気功のひろば

ブログ

2020.12.25

気づきの炎を燃やし続ける

The Book of Life
12/25のテーマは
Igniting the Flame of Self-Awareness

以下、天野の訳です。
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気づくことが難しいと思ったら、
1日の間に生じたあらゆる思考と感情を書き出してみましょう。
あなたの反応を書き留めるのです。
嫉妬、妬み、虚栄、好色、言葉の背後にある意図など。
朝食前に時間を作って書き留めてみましょう。
そのために少し早めに寝たり、
社交を減らしたりすることが必要かもしれません。
出来る時にいつでも書き留めて、
夜眠る前に、日中にあなたが書いたこと全てに目を通して、
何の良い悪いの判断も批判も加えずに、よく見て調べます。
すると、あなたの思考や感情、欲望や言葉…を生み出している、
隠れている原因を発見するようになるでしょう。

大切なことは、
書き出したことを、知的な判断とは関係なく、精査することです。
そして、よく調べていると自分自身の状態にはっきり気づくようになります。
自己を知ること、つまり自分への気づきの炎が燃えている最中で、
葛藤の原因が明らかになり、消失していきます。

考えたこと感じたことを書き続けてください。
意図したこと、反応したことを。
1回2回ではなくて、
考えられる限り何日でも、
そして、すっと簡単に気づくようになるまで。

瞑想とは、
自分に気づき続けることだけではなく、
自己を捨て去り続けることでもあります。
正しい思考があって、瞑想があり、
瞑想によって、静まり返った叡智が立ち現れます。
その落ち着いた静けさの中から、至高のものが明らかになります。

考え、感じたこと
欲望や反応を書き留めてください。
すると内的な気づきが生じ、
無意識と意識とが、協調し始めます。
そして、統合と覚醒へと導かれていくのです。


2020.11.23

作りものではない愛

The Book of life
11/23のテーマは
Love Is Not Cultivated
以下、天野の訳です。
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愛は涵養されるものではありません。
愛を神聖なものと、肉体的なものに分けることなどできません。
ただ、愛であるだけです。
たくさんの人を愛したり、誰か一人を愛したりということでもありません。
「すべての人を愛していますか」というのも馬鹿げた質問です。
誰が訪れるか、誰が去っていくかに関わらず、花は香り続けています。
そこに愛があります。
愛は記憶ではありません。
愛は心や知性が作り出すモノではありません。
目の前にある生存に関わるすべての問題…、
恐れ、嘆き、妬み、絶望、希望などが理解され解決した時に、
愛は慈しみのように自然に生じています。
求め続けている人は、愛することなどできません。
家族に執着している人には愛がありませんし、
嫉妬することも愛とは何の関係もありません。
「妻を愛している」という時、その意味は真実とは違うのです。
次の瞬間には、あなたは彼女に嫉妬したりしているからです。

愛は、大いなる自由を土台としています。
好きなようにしなさいという自由ではありません。
そうではなく、愛は、心がとても静かで、私がなくなっている時、
自己中心でない時にのみ生じています。
理想の話をしているのではありません。
もし愛がなければ、あなたが何をしようとも、
世界中のどのような神々を求めようとも、
どんな社会活動をしても、貧困や政治を変えようとしても、
どんな本や詩を書いても、あなたは死んだ人なのです。
そして愛がなければ、問題は絶え間なく増え続け、
どんどん増殖していくでしょう。

そして愛があれば、
あなたが行うことは、何ら危険にさらされることも、
何の葛藤もないのです。
愛は美徳の本質です。
そして愛のない心は、全くもって宗教的な心などではありません。
あらゆる問題から自由となり、愛と真実の美しさを知っているのは、
唯一、宗教的な心なのです。


2020.10.25

完全に空っぽになる

The Book of Life
10/25のテーマは
Complete Emptiness

以下、天野の訳です。
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意識の完全なる変容が生じるには、
分析と探求を、完全に捨て去らなければなりません。
そして、もはや何の影響下にもない状態になります。
これはとてつもなく難しいことです。
その、何が偽りなのかを見破る意識は、偽りを即座に退けます。
何が真実かを知らずにです。

もし、何が真実かをすでに知っているとしたら、
単に、あなたが偽りだと思ったことを、真実だと空想したことに置き換えているだけです。
何が得られるのかを知っているとしたら、放棄ということはあり得ません。
何が起こるかわからないまま、すっと手放す時にのみ、放棄ということがあります。
この否定の状態が完璧に必要です。

このことを注意深くたどっていってください。
なぜなら、もしあなたがずっと遠くまで行き着いたとすると、
その否定の状態の中に真実を見出すことになるからです。
つまり、否定は既知の意識を空っぽにしていくことだからです。

結局のところ、意識は知識に基づいています。
経験、民族的な継承、記憶、今まで経験した物事に則っているのです。
様々な経験は常に過去のもので、現在において働いています。
現在によって修飾され、未来へと続いていきます。
それらすべてが意識で、幾世紀にもわたる膨大な記憶の貯蔵庫なのです。

こうした意識は、機械的な生活においてのみ役に立ちます。
長きにわたって獲得してきたすべての科学的知識を否定するのは馬鹿げたことです。しかしながら、意識の変容をもたらすには、この全構造の革命が生じるには、完全に空っぽになることがどうしても必要です。

そして、その「空っぽ」は、ある発見があるときにのみ可能です。
何が偽りなのかを、実際にはっきりと悟ったときです。
あなたがそれを発見し、ずっとずっと遠くへいくと、
その「空っぽ」であることそのものが、意識の完全なる革命をもたらします。
それが、ここで起こっていることなのです。

 

2020.09.24

意識とは時間の産物である

The Book of Life
9/24のテーマは
The Mind Is Result of Time

以下、天野の訳です。
—————-

意識は常に影響を受けていて、
ある特定の主義や主張について四六時中考え続けています。
以前は、組織宗教のみがあなたの心を染めるものでしたが
今は政府が大きく取って代わってその役を果たしています。
彼らは、あなたの意識を型にはめ、コントロールしたいのです。
表面上は彼らのコントロールに抗することができます。
あることがらについて何かの意見を言うことが表層ではできますが、
表層下、深い潜在意識の中では、時間、伝統のすべての重みがのしかかっていて、あなたをある特定の方向へ駆り立てるのです。
意識的な心はある程度のコントロールと方向付けをできるかもしれませんが、でも無意識下では、野望、解決していない問題、抑えがたい衝動、迷妄、恐怖が待ち構えていて、心をドキドキさせ、あなたを駆り立てています。

こうした心の全貌は、時間によってもたらされたものです。
完全な悟性を働かせずに次々と受容してきた全てのこと、
葛藤と順応が生み出したものです。
ですから、私たちは矛盾した状態で生きているのです。
私たちの生活は終わりのない葛藤です。
私たちは不幸で、幸せになりたい。
暴力的であって、非暴力という理想の実践に励んでいます。
だから、葛藤が続くのです。心の中は戦場です。
私たちは安全を求めています。
心の中、奥深くでは、そんな安全なんていうものはどこにもないということをわかっていながら。

真実はこうです。
私たちは安全はどこにもないという事実と向き合いたくない。
したがって、私たちはいつも安全を追い求めているのです、その結果生じる安全ではないという恐怖と共に。

2020.08.21

即時の作用

The Book of Life
8/21のテーマは
Immediate Action

以下、天野の訳です。
—————-

あなたが何かとふれあっている時、
妻と、子供と、空と、雲と、何らかの現実と、
思考がそこに紛れ込んでくると、その瞬間にふれあいを失います。
思考は記憶から生じます。記憶はイメージです。
思考を通じて見ていることになれば、
観察者と観察されるものとの間に、分離が生じるのです。

このことは深く深く理解しなければなりません。
観察されるものと観察者とが別々になってしまうと、
もっと体験したい、もっといろいろなことを感じたいと、
絶え間なく追求し、欲し続けるようになります。

観察者、つまり、さらなる体験を求め、
検閲官として、評価し、判定し、非難する、独立した存在となり、
あるがままの全存在と、直接的に何のつながりもなくなってしまうのです。

あなたが痛みを、身体的な苦痛を感じる時には、直接的な知覚があります。
痛みがあるだけで、痛みを感じている観察者はいません。
観察者が存在しなければ、即時の作用がそこにあります。
何か考えて行動するのではなく、
直接に身体が関与するから、痛みにはただ作用のみがある。
痛みはあなた自身であり、ただ痛みがそこにあります。

このことが完全に、深く理解され、はっきり分かり、解き明かされ、深く味わわれないかぎり、
全面的に把握されない限り、生活の全ては葛藤となるでしょう。
相反する欲望と欲望とがぶつかり合い、
こうしなければということと、あるがままの自然との間の矛盾に苦しむのです。

あなたにはできます。
唯一、「観察者として見ているのかどうか」ということに気づいていることによってのみできるのです。
そうして、花を見て、雲を見て、そのほかの何かを見るのです。

2020.07.27

自然に生じる覚醒

The Book of Life
7/27のテーマは
Spontaneous Comprehension

以下、天野の訳です。
—————-
「この苦しみの原因は何か、見せてくれ」などと決して言うものではありません。。
それは、努力を強いても、日々の修練でも、わからないのです。

興味を持って、自ずと生じる覚醒を通じて、見なければなりません。
すると、私たちが、苦しみや痛みと呼んでいるもの、
避けようとしているものや抑制が、全て無くなっているのに気づくでしょう。

物事との関係を「自分以外のものとのつながり」だと誤認しなければ、問題は生じません。
問題は「自分ではない何か」との関係が築かれたその瞬間に生じます。

苦しみを外的なものと捉えてしまう。
例えば、私が兄弟を亡くしたり、お金がなかったり、あれこれの
外的な理由で苦しんでいるとすると、
その外側の事象との関係が構築されますが、それは架空のものなのです。

もし、私が、そのものだとしたら。
その事実を見るならば、
全ての物事は変化し、異なった意味合いを持つようになります。

そこには、完全に感覚を開いて、全体を分け隔てなく感じている状態があり、
くまなく全てが認識されると、それは理解され、消失します。
ゆえに、怖れはなくなり、
悲しみという言葉は存在しなくなるのです。

2020.06.17

全体を見る

The Book of Life
6/17のテーマは
Seeing the Whole

以下、天野の訳です。
—————-
あなたはどのように、木を見ますか。

木全体を見ていますか。

全体として見ていないのなら、全く木を見ていないのです。
そこを通りかかり、「ここに木がある。なんて素晴らしい。」
「これはマンゴーの木だ」「よく知らないが、タマリンドの木かもしれない」と言うかもしれません。
しかし、そこに立って見ている時・・私は実際のこと、事実を話しているんですよ、
あなたは決してその全てを見ていない、そしてもし木の全体を見ていないのなら、
あなたはその木を見ていないのです。

気づきについても同じです。
木を見るのと同様、心の挙動全体を見ていないのであれば、あなたは気づいていないのです。

木は、根、幹、大小様々の繊細に伸びていく枝々、
枯れたりしおれたり、あるいは青々とした、虫に食われた、醜い、散っていく葉っぱ、
実、花などでできています。
これら全てを、一つのものとして見ている時、あなたは木を見ているのです。

同様に、そうした見方で心の働きを見ていくと、
その気づきの中には、非難する心、承認や否定、葛藤や虚しさ、絶望と希望、失望などの感覚があり、
気づきは、それら全体に行き渡っていて、ただ一部分だけということはないのです。

そう、この本当にシンプルな感覚で、心を感じていますか。
さながら、絵の全体を見るように。
絵の隅っこの部分だけを見て、「この作者は誰」とは言いませんね。

2020.05.06

あらゆる情動に対して死すべし

The Book of Life
5/6のテーマは、
We Must Die to All Our Emotions

以下、天野の訳です。
—————–

「Emotion」情動とは何を意味するのですか?
感覚のことですか?
反応、感覚の応答ですか?
憎しみ、信心、愛している感覚、同情など、全て「情動」です。
愛や共感などはポジティブなもの、
一方憎しみのような情動はネガティブだと断じて、なくそうと努力します。
愛と憎しみは反対ですか?
愛とは、記憶に基づいた情動、感覚や感情ではありませんか?

愛とは、何を意味するのでしょうか。
もちろん、愛は記憶ではありません。しかしほとんどの方にとっては、愛=記憶です。
だから、愛を知ることがとても難しいのです。
妻を、夫を愛していると言いますが、それはどう言う意味ですか。
あなたを喜ばせてくれるもの、
自分と一緒にいてくれて、私が所有していると思っているものを
愛しているのではないですか?
どうぞよくお聞きください、これらは事実です。作り話ではありません。
目を丸くしないでください。

私たちが愛し、愛していると思っているのは、
「私の妻」「私の夫」というイメージやシンボルであり、
生きている個々人ではないのです。
妻を、夫を、全く知っていないのです。

「知る」と言う意味が、「認識」を意味しているのであれば、
その人のことを決して知ることはできません。
「認識」は「記憶」に基づいています。
苦楽の記憶、とても大事にしてきたり苦しんできた記憶、
自分が所有し、執着してきたものの記憶・・。
恐れ、悲しみ、寂しさ、絶望の暗影があるなかで
どうして愛することができるでしょうか。
野心的である人が、どうして愛することができるでしょうか。
どんなに公明正大であっても、私たちは皆何かを熱望しています。

愛が何であるかを見出すためには、
過去に対して死ななければなりません。
全ての情動に対して死ななければなりません。
良い悪いに対して死ななければなりません。

有毒なものに対してそうするように、努力なしに全てを手放すのです。
つまり、毒だとわかってしまえばいいのです。

2020.04.24

感覚を超えた美しさ

The Book of Life
4/24のテーマは
Beauty Beyond Feeling

以下、天野の訳です。
—————–

熱い心なくして、どうして美が存在できるでしょうか。
絵や写真、建築物、女性の肖像、そうしたものの美しさについて話しているのではありません。
そうしたものには、それぞれ固有の美しさがあります。
人間によって手を加えられたもの、例えば、聖堂、寺院、絵画、詩、彫像…。
それらは美しいかもしれないし、美しくないかもしれません。

そんなことではなく、
熱い心がなければ、はっきり気づくことも、理解することも、知ることもできない、
感覚も思考も超えた美が存在するのです。
「熱い心」という言葉を誤解しないでください。
これは、醜い言葉ではありません。
マーケットで購入できるものでも、ロマンチックに語り合うものでもありません。
感情や感覚とは、全くもって関係のないものです。
きちんとした、立派な何かでもありません。

「熱い心」は、あらゆる偽を滅する炎です。
そして、わたしたちは常に恐れています。
その炎が、私たちが可愛がり、大切だと呼ぶものを
食い尽くしてしまうことを。

2020.03.09

執着とは、自分を欺くこと

The Book of life
3/9のテーマは
Attachment Is Self-Deception

以下、天野の訳です。
—————–

「私たち」とは、私たちが「所有しているもの」です。
「私たち」とは、私たちが「執着している何か」です。

執着には微塵の貴さもありません。
知識への執着は、その他の快楽的耽溺となんら違いはありません。
執着とは、自己陶酔です。それが最低であろうと最高のレベルであろうと。
執着とは、自分を欺くことです。
自らの虚しさからの逃避です。

空虚さを埋め合わせるために、
多くのものがなければ私がなくなってしまうから、
執着している「もの」……財産・人々・考えが
いちばん重要になってしまうのです。

自分がなくなることへの恐れが、所有に向かわせるのです。
そして恐れは幻想を生み出し、様々な結論につなぎとめます。
物質的なものであれ、観念的なものであれ、そうした結論は
智慧の結実、すなわち自由を妨げます。

自由とは、ただ真実のみが存在しうる状態です。
この自由がなければ、本当の智慧が、狡猾な「まやかしの賢さ」にすり変わってしまうのです。
まやかしの賢さは、いつも錯綜し破壊的です。
この自己防衛的な、嘘の賢さが執着を作り出すのです。

執着が苦しみを引き起こす時、
無執着を求め、放棄することの自尊と虚栄にうつつをぬかすこともまた、嘘の賢さです。
「まやかしの賢さ」の働きを悟ることが、智慧の始まりなのです。

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