気功のひろば

ブログ

2019.02.27

とらわれからの自由

The Book of Life
2/27のテーマは
Freedom from Occupation

以下 天野の訳です。

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心は過去から、
思考から自由になるでしょうか。
良い思考や悪い思考、といった意味ではありません。

どうしたら自由がみつかりますか?
それは、心がどんなことでいっぱいなのかを見ることによってのみ、
わかるでしょう。

もし、心が良いこと、あるいは悪いことに占められているのなら、
過去に関わることで、心が過去に占められてしまっているのです。
これでは過去から自由ではありません。

重要なのは、心のありようです。
少しでも何かに関心を持っている時には、いつも過去にとらわれています。
意識の全ては過去です。
ほんの表層から最も高いレベルまで、全て過去です。
そして、無意識のストレスもまた過去なのです。

このとらわれから自由になることができるでしょうか。
心が、何ものにも占められることなく、
記憶、思考、良いことや悪いことなどが、
何かを選ぶということもなく、そのままに流れている。
そういうことが可能でしょうか。

心があることにとらわれたその瞬間に、
それが良いことであれ、悪いことであれ、過去に関わっています。

もし本当に聴くのなら、ただ言葉の意味としてだけではなく、
とても深く深く聴くのなら、
心に左右されない、不変の安らぎを見つけることでしょう。
それが過去からの自由です。

でも、過去をどこかへやってしまうことはどうしてもできません。
過去を自ずと流れていくものとして眺めて、過去にとらわれていない。
すると、心は監視から自由で、何を選択することもありません。

この、記憶の川の流れから何かを選び取ることで、関心が生じ、
心が何かに占められたとたん、心は過去に捕まってしまいます。

そして、心が過去に占められているなら、
ありのままの状態に気づき、
ほんとうのものに出会い、
新しい何かを発見し、元々の光を見て、
純粋無垢なことがらに出会うことなどできないのです。

2019.01.03

言葉のノイズを超えて

The Book of Life
1/3のテーマは
Beyond the Noise of Words

以下、天野の訳です。
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聴くことは芸術的な技能であり。
簡単に獲得できる能力ではありません。
しかし、その聴くということの中に、
美しさと、素晴らしい覚醒があります。

私たちはそれぞれのあり方に応じて
様々な深さの聴き方をしますが、
いつも先入観というものを伴って聴いています。
あるいは、ある特別な観点から聴いています。

シンプルに、ただ聴くということがなく、
思考、結論、偏見といったスクリーンが
いつも間に入っている状態で聴いているのです。

聴くということには、内的な静けさが必要です。
何かを求めようとする努力からの自由。
リラックスした中の集中。

この注意深く、しかも受動的な状態が、
言語的な結論の向こうにあるものを聞き取ることを可能にします。

言葉は混乱を招きます。
言語は、表面的なコミニュケーションの手段に過ぎません。

言語的な錯乱を超えて通じ合うには、
注意深く受動的に聴いている状態になければなりません。
愛に生きている方々は、そのように聴いているでしょう。
しかしそうした聴き方をしている方は、ごく稀です。
大部分の方は、結果の後に、ゴールに到達した後にと、
永遠に乗り越えようとし、力づくで得ようとする。
だから、聴くということがないのです。

ただ聴いているときにだけ、
言葉の奥に響いている歌が聴こえてくるのです。

2018.12.06

新しい世界を創造する

The Book of Life
12/6のテーマは、
Create a New World

以下、天野の訳です。

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新しい世界を創り出すのなら。

新しい文明、新しい芸術、
何もかもが新しいもの。
伝統、恐れや野心に染まらないものを創り出すには……。

あなたのものでも、私のものでもある、
誰のものでもない何かを創り出すのなら……。

新しい社会を、一緒に。
私もあなたもなく、私たちがある。
そこでは、思考や意識が働くことは決してなく、
完全に誰のものでもない。

それはつまり「ただ独り」ということですね。
違いますか。

そこでは、協調や統一、世間的な体裁への反逆がなくてはなりません。

いわゆるきちんとしている人とは、人並みに生きている人です。
つまり、何かを求めている。

自分の幸せの益になるかどうか、
周りの人が何を考えているか、
先生が何を考えているか、
バガヴァッド・ギーターが、ウパニシャッドが、
あるいは聖書やキリストが何と言っているのか。
そうしたことに基づいて生きているのです。

そうした心に、ただひとりということは決してありません。
独りで歩くことは決してなく、
いつも誰か友人を連れて歩く。
思考の伴侶をともなって歩くのです。

とても大切なのは、
気づいて、はっきり見ることではないでしょうか。
干渉や影響の重要性を、
「私を確立する」ということ、
それは、「ただ独り」とは正反対であることを。
そうではありませんか。

その全てがはっきり見えると、
こんな問いがどうしても生じてくるでしょう。

影響されない心の状態を、瞬時に持つことができるだろうか。
私個人の経験にも、他の誰かの経験にも影響されない心、
腐敗することのない心、
すなわち、「ただ独り」ということを。

それによって、異なった世界や文化、社会ができ、
その中で、「幸せ」ということが可能になるのです。

2018.11.07

人生の目的

The Book of Life
11/7のテーマは、
Life’s Purpose

以下、天野の訳です。

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人生の目的を与えてくれる人は多くいるけれど、
彼らが教えてくれるのは、様々な聖典にどう書いてあるか、ということでしょう。

頭のいい人々は、「人生の目的」という答えを次々に導き出すでしょう。
政治的なグループはある目的を、
宗教的なグループもまた別の目的を持ち、
その他の人たちもまた同様です。

それでは、あなたの人生の目的は何ですか。
自分が混乱している時に、「生きる目的は何だろう」と問うのは、
混乱のただ中で、何としても答えを見つけなければと期待するからです。
でも、混乱した中で、どうやって本当の答えを見つけられるでしょうか。
わかりますか。
自分が混乱していたら、同じく混乱した答えしか見つからないのです。

もし、私の心が混乱し、悩みでいっぱいで、美しくも静かでもないとしたら、
どのような答えを見つけても、
混乱や不安や恐れといったスクリーンを通しているので
歪んだ回答になってしまうのです。

ですから、大切なのは「生きる目的とは」「なぜ生きているのか」と問うことではなく、
自らの内の、混乱をクリアにすることです。

それは、盲目の人が「光とは何ですか」と問うことと似ています。
もし私が、光とは何かを説明したとすると、
彼は盲目で暗闇の中にいる体験を通じて私の話を聞くでしょう。
けれど、もし彼の目が見えたとしたら、
「光とは何か」とは、決して問わないでしょう。
それは、そこにあるのです。

同様に、もしあなたの内の混乱が澄みわたるならば、
「人生とは何か」という答えがわかるでしょう。
もう、問う必要も、見つけようとする必要もありません。
あなたがなすべきことは、混乱をもたらす原因から
自由になることだけなのです。

2018.10.10

選択のない気づき

The Book of Life
10/10のテーマは
This Choiceless Awareness

以下、天野の訳です。

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偉大なるリーダーたちは、経験を積みなさいと常に教え諭してきました。
経験が理解を生むのだと。
しかし、純真な心、
過去から完全に自由であり、経験によって曇っていない心だけが、
真実とは何かを感受することができます。

ほんの短い瞬間でも、この事実をわかり、感じ取るなら、
無垢な心の、とてつもない透明さを知ることになるでしょう。

これは、蓄積した記憶の固い覆いが剥がれ落ちることを意味しています。
それは、過去を捨て去ることです。

どのように? という疑問は、感知とともになくなります。
その疑問に気をそらしてはいけません。

解答を求めようとしてはならないのです。
もし求めたら、注意深い心が失われてしまいます。

始めにお話したように、始まりの中に終わりがあります。
始まりの中に、私たちが悲しみと呼ぶものを終わらせる種があるのです。

悲しみの終りは、悲しみの中で発見されます。
悲しみから逃げようとするのではありません。
悲しみから離れようとするのは、単に答えを見つけ、
結論や、避難場所を見つけようとすることです。
しかし、悲しみは続いていきます。

そうではなく、全ての注意を集めて、
全存在を持って集中するのなら、
あなたは、直に答えを受け取るでしょう。

そこには、時間というものも含まれていないし、
なんの努力も葛藤もありません。
この選択の余地のない気づきこそが、悲しみに終止符を打つのです。

2018.09.09

意識は過去のもの

The Book of Life
9/9のテーマは
Consciousness Is of the Past

以下、天野の訳です。

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とても注意深く見ていくと、
思考はずっと連続しているものではなく、
思考と思考との間に、狭間があることに気づくでしょう。

ほんの一瞬の、微かなかけらのようなものかもしれませんが、
前後にゆれる振り子と同様、とても重要な間がそこにあります。

ご存知のように、
思考は過去によって条件づけられていて、それが未来に投影されていきます。
過去を受け入れたた瞬間に、未来も認めなくてはならなくなります。
過去、未来という二つの状況があるのではなく、
意識と無意識、集合的過去と個人的な過去とが全部含まれている、ただ一つの状況があるのです。

集合的あるいは個人的な過去は、現在においてある反応を引き起こし、
そのことが個人の意識を作り出します。
ですから、意識とは過去のもので、それが私たちの存在の全背景です。

過去を手にした瞬間、不可避的に未来をも手にしなくてはなりません。
未来とは、脚色された過去が続いているだけのものだからです。

しかし過去は依然として過去です。
ですから、解決すべきことは、この過去のプロセスを変容させることです。
新たな条件を付け足したり、新たな過去を作り出したりしないでです。

2018.08.02

真実とはそうあること

The Book of Life
8/2のテーマは
Truth Is a State of Being

以下、天野の訳です。

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真実へたどりつく道などありません。
そして、二つの真実はありません。
真実は、過去のことでも、現在にあるのでもありません。
時間ということを超越しています。
仏陀の、シャンカラの、キリストの真実を引用する人、
あるいはただ私の言うことを繰り返すだけの人は
真実を発見することはないでしょう。
反復は真実ではないからです。
反復は偽りです。
何かを分け隔てようとしたり、
排除しようとしたり、
結果や成果に関わることばかりを考えていたりする心が、
終焉したときに、ふと立ち現れてくるものが真実です。
その時だけに、真実はそこにあるでしょう。
努力しようとする心、
目的を達成するために自らを律しようとする心は、
真実を知ることはないでしょう。
目的は、心の投影だからです。
どんなに崇高な目的であったとしても、
心の投影を追いかけているのであれば、
それはある種の自己崇拝です。
自分自身を礼拝し、真実を知ることはありません。
心の全プロセスを知る時にのみ、
すなわち、何の葛藤も存在しない時にのみ、
真実は明らかになるのです。

2018.07.13

苦しみは必須のものか?

The Book of Life
7/13のテーマは
Is Suffering Essential

以下、天野の訳です。

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とってもたくさんの種類の、
いろんな複雑さを持った、様々な程度の苦しみがあります。

それは衆知のことです。
本当によく知っていて、生まれた瞬間から、墓場に崩れ落ちる瞬間まで、
その重荷を、この人生で間違いなく背負い続けるのです。

もし、これは避けられないことだと結論を下してしまうのなら
まったく何の答えもみつからないでしょう。
受け入れしまうと、そのことに対する探求は止みます。
さらなる探求の扉を閉ざしてしまうのです。
男の人へ、あるいは女の人へ逃避し、
酒や娯楽に逃避し、
ざまざまな形の権力や地位や名声に逃避し、
心の中の無意味なおしゃべりに逃避するでしょう。

すると、その逃避自体が最も重要なものになります。
あなたがそこへ逃れようとすることが、とてつもなく重要なことだと思い込んでしまうのです。
そして、悲しみの扉も閉じてしまうでしょう。誰もがたいていしてしまうことです。

では、あらゆる種類の逃避を止め、苦しみに立ち返ることができるでしょうか。
苦しみの解決をしようというのではありません。
肉体的苦しみは存在します。
歯痛、胃痛、手術、事故など、あらゆる種類の身体的な苦しみがあり、
それぞれの対処法があります。
将来の痛みに対する恐怖もあり、これも苦しみの原因です。
苦しみは恐れと密接に関わっています。
人生におけるこの二つの主要因を理解することがなければ、
思いやりを持つとはどういうことなのか、
愛するとはどういうことなのかを理解することは決してないでしょう。
思いやりとは、愛とは、……
そうしたことに関心を持ち理解しようとするのなら、
恐れとは何か、悲しみとは何かを、どうしても理解しなければならないのです。

2018.06.19

花開く思考

The Book of Life
6/19のテーマは
Let a Thought Flower

以下、天野の訳です。

———————-

「気づき」は、ある心の状態であり、
あらゆるものに対して生じます。

空を飛んでいく烏たち、
木に咲く花、
前に座っている人や、服の色合い、
そんな全てにあまねく気づいていくのです。
それには、はっきり見て、観察することが必要です。
葉っぱや幹の形を、
相手の頭の形や、何をしているかを。

あまねく広く気づいていて、そこから行動するということは、
つまり、自らの存在の全てに気づいているということです。

ほんの部分的な思考能力、
思考の断片、あるいは断片化された思考によって、
限定された思考にとらわれたまま、
それを元に経験をしているのであれば、
心の状態も、凡庸で、限られた狭いものになってしまうでしょう。

しかし、自らの存在の全体性に気づき、
あらゆる思考と感覚が目覚め、
そこに何一つ制限を加えず、
全ての思考と感覚を花開かせ、
そのうえで「気づいている」ということは、

ほんの限られた思考に基づく行動や集中、
制限されたその状態とは全くもって違います。

思考を花開かせ、感覚を開花させるには、
意図的な集中(concentration)ではなく、
自然にすっと気が集まること(attention)が必要です。

「花開かせる」とは、
「思考を自由にしてあげる」という意味です。
そして、あなたの思考や感覚の中で何が生じているのか、
何が起こっているのかを見るのです。

開花するものは、すべからく自由であり、輝きを持ち、
制限されざるものです。
どのような価値もそこに加えることはできません。
良いとか悪いとか
こうあるべきとか、こうあるべきでないなどと言うこともできません。
そんなことをしたら、思考の開花を抑制してしまいます。
とても深く、深く、このことを探っていってください。
そうすると、この「思考の開花」とは、
「思考の終焉」であることがわかるでしょう。

2018.06.02

二元性が葛藤を生む

The Book of Life
6/2のテーマは
Duality Creates Conflict

以下、天野の訳です。

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どのような葛藤も、
身体的、精神的、
また思考上の葛藤も、
全てがエネルギーの浪費なのです。

いがかでしょうか、
理解することも、そこから自由になることも、
とてもとても難しいですね。
私たちは、もがき苦しむように育ってきたし、
努力をするように育ってきたからです。

私たちが学校で第一に教わったのは、
「努力する」ことです。
その苦闘が、努力が、一生涯にわたって続いていくのです。

それはすなわち、こういうことです。

良い人であるために、あなたは、もがき苦しみ、
邪悪なものと戦わなければならない。
抵抗しなければならない。
きちんと制御しなければならない。と。

そう。学校でも、社会でも、宗教でも、
人はもがき苦しむように教育されているのです。

あなたは、こう言われるでしょう。

もし神を見出したいのであれば、
しっかり取り組まなければならない。
修練を積み、実践をしなければならない。
魂を捻じ曲げ、責め立てなければならない。
心も体も、否定し、抑圧するのだと。

これでは、決して神を見い出すことはできないでしょう。
あなたは戦って、戦って、戦わなければならないのです。
いわゆるスピリチュアルなレベルとかいわれるもののために。
そんなものは全くもってスピリチュアルでもなんでもありません。

そして、実際の社会の中では、
自身のために、家族のために何かを追い求めるのです。

そう、こうして、
どこでもかしこでもエネルギーを浪費しているのです。
エネルギーの浪費とはつまり、葛藤です。
「こうしなければならない」と「こうしてはいけない」という葛藤。
「こうでなければならない」と「こうあってはならない」という葛藤。

いちど二元的なものができてしまうと、葛藤は避けられません。
ですから、この二元性ということの全てのプロセスを理解する必要があるのです。

男と女、青と赤、光と闇、高い低い、そんなものが無いと言っているのではありません。
これらは事実です。
事実と観念を二つに分けていくような努力、
その中に、エネルギーの浪費があるのです。

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