座2。
野口晴哉先生のメソッドから「穴追い」など。ゆるんで就寝。

朝のおつとめ。本堂がいっぱいなのは
四国巡礼を終えた方の、お礼参りが多かった模様。
幸い前方に座り、御簾ごしに
きのうの講座で出てきた理趣経を読まれているのを間近で。

地下の仏舎利を見せていただき、オンマニペメホンとマニ車を回す。
ネパールから陸路で、シルクロード経由で持ち帰ってこられた由、
聖地のお砂ふみも。
朝食があたたかく、終えて散歩、なんとも清々しい。

弘法大師が中国から、法を広める場を求めて
法具の三鈷を投げ、この松の枝にかかったとされる「三鈷の松」。
松葉が二葉ではなく、三葉なのも不思議。

静かな、その辺りでのびのびと朝の気功。
空海が伝えたのと同じ頃の、古い密教を源流にする禅密功。
なかなかない貴重な時間です。

戻って講座3。
陰陽合気法・人部を深めます。

充実の合宿でした。
終えてからもよい風邪をひき、さまざまリセットになりました。
みなさんありがとうございました。(純)

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