気功のひろば

ブログ

2019.11.02

一日に四季を生きる

The Book of Life
11/2のテーマは
Live the four Seasons in a Day

以下、天野の訳です。

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常に新しく再生し、新生し続ける。
これは必要不可欠な、そうすべきことではないですか。

もし今が、昨日の経験という重荷を背負っていたとしたら、
再生はあり得ないでしょう。

再生とは、生まれる、死ぬという行為のことではありません。
相反するものを超越しています。
ただ記憶の蓄積から自由であることのみが、再生をもたらします。

どのような理解も、今の中に蓄えられることはないのです。
なんの比較も、判断もしないときにのみ、
心は今に気づくことができます。

今を変えようとする、あるいは非難しようとする、
その無理解な欲望が、今を過去につなぎとめているのです。

現在という鏡に、過去がそのままに、なんの歪曲もなく映し出されている。
そうした理解の中にのみ、再生はあります。

存分に経験し、あますところなく生きている時には、
その経験は、後になんの跡形も残しませんね。
ただ不完全な経験のみが、その跡を残し、
自我を強化する記憶を持続させるのです。

私たちは、現在を、目的に到達するための手段と考えています。
そのため、今ということの計り知れない重要性が失われています。
今は永遠です。
でも、装飾され、寄せ集められた心が、どうやって
寄せ集めなどではなく、あらゆる価値を超越していて、永遠であることを理解できるでしょうか。

経験が立ち上がってくるたびに、
その経験を、できる限り全霊で、深く体験し尽くすのです。
考え尽くし、感じ尽くす、広く深く。
あなたの判断や、こうだと思ったことの中にある、
苦痛や悦楽に気づくのです。

全てを経験しつくしている時にのみ、再生があります。
私たちは、一日のうちに四季を生きているようでなければなりません。
鋭敏に気づき、経験し、理解し、
日々の寄せ集めから自由になるのです。

2019.10.15

教化され、すり減る心

The Book of life
10/15のテーマは、
Drowned by Influence

以下、天野の訳です。

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心は、なぜ老いていくのでしょう。
次第に年をとり、能力が落ち、同じことを何度も繰り返し、
習慣の中に捕らわれる。
性的、宗教的、職業的な、あるいは様々な欲求による習慣に。
そういう意味で、老いている。ちがいますか。

心は、数限りない経験と記憶によって大きな重荷を背負わされ、
悲しみのために、あまりにも傷つき損なわれているので、
何一つ新鮮に見ることができず、
いつも、記憶、自分なりの結論、決まった方式に基づいて解釈し、引用する。
権威に縛られてしまっている。
これが老いた心です。

なぜこんなことが起こるのか、わかりますね。
私たちの教育は全部、単なる記憶の培養です。
そして、新聞雑誌、ラジオ、テレビなどのマスコミもありますね。
教授たちは、何度も何度も繰り返し、講義を聞かせるでしょう。
あなたの頭の中がその繰り返し言っていることにしっかり染まるまで。
そしてあなたは、試験でそれを吐き出し、学位を獲得し、
さらに仕事を、決まり切った仕事を、絶え間ない繰り返しを続けていくのです。

それだけではありません。
人それぞれにこうなりたいという内なる葛藤があり、いつもその不満に苛まれています。
競争は仕事のみならず、神への競争もあります。
神の近くにあろうとし、より早くそこに至る道を求める。

そう、起こっているのは、つまりこういうことです。

プレッシャー、ストレス、張り詰めた緊張。
私たちの心は、いっぱいいっぱいになっていて、
教化され、悲嘆に沈み、溺れ死んでいる。
意識している、していないに関わらずです。
私たちは、心をすり減らしている。
心を用いているのではなく。

2019.09.01

自分を知的だと思う

Book of Life
9/1のテーマは、
We Think We Are Intellectual

以下、天野の訳です。

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ほとんどの方は、知的な能力を開発しようとしています。

その、いわゆる知的能力は、
本当は、知的な能力でも何でもなく
たくさんの本を読んで、他の誰かが言っていること、
他人の説や考えでいっぱいになっているのです。

数え切れないほどの著者、無数の本から引用できたり、
たくさんの異なる分野の本を読んで、関連づけたり説明できることで、
自分はとても知的だと思うのです。

しかし、誰一人として、オリジナルではない。
いや、ほんのわずかの人だけしか、
その人自身の知性ある考えを持っていません。

私たちは、いわゆる「知性」を養ってきたために、
他の多くの能力や感覚が失われ、
生のバランスを保てなくなってきました。
同様に、最高度の知的能力を持って客観的に捉えることができなくなり、
それだけでなく、
物事の状況を、ありのままに、正確に見ることができなくなってきているのです。

それは、さまざまな論や規定に対して意見を言い続けることではなく、
自分自身で考えるということです。
とても身近に引き寄せて、自身で偽物と真実を見てとるのです、

この「見る能力の欠如」が、私たちが抱える困難だと思うのです。
外側のものごとに対してだけでなく、
私たちが持つ「内なる生」に対しても。

もし私たちが、その内的な生命の息吹をわずかでも持っているのであれば。

2019.07.19

怒りの終焉

Book of Life
7/19のテーマは、
Cessation of Anger

以下、天野の訳です。

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私たちは皆、怒りを抑えようとしますが、
どういうわけか、できずにいるように思います。
怒りを霧散させる、別の接し方はないのでしょうか。

怒りは、身体的・精神的な原因により、勃発します。
何かを邪魔されたり、守ろうとしているものが壊されたり、
注意深く築き上げてきた安心が脅かされたり、
おそらくそんなことで怒るのでしょう。

私たちは皆、怒りと慣れ親しんでいます。
怒りを理解し、解消するにはどうすればよいのでしょうか。

もし、あなたの信じることや考え、意見が最重要だと思うのであれば、
「それは違うんじゃない?」と問われただけで、つい暴力的に反応してしまうでしょう。

信仰や考えにしがみつく代わりに、
それは本当に、あなたの生の理解に不可欠かを問いはじめることで、
原因がはっきり理解できるようになり、怒りはもうそこになくなります。

こうして、戦いや苦しみを引き起こしていた、
あなた自身の抵抗がほどけていくのです。
そう、やはり熱心に探求することが必要です。

私たちは社会的・信仰的な理由、便宜のために
自己をコントロールしてきましたが、
怒りを根絶するために求められるのは、深い気づきです。

不正を耳にして怒っているのだと、あなたはおっしゃるかもしれません。
それはあなたが人間愛にあふれているからですか、慈悲深いからですか。

思いやりと怒りは、同時にあることができますか。
怒りや憎しみがあるところに、正義はありえるのでしょうか。

あなたは、社会一般の不正や残虐さに対して、
いけないことだと思って怒るのでしょうけれども、
怒りを持って、その不正や残虐な行為を変えることはできません。

怒りは、ただ害を及ぼすだけです。
整った状態をもたらすためには、
思慮深く、いつも思いやりを持っていることが必要です。

憎悪から生まれた行動は、さらなる憎悪しか生み出すことがありません。
怒りがあるところに、正しさはありえません。
正しさと怒りとは、ともにあることはできないのです。

2019.06.29

憎しみを打ち砕くために

The Book of Life
6/29のテーマは、
To Destroy Hate

以下、天野の訳です。
—————-

憎しみに満ちた世界が、今、その報いを受けつつあります。
この憎悪の世界は、親や祖先、そして私たちによって作られてきたものです。
つまり、無知が無限の過去につながっているのです。

憎悪の世界は自然に生じたものではありません。
人間の無知、歴史的なプロセスの産物なのではないでしょうか。
私たち個人は、先祖やそのまた祖先と一緒になって、
この、憎しみ、恐れ、貪欲といったプロセスを進行させてきました。

そして今、その憎しみに満ちた世界を共有しています。
一人一人が、その世界の中にひたり続けている限りは。

世界は、あなた自身の延長です。
もし、あなた個人が憎しみを打ち砕こうと欲するなら、
あなた自身が、憎しみを終焉させなければなりません。
憎しみを断つためには、憎しみの全て、その微妙な痕跡に至るまで、
その全部から離れなければなりません。

しかし、もし憎しみの中に囚われているのなら、
あなたは、無知と恐れの世界の一部なのです。
つまり、世界はあなたが拡大したものです。
あなた自身が複製され、広がっているのです。

世界は、個人と切り離しては存在しません。
観念として、国家、組織としてこの世界が存在するのかもしれませんが、
その考えを実行したり、
国家機能やその組織や教団の機能を働かせるためには、
個々人の存在は不可欠です。
個人の無知、貪欲、そして恐れが、
無知、貪欲、憎しみの仕組みを維持させるのです。

一人の変化で、世界に影響を与えられるでしょうか。
この憎悪の世界に、無知に…。

思慮がなく、無知、憎しみ、貪欲に囚われているかぎりは、
世界はあなた自身の影としてあり続けます。
でも、真剣にそこから離れようとし、注意深く考え、気づいているのならば、
苦しみや悲しみを作り出す忌まわしい原因から離れるのみならず、
その悟りの中には、完全性、全体性が存在するのです。

2019.05.02

人生において感情はどう振る舞うのか

The Book of Life
5/2のテーマは、
Waht Role Has Emotion in Life?

以下、天野の訳です。
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喜怒哀楽の感情は、どうして生じるのでしょうか。
とても単純です。
刺激に応じて、神経が働いて生じます。
あなたが私を針で刺すと、私は飛び上がります。
おだてれば喜びます。
侮辱すれば、いやな感情がおこります。
刺激、感覚を通じて感情が生じるのです。

そして、ほとんどの方は、快楽の感情に動かされています。
明らかに、そうですね。
ヒンドゥー教徒だと認められると嬉しい。
だからそのグループや教団に所属しようとし、
伝統に染まろうとします。たとえ古びたものであっても。
ギータ、ウパニシャッド、まるで高い山のような古い伝統を好むようになります。
ムスリムの方は、また同様に好むものがあるでしょう。
私たちの感情は、刺激や環境や、その他のものに応じて生じる。
それは明らかです。

生きていく中で、感情にはどんな役割があるのでしょうか。
感情イコール人生ですか?
わかりますか。
快楽=愛でしょうか。欲望は、愛ですか。
もし、感情=愛だとしたら、そこにはいつも変化が含まれます。
そうでしょう、よくわかっていらっしゃいますね。

感情や感傷、熱狂、いい気持ち、その他全ての感情は、
本当の愛情や思いやりとは、
何がどうあろうと、まったく関係ないことに
はっきり目覚めなくてはなりません。

すべての感傷や感情は、思考と結びついているので、
快楽や苦しみを生み出します。

愛に苦しみも悲しみもありません。
愛は、快楽や欲望の産物ではないからです。

2019.05.01

純粋さにあふれた心

The Book of Life
5/1のテーマは
A Mind Rich with Innocence

以下、天野の訳です。

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真理は、本当の神は・・
人が作り出した神ではありませんよ、
真の神は、
破された、つまらない、上辺だけの、狭い、限定されたような心を望んではいないのです。

心には、本当の価値を感じられる健康さ、豊かさが必要です。
知識でいっぱいなのではなく、純粋さに溢れている心、
経験という傷跡が全くない、時間からも自由な心が必要なのです。

あなたたちが自分のなぐさめのために作った神は、人を責め、苦しめることを認めています。
心が鈍り、退屈になっていくことも認めています。
しかし真実のものは、そんなことを望んではいません。

「真のものたち」が望んでいるのは、まるごとの、そのまま全部の人間です。
心は満たされ、豊かで、澄んでいて、
ぱっと燃えあがることができ、
木の美しさや、子どもの微笑みや、
満足な食事もできていない女性の苦悩もそのままに見ることができる。

この類い稀なる感覚、
あらゆるものに対する敏感さを持つのです。
動物に対して、壁を歩いていく猫に対して、
卑しさや、汚さや、
貧困や失意の中にある人の醜さに対しても。

敏感であることは、燃え盛る感覚を持つことです。
ある特定のことに対してではなく、
その場限りの、あったりなかったりする情動でもなく、
あなたの神経を働かせ、
目で、体で、耳で、そして声で感じていくのです。

どんな時もずっと、完全に敏感であるのです。
もしそうでなければ、そこには何の知性もありません。
知性は、敏感さと観察力によって生じるものです。

2019.03.18

私とは、私が所有しているもの

The Book of Life
3/18のテーマは
We Are That Which We Posess

以下、天野の訳です。

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人と人、人とモノが「つながっている」ことを理解するには、
そのままを受け取るような気づきがどうしても必要です。

そうした気づきは、自然な縁を壊さないばかりか
あらゆる縁を生き生きとした、より意義深いものにしてくれます。
そんな関係性の中にこそ、本当の愛があり得るのです。

そこには単なる感傷でも、うわべの感覚でもない、暖かさや親密な感覚があります。
そうした縁の中に入り、ただ中にあることができれば、
私たちの様々な問題は、どんなことでも容易に解消していくでしょう。
財産の問題、所有の問題もです。
私たちが所有しているものがすなわち、私たちだからです。

お金を所有しているのなら、その人はお金です。
財産を持ち、それを「自分のもの」と思っていれば、その財産なのです。
あるいは家や家具なのです。
観念や他者もまた同様です。

何らかの所有ということがあるのなら、
そこには何のつながり(縁)もありません。
ところがほとんどの方は所有します。
所有ということがないと、他に何もないからです。

何も持たなかったら、私たちはもぬけの殻です。
家具や音楽や知識や、
あれやこれやで生活をいっぱいにしなければ、空っぽなのです。
この殻は、たくさんの騒音を生み出します。
私たちはその騒音のことを生活と呼び、それと共にあることに満足しています。

そして、何らかの破壊が生じ、生活が崩れ去った時、悲しみが生じます。
急に、何の意味も持たない空洞の殻になってしまったと気づくからです。

ですから、
つながり、縁に含まれているものの全てに気づく、これが行うべきことなのです。
そこから、本当のつながり(縁)が可能となります。

そのとてつもない深淵さや、重要性を発見し、
愛とは何かを知っていく道が拓けてくるのです。

2019.02.27

とらわれからの自由

The Book of Life
2/27のテーマは
Freedom from Occupation

以下 天野の訳です。

_________________

心は過去から、
思考から自由になるでしょうか。
良い思考や悪い思考、といった意味ではありません。

どうしたら自由がみつかりますか?
それは、心がどんなことでいっぱいなのかを見ることによってのみ、
わかるでしょう。

もし、心が良いこと、あるいは悪いことに占められているのなら、
過去に関わることで、心が過去に占められてしまっているのです。
これでは過去から自由ではありません。

重要なのは、心のありようです。
少しでも何かに関心を持っている時には、いつも過去にとらわれています。
意識の全ては過去です。
ほんの表層から最も高いレベルまで、全て過去です。
そして、無意識のストレスもまた過去なのです。

このとらわれから自由になることができるでしょうか。
心が、何ものにも占められることなく、
記憶、思考、良いことや悪いことなどが、
何かを選ぶということもなく、そのままに流れている。
そういうことが可能でしょうか。

心があることにとらわれたその瞬間に、
それが良いことであれ、悪いことであれ、過去に関わっています。

もし本当に聴くのなら、ただ言葉の意味としてだけではなく、
とても深く深く聴くのなら、
心に左右されない、不変の安らぎを見つけることでしょう。
それが過去からの自由です。

でも、過去をどこかへやってしまうことはどうしてもできません。
過去を自ずと流れていくものとして眺めて、過去にとらわれていない。
すると、心は監視から自由で、何を選択することもありません。

この、記憶の川の流れから何かを選び取ることで、関心が生じ、
心が何かに占められたとたん、心は過去に捕まってしまいます。

そして、心が過去に占められているなら、
ありのままの状態に気づき、
ほんとうのものに出会い、
新しい何かを発見し、元々の光を見て、
純粋無垢なことがらに出会うことなどできないのです。

2019.01.03

言葉のノイズを超えて

The Book of Life
1/3のテーマは
Beyond the Noise of Words

以下、天野の訳です。
————————–

聴くことは芸術的な技能であり。
簡単に獲得できる能力ではありません。
しかし、その聴くということの中に、
美しさと、素晴らしい覚醒があります。

私たちはそれぞれのあり方に応じて
様々な深さの聴き方をしますが、
いつも先入観というものを伴って聴いています。
あるいは、ある特別な観点から聴いています。

シンプルに、ただ聴くということがなく、
思考、結論、偏見といったスクリーンが
いつも間に入っている状態で聴いているのです。

聴くということには、内的な静けさが必要です。
何かを求めようとする努力からの自由。
リラックスした中の集中。

この注意深く、しかも受動的な状態が、
言語的な結論の向こうにあるものを聞き取ることを可能にします。

言葉は混乱を招きます。
言語は、表面的なコミニュケーションの手段に過ぎません。

言語的な錯乱を超えて通じ合うには、
注意深く受動的に聴いている状態になければなりません。
愛に生きている方々は、そのように聴いているでしょう。
しかしそうした聴き方をしている方は、ごく稀です。
大部分の方は、結果の後に、ゴールに到達した後にと、
永遠に乗り越えようとし、力づくで得ようとする。
だから、聴くということがないのです。

ただ聴いているときにだけ、
言葉の奥に響いている歌が聴こえてくるのです。

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