気功のひろば

ブログ

2019.06.29

憎しみを打ち砕くために

The Book of Life
6/29のテーマは、
To Destroy Hate

以下、天野の訳です。
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憎しみに満ちた世界が、今、その報いを受けつつあります。
この憎悪の世界は、親や祖先、そして私たちによって作られてきたものです。
つまり、無知が無限の過去につながっているのです。

憎悪の世界は自然に生じたものではありません。
人間の無知、歴史的なプロセスの産物なのではないでしょうか。
私たち個人は、先祖やそのまた祖先と一緒になって、
この、憎しみ、恐れ、貪欲といったプロセスを進行させてきました。

そして今、その憎しみに満ちた世界を共有しています。
一人一人が、その世界の中にひたり続けている限りは。

世界は、あなた自身の延長です。
もし、あなた個人が憎しみを打ち砕こうと欲するなら、
あなた自身が、憎しみを終焉させなければなりません。
憎しみを断つためには、憎しみの全て、その微妙な痕跡に至るまで、
その全部から離れなければなりません。

しかし、もし憎しみの中に囚われているのなら、
あなたは、無知と恐れの世界の一部なのです。
つまり、世界はあなたが拡大したものです。
あなた自身が複製され、広がっているのです。

世界は、個人と切り離しては存在しません。
観念として、国家、組織としてこの世界が存在するのかもしれませんが、
その考えを実行したり、
国家機能やその組織や教団の機能を働かせるためには、
個々人の存在は不可欠です。
個人の無知、貪欲、そして恐れが、
無知、貪欲、憎しみの仕組みを維持させるのです。

一人の変化で、世界に影響を与えられるでしょうか。
この憎悪の世界に、無知に…。

思慮がなく、無知、憎しみ、貪欲に囚われているかぎりは、
世界はあなた自身の影としてあり続けます。
でも、真剣にそこから離れようとし、注意深く考え、気づいているのならば、
苦しみや悲しみを作り出す忌まわしい原因から離れるのみならず、
その悟りの中には、完全性、全体性が存在するのです。

2019.05.02

人生において感情はどう振る舞うのか

The Book of Life
5/2のテーマは、
Waht Role Has Emotion in Life?

以下、天野の訳です。
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喜怒哀楽の感情は、どうして生じるのでしょうか。
とても単純です。
刺激に応じて、神経が働いて生じます。
あなたが私を針で刺すと、私は飛び上がります。
おだてれば喜びます。
侮辱すれば、いやな感情がおこります。
刺激、感覚を通じて感情が生じるのです。

そして、ほとんどの方は、快楽の感情に動かされています。
明らかに、そうですね。
ヒンドゥー教徒だと認められると嬉しい。
だからそのグループや教団に所属しようとし、
伝統に染まろうとします。たとえ古びたものであっても。
ギータ、ウパニシャッド、まるで高い山のような古い伝統を好むようになります。
ムスリムの方は、また同様に好むものがあるでしょう。
私たちの感情は、刺激や環境や、その他のものに応じて生じる。
それは明らかです。

生きていく中で、感情にはどんな役割があるのでしょうか。
感情イコール人生ですか?
わかりますか。
快楽=愛でしょうか。欲望は、愛ですか。
もし、感情=愛だとしたら、そこにはいつも変化が含まれます。
そうでしょう、よくわかっていらっしゃいますね。

感情や感傷、熱狂、いい気持ち、その他全ての感情は、
本当の愛情や思いやりとは、
何がどうあろうと、まったく関係ないことに
はっきり目覚めなくてはなりません。

すべての感傷や感情は、思考と結びついているので、
快楽や苦しみを生み出します。

愛に苦しみも悲しみもありません。
愛は、快楽や欲望の産物ではないからです。

2019.05.01

純粋さにあふれた心

The Book of Life
5/1のテーマは
A Mind Rich with Innocence

以下、天野の訳です。

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真理は、本当の神は・・
人が作り出した神ではありませんよ、
真の神は、
破された、つまらない、上辺だけの、狭い、限定されたような心を望んではいないのです。

心には、本当の価値を感じられる健康さ、豊かさが必要です。
知識でいっぱいなのではなく、純粋さに溢れている心、
経験という傷跡が全くない、時間からも自由な心が必要なのです。

あなたたちが自分のなぐさめのために作った神は、人を責め、苦しめることを認めています。
心が鈍り、退屈になっていくことも認めています。
しかし真実のものは、そんなことを望んではいません。

「真のものたち」が望んでいるのは、まるごとの、そのまま全部の人間です。
心は満たされ、豊かで、澄んでいて、
ぱっと燃えあがることができ、
木の美しさや、子どもの微笑みや、
満足な食事もできていない女性の苦悩もそのままに見ることができる。

この類い稀なる感覚、
あらゆるものに対する敏感さを持つのです。
動物に対して、壁を歩いていく猫に対して、
卑しさや、汚さや、
貧困や失意の中にある人の醜さに対しても。

敏感であることは、燃え盛る感覚を持つことです。
ある特定のことに対してではなく、
その場限りの、あったりなかったりする情動でもなく、
あなたの神経を働かせ、
目で、体で、耳で、そして声で感じていくのです。

どんな時もずっと、完全に敏感であるのです。
もしそうでなければ、そこには何の知性もありません。
知性は、敏感さと観察力によって生じるものです。

2019.03.18

私とは、私が所有しているもの

The Book of Life
3/18のテーマは
We Are That Which We Posess

以下、天野の訳です。

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人と人、人とモノが「つながっている」ことを理解するには、
そのままを受け取るような気づきがどうしても必要です。

そうした気づきは、自然な縁を壊さないばかりか
あらゆる縁を生き生きとした、より意義深いものにしてくれます。
そんな関係性の中にこそ、本当の愛があり得るのです。

そこには単なる感傷でも、うわべの感覚でもない、暖かさや親密な感覚があります。
そうした縁の中に入り、ただ中にあることができれば、
私たちの様々な問題は、どんなことでも容易に解消していくでしょう。
財産の問題、所有の問題もです。
私たちが所有しているものがすなわち、私たちだからです。

お金を所有しているのなら、その人はお金です。
財産を持ち、それを「自分のもの」と思っていれば、その財産なのです。
あるいは家や家具なのです。
観念や他者もまた同様です。

何らかの所有ということがあるのなら、
そこには何のつながり(縁)もありません。
ところがほとんどの方は所有します。
所有ということがないと、他に何もないからです。

何も持たなかったら、私たちはもぬけの殻です。
家具や音楽や知識や、
あれやこれやで生活をいっぱいにしなければ、空っぽなのです。
この殻は、たくさんの騒音を生み出します。
私たちはその騒音のことを生活と呼び、それと共にあることに満足しています。

そして、何らかの破壊が生じ、生活が崩れ去った時、悲しみが生じます。
急に、何の意味も持たない空洞の殻になってしまったと気づくからです。

ですから、
つながり、縁に含まれているものの全てに気づく、これが行うべきことなのです。
そこから、本当のつながり(縁)が可能となります。

そのとてつもない深淵さや、重要性を発見し、
愛とは何かを知っていく道が拓けてくるのです。

2019.02.27

とらわれからの自由

The Book of Life
2/27のテーマは
Freedom from Occupation

以下 天野の訳です。

_________________

心は過去から、
思考から自由になるでしょうか。
良い思考や悪い思考、といった意味ではありません。

どうしたら自由がみつかりますか?
それは、心がどんなことでいっぱいなのかを見ることによってのみ、
わかるでしょう。

もし、心が良いこと、あるいは悪いことに占められているのなら、
過去に関わることで、心が過去に占められてしまっているのです。
これでは過去から自由ではありません。

重要なのは、心のありようです。
少しでも何かに関心を持っている時には、いつも過去にとらわれています。
意識の全ては過去です。
ほんの表層から最も高いレベルまで、全て過去です。
そして、無意識のストレスもまた過去なのです。

このとらわれから自由になることができるでしょうか。
心が、何ものにも占められることなく、
記憶、思考、良いことや悪いことなどが、
何かを選ぶということもなく、そのままに流れている。
そういうことが可能でしょうか。

心があることにとらわれたその瞬間に、
それが良いことであれ、悪いことであれ、過去に関わっています。

もし本当に聴くのなら、ただ言葉の意味としてだけではなく、
とても深く深く聴くのなら、
心に左右されない、不変の安らぎを見つけることでしょう。
それが過去からの自由です。

でも、過去をどこかへやってしまうことはどうしてもできません。
過去を自ずと流れていくものとして眺めて、過去にとらわれていない。
すると、心は監視から自由で、何を選択することもありません。

この、記憶の川の流れから何かを選び取ることで、関心が生じ、
心が何かに占められたとたん、心は過去に捕まってしまいます。

そして、心が過去に占められているなら、
ありのままの状態に気づき、
ほんとうのものに出会い、
新しい何かを発見し、元々の光を見て、
純粋無垢なことがらに出会うことなどできないのです。

2019.01.03

言葉のノイズを超えて

The Book of Life
1/3のテーマは
Beyond the Noise of Words

以下、天野の訳です。
————————–

聴くことは芸術的な技能であり。
簡単に獲得できる能力ではありません。
しかし、その聴くということの中に、
美しさと、素晴らしい覚醒があります。

私たちはそれぞれのあり方に応じて
様々な深さの聴き方をしますが、
いつも先入観というものを伴って聴いています。
あるいは、ある特別な観点から聴いています。

シンプルに、ただ聴くということがなく、
思考、結論、偏見といったスクリーンが
いつも間に入っている状態で聴いているのです。

聴くということには、内的な静けさが必要です。
何かを求めようとする努力からの自由。
リラックスした中の集中。

この注意深く、しかも受動的な状態が、
言語的な結論の向こうにあるものを聞き取ることを可能にします。

言葉は混乱を招きます。
言語は、表面的なコミニュケーションの手段に過ぎません。

言語的な錯乱を超えて通じ合うには、
注意深く受動的に聴いている状態になければなりません。
愛に生きている方々は、そのように聴いているでしょう。
しかしそうした聴き方をしている方は、ごく稀です。
大部分の方は、結果の後に、ゴールに到達した後にと、
永遠に乗り越えようとし、力づくで得ようとする。
だから、聴くということがないのです。

ただ聴いているときにだけ、
言葉の奥に響いている歌が聴こえてくるのです。

2018.12.06

新しい世界を創造する

The Book of Life
12/6のテーマは、
Create a New World

以下、天野の訳です。

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新しい世界を創り出すのなら。

新しい文明、新しい芸術、
何もかもが新しいもの。
伝統、恐れや野心に染まらないものを創り出すには……。

あなたのものでも、私のものでもある、
誰のものでもない何かを創り出すのなら……。

新しい社会を、一緒に。
私もあなたもなく、私たちがある。
そこでは、思考や意識が働くことは決してなく、
完全に誰のものでもない。

それはつまり「ただ独り」ということですね。
違いますか。

そこでは、協調や統一、世間的な体裁への反逆がなくてはなりません。

いわゆるきちんとしている人とは、人並みに生きている人です。
つまり、何かを求めている。

自分の幸せの益になるかどうか、
周りの人が何を考えているか、
先生が何を考えているか、
バガヴァッド・ギーターが、ウパニシャッドが、
あるいは聖書やキリストが何と言っているのか。
そうしたことに基づいて生きているのです。

そうした心に、ただひとりということは決してありません。
独りで歩くことは決してなく、
いつも誰か友人を連れて歩く。
思考の伴侶をともなって歩くのです。

とても大切なのは、
気づいて、はっきり見ることではないでしょうか。
干渉や影響の重要性を、
「私を確立する」ということ、
それは、「ただ独り」とは正反対であることを。
そうではありませんか。

その全てがはっきり見えると、
こんな問いがどうしても生じてくるでしょう。

影響されない心の状態を、瞬時に持つことができるだろうか。
私個人の経験にも、他の誰かの経験にも影響されない心、
腐敗することのない心、
すなわち、「ただ独り」ということを。

それによって、異なった世界や文化、社会ができ、
その中で、「幸せ」ということが可能になるのです。

2018.11.07

人生の目的

The Book of Life
11/7のテーマは、
Life’s Purpose

以下、天野の訳です。

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人生の目的を与えてくれる人は多くいるけれど、
彼らが教えてくれるのは、様々な聖典にどう書いてあるか、ということでしょう。

頭のいい人々は、「人生の目的」という答えを次々に導き出すでしょう。
政治的なグループはある目的を、
宗教的なグループもまた別の目的を持ち、
その他の人たちもまた同様です。

それでは、あなたの人生の目的は何ですか。
自分が混乱している時に、「生きる目的は何だろう」と問うのは、
混乱のただ中で、何としても答えを見つけなければと期待するからです。
でも、混乱した中で、どうやって本当の答えを見つけられるでしょうか。
わかりますか。
自分が混乱していたら、同じく混乱した答えしか見つからないのです。

もし、私の心が混乱し、悩みでいっぱいで、美しくも静かでもないとしたら、
どのような答えを見つけても、
混乱や不安や恐れといったスクリーンを通しているので
歪んだ回答になってしまうのです。

ですから、大切なのは「生きる目的とは」「なぜ生きているのか」と問うことではなく、
自らの内の、混乱をクリアにすることです。

それは、盲目の人が「光とは何ですか」と問うことと似ています。
もし私が、光とは何かを説明したとすると、
彼は盲目で暗闇の中にいる体験を通じて私の話を聞くでしょう。
けれど、もし彼の目が見えたとしたら、
「光とは何か」とは、決して問わないでしょう。
それは、そこにあるのです。

同様に、もしあなたの内の混乱が澄みわたるならば、
「人生とは何か」という答えがわかるでしょう。
もう、問う必要も、見つけようとする必要もありません。
あなたがなすべきことは、混乱をもたらす原因から
自由になることだけなのです。

2018.10.10

選択のない気づき

The Book of Life
10/10のテーマは
This Choiceless Awareness

以下、天野の訳です。

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偉大なるリーダーたちは、経験を積みなさいと常に教え諭してきました。
経験が理解を生むのだと。
しかし、純真な心、
過去から完全に自由であり、経験によって曇っていない心だけが、
真実とは何かを感受することができます。

ほんの短い瞬間でも、この事実をわかり、感じ取るなら、
無垢な心の、とてつもない透明さを知ることになるでしょう。

これは、蓄積した記憶の固い覆いが剥がれ落ちることを意味しています。
それは、過去を捨て去ることです。

どのように? という疑問は、感知とともになくなります。
その疑問に気をそらしてはいけません。

解答を求めようとしてはならないのです。
もし求めたら、注意深い心が失われてしまいます。

始めにお話したように、始まりの中に終わりがあります。
始まりの中に、私たちが悲しみと呼ぶものを終わらせる種があるのです。

悲しみの終りは、悲しみの中で発見されます。
悲しみから逃げようとするのではありません。
悲しみから離れようとするのは、単に答えを見つけ、
結論や、避難場所を見つけようとすることです。
しかし、悲しみは続いていきます。

そうではなく、全ての注意を集めて、
全存在を持って集中するのなら、
あなたは、直に答えを受け取るでしょう。

そこには、時間というものも含まれていないし、
なんの努力も葛藤もありません。
この選択の余地のない気づきこそが、悲しみに終止符を打つのです。

2018.09.09

意識は過去のもの

The Book of Life
9/9のテーマは
Consciousness Is of the Past

以下、天野の訳です。

—————————

とても注意深く見ていくと、
思考はずっと連続しているものではなく、
思考と思考との間に、狭間があることに気づくでしょう。

ほんの一瞬の、微かなかけらのようなものかもしれませんが、
前後にゆれる振り子と同様、とても重要な間がそこにあります。

ご存知のように、
思考は過去によって条件づけられていて、それが未来に投影されていきます。
過去を受け入れたた瞬間に、未来も認めなくてはならなくなります。
過去、未来という二つの状況があるのではなく、
意識と無意識、集合的過去と個人的な過去とが全部含まれている、ただ一つの状況があるのです。

集合的あるいは個人的な過去は、現在においてある反応を引き起こし、
そのことが個人の意識を作り出します。
ですから、意識とは過去のもので、それが私たちの存在の全背景です。

過去を手にした瞬間、不可避的に未来をも手にしなくてはなりません。
未来とは、脚色された過去が続いているだけのものだからです。

しかし過去は依然として過去です。
ですから、解決すべきことは、この過去のプロセスを変容させることです。
新たな条件を付け足したり、新たな過去を作り出したりしないでです。

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