気功のひろば
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ブログ

2017.12.25

木曜の教室から

天野の定例教室は、大阪の高槻から始まりました。
「気の会天神山」「気の会いわて」の2つ、そして
京都朝日カルチャーの木曜も、20年ほど続いている教室です。

毎週、同じ流れで進んでいきますが
私たちも天野も、毎週同じではありません。
自らの心身の変化や、季節の変化に気づきながら
短いレクチャーもその時々にぴったり、
「おちつく気功」などして、清々しい心で
終わるとすっきり、1週間のリセット。
(いわては2週間ですね)
積み重ねの豊かさも感じられて、定例教室には
また、その良さがあります。

きょうは、今年最後の京都朝日カルチャー木曜日から
お話部分だけ、ご紹介しますね。(純)

 2017/12/21 於:朝日カルチャー京都 天野泰司
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[実習・立って動く〜ふりこから波の動きへ]

きょうは、春の気配がある。
鼻がムズムズしたり、ほっぺが少し赤かったりしませんか。
1〜3月はほんとうに寒いけれど、変わる日がある。
きょうもそうした、体を整えるのにとても良い日。

春は、骨盤の動きが急に盛んになるタイミング。
骨盤はエネルギーの源、人は骨盤が土台。
春は、根本から体質改善ができる季節。

春は楽しく、体に素直に。ふっといく方向へ。
いやなことをしない。
妊娠出産の心得と同じ。

人が皆、「幸せになろう」としながらなれないからくりがそこにある。
考えるのでなく、頭の中を真っ白に。
こだわらないで、気持ちのいいほうへ素直に動く。

気持ちよさには2つあって、「素直に、楽」というものと
「違和感があるけれど、そっちへ行きたい」という急な波。

全ての人が「偏り」をもっている。
「偏りがある=生きている」ということ。
けれど偏りが強くなりすぎ、過剰になってくると、ほどく動きが出てくる。
それが、「急な波」。

大波・小波はあるもの。
人が波を恐れるのは、多くは教育に依るもので
例えばすこし調子が悪いと、「大変だ」「何何ではないか」と
心配してのぞきこむ。
体を健全にするために、病が起こることも多い。
症状がプラスに働いていく。

辛い症状を和らげたいと思うのはok、
けれどそれだけを考えていると、本来の働きを妨げてしまう。

春は、症状の波が大きい。それは生殖器系と関係があって、
本質的な変化につながるため。

新しい世代には、そうした教育をしないで
体の本来の働きを知って、身につけて欲しい。

「おちつく気功」などをぜひ続けて、その中の変化に気づき
「今日はぜひこれをやろう」という感じが出てくるのが、良い。

[実習・心がおちつく やさしい気功」。
(純)

2017.12.23

心と身体の大掃除 〜12/3京都

2017/12/3 於:朝日カルチャー京都「季節の気功」天野泰司
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*原点に還る

秋は、落ち着いた心の状態が続き、心が美しくなる季節。
冬は、春への準備が始まる。
ひきしまり、そして開いていく。

つぼみでも、閉じ方が良いと、開いた時美しい。
私たちも、寒さでひきしまり方がはっきりしていると、春の変化が明瞭。

例えば、朝、外に出て掃除をしたり
お寺のような所で、美しいお庭をみながら、ただ座る。
そうした場に身を置くだけで、心身がひきしまる。
加えて、
寒さで頭が緊張しやすい季節なので、目の温湿布で神経をゆるめ、
暖房等で乾燥もしやすいので、おいしい水をちびちび飲む。
そうしたことだけでよい。

[実習・目のてあて〜あくび〜心がおちつく やさしい気功」。

不要なものを排出し、必要なものを集めるのが「気の働き」。
頭をゆるめ、思考を休ませて、体の野性を取り戻す。
「体にまかせる」習慣を作る。

例えば、犬は腹帯をしめている訳ではない。
むしろ、お産が近づくと、おなかを地面にぺたっとつけて
冷やしにいく。そうすると収縮が起こる。
それを体が知っている。

心は常に移り変わり、浮き沈みがあって良い。
ひとつ所にしがみつかないで、全部流していく。
手放すほど、入ってくる。
それを、西田天香さんは「無一物中無尽蔵」と表現した。

[実習・肩の荷がおりる気功〜たたく]

イメージは淡く。頭があまり働かないように。

私たちは、豊かな世界にいつも出会いつづけている。
気持ちいい風景や、おなかの中の気持ちよさを思い出して
元の純粋な状態に戻って。

1ヶ月、1日、ひと呼吸、一瞬一瞬、私たちは死んではまた生まれ、
原点に戻って、新しい年を迎える。

(純)

2017.12.21

日月潭へ 4

2017/11/26、いよいよ最終日の朝になりました。

朝といえば、気功です。
ホテルの向かい、大安森林公園へ。

地下鉄の駅も、新しくて素敵。

雨のあとで、草地に出られなかったので、通路に並んで
からだほぐし。

地元の人が、声を出したり、ヨガみたいだったり、
伝統的な気功だったり、さまざま自由に
朝の時間を過ごしていました。
そこに混じる楽しみ。

木の中で。

二度とないような時間。

きのうまで日月譚にいたとは思えない、濃密な4日間。
朝食後は、成田へ、釧路へ、何日か残って友人と、それぞれの元へ。

関空組は貴重な台北での最後の時間、
天野は奇古堂で東方美人と梨山烏龍茶をゲット。
幸運にも、ご主人がいらして、さまざまお話伺えた由。
私はホテルで休憩。ぐっすり寝ていました。

日本のMKタクシーから、予約しておいた
空港送迎は、かなり安心、しかも40分弱でついてしまいました。
あとも、とてもスムーズ。

みなさんほんとうに、ありがとうございました。

戻ったら、10度の気温差。
事務所の庭の紅葉が鮮やかでした。

(純)

2017.12.19

日月潭へ 3

日月潭、3日目の朝は、湖ではなく山へ散歩に。

日月潭は、おいしい紅茶の産地。
台湾で紅茶といえば、日月潭紅茶の18番、「紅玉紅茶」。

ここは、昔、日本人の新井先生が
台湾各所をめぐって、紅茶にはここ! と決めて
今も、いろんなお茶が植えてあり、改良開発をされている猫蘭山。
改良場の周りが、自然歩道になっています。

茶畑と、さざんかの花。

霧が立つところのお茶は、おいしいといいますよね。

朝霧。
朝に、お茶畑に行ってみたいと思っていたら
桂月村のご主人が、何も言わないのに
ちゃんと連れて行って下さったのでした。

新井耕吉郎先生は、今も慕われているとのことで
記念碑には、お線香を上げられた跡も。

日本人の技師たちが住んでいた寮。
平家で、住みやすそう。

このあたりはやはり、水も良いそうで、
甘い香りの紅玉紅茶にぴったり。

虫がいるのも、農薬が使われていないしるし。

朝のお茶畑は、さわやか。

戻って、民宿「桂月村」のおいしい朝ご飯。

すっかりお世話になって、いよいよ今日はチェックアウト。

台中から、新幹線(高速鉄道)で、台北へ向かいます。
1時間、車内で素食弁当。穀物入りのご飯と、野菜です♪

ホテルは、大安森林公園の向かい。
よく鳴く、リスがいました。

残念ながら、小雨。通路で滑ってしまいました。
お茶を買いに、永康街の「治堂」で放心。
急に都会へチェックインした、あわただしさが抜けていきます。

夕食は、へちまの小籠包「盛園」。何を食べてもおいしい。

どのせいろが何だったかわからなくなるので、
「上海風」にはインゲンを1本入れることに。
その後、うちのテーブルの合い言葉は「上海」「隠元」に。

遅くまでにぎやかな台北。
娘はタピオカミルクティー、
私はブラックタピオカ入アッサムティなど飲みつつ、宿へ。

コンビニのさまざまな飲み物も、なかなか良くて
日本にあればいいのにと思うものも。

レシートは宝くじになっているそう。
1/25が抽選日、いちおうとっておこうかな。

明日は最終日です。
(つづく)

2017.12.11

日月潭へ 2

船で対岸の伊達邵へ。
一日乗船券を買うと、
手にスタンプを押してくれます。

お昼ごはんは屋台で。
焼き芋やバナナを買っている人、しっかりお店に入っている人、
私たちはかんたんに
粟の八宝粥や、豆腐花にタピオカとミルクティーが入ったものなど、
なぜか宝くじ売場の店先で。

もう一度船で、玄光寺へ。

玄奘寺へ。

人混みを抜けると、急に山道。
巡礼の道だったそう。

大きな葉っぱ。
竹の葉も大きくて、何か芋類のような葉っぱも大きくて
やはり南国。

玄奘寺は、とても静か。
三蔵法師の仏舎利などを祀ります。
戦争の間、日本に一度きていたものを、戻したそう。

休憩所で私たちはまた、暖かい飲み物を。
横書きの般若心経の写経をする人も。
書き上げたら、「般若心経ノート」がもらえます。

小さな蓮の花が、一輪開いていました。

門前からは日月潭が一望。
乗って来た船が、中央のラルー島に近づいて走っているのが見えます。

湖をながめつつ少し気功をして、下山。

朝はサイクリング、午後は山へ、充実の一日。

にぎやかな玄光寺から、船で水社埠頭へ戻りました。
宿の桂月村に戻ると、ほっとします。

夕食は、桂月村向かいの碼頭大飯店で
「邵(サオ)族風味餐」。
この地域の原住民をイメージしたセット、
竹籠に乗って、なかなかに楽しい容れ物に
期待通り、各テーブルごとに盛り上がらざるを得ません。
思ったより野菜も多く、美味しかったです。

飲み物は、邵(サオ)族のライスワインか、アッサム紅茶を選択。
日月潭紅茶のゼリー(タピオカのせ)がついてきます。

紅茶にすると、このマグ。
持ち手は足です。
思わずいたわってしまう私たち。

宿に戻ると、キッチンで、よしふみさんが
リーズナブルに入手したという
岩茶の王様、大紅袍を淹れてくださいました。
カップは日月潭の形に。

(つづく)

2017.12.06

日月潭へ

11/23-26、初めての台湾、「気功の学校」「禅密の学校」
合同の修学旅行。
私たち含めて19名、関空から、成田から、
そして現地集合組、それぞれが台中の駅で集合。
関空組は、新幹線に乗るべく
思いがけない全力疾走。
その甲斐あって、無事出会うことができました。

初めてwebで手配し、当日まで
慣れぬ携帯、台湾中国語でやりとりした
現地バス会社の24人乗り。
ほんとうに来ました!

赤くて乗り心地もよく、運転手さんも優しい雰囲気。
日月潭まで1時間、あっという間についてしまいました。
「慰安旅行感がいいわ」という声も。

かなりおいしかった、葡萄苺ジュース。
台湾のファミマ、飲み物良いです。

宿は「桂月村」。下見のときに連れていっていただいた
朝のサイクリングがよくて、やはり、みんなと来たいなと。
日本語のできるママさんと何度もやりとりして、
嬉しい再会。

隣のお店で夕食、ちょっと散歩。
日月潭中央のラルー島の神様を祀った
龍鳳宮に立ち寄りました。

月下老人のもとで、縁結びの神としても知られているそう。
後日、出直しておみくじを引いた独身組も。
なかなかにパワーありそうです。

月明かりの中、門前で湖とラルー島に向かってすこし気功、
湖とひとつになります。

翌朝は5:50、湖畔サイクリングへ。

湖面に、山から下りて来る霧。
霧がたつところのお茶は、おいしいとか。
日月潭の紅茶は、台湾でいちばんです。

だんだん日が上ってきました。
朝日に向かい、すこし瞑想。

展望台で日の出を見ながら、宿のご主人から
さまざまなお話を伺いました。

ラルー島は昔、山だったのを、日本人がダムを造ったので島になったこと。
常に湖水を循環させて、電力が途切れないようにし、
台湾全土の電力を発電できたこと。
ラルー島の上には、お寺があったのを、地震で壊れたので
龍鳳宮に祀り直したこと。
アメリカ軍がダムを爆破しようとしたのを、日本人がくいとめたこと。

湖に向かって気功、自転車で戻ります。

途中、向山ビジターセンターへ。
流れるような設計は、日本の團紀彦氏によるもの。
また開いている時にゆっくり来てみたいな。

ご主人にずっとついてくる犬。

お昼前から、対岸へ船で出発。
白い馬がついてます。

つづく。
(純)

2017.10.27

思いを手放す 〜9/10京都

2017/9/10 於:朝日カルチャー京都 天野泰司
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*思いを手放す

なぜ私たちは、さまざまな苦しみと共にあるのだろうか。

苦しみを減らすには、心の許容量を増やしていく。
生きていること自体が幸せ、心のチャンネルを自分で切り替えてゆく。

生まれる以前からずっと続いている心の状態を、「先天」と呼ぶ。
それは、普段の日常的な心の動きとは違う、言葉以前の世界。

言葉に翻訳できる心の部分を、「後天」と呼ぶ。
それを、分けて考える。

例えば、家にいる動物たちとは、言葉を通して心が伝わっていくけれど
インターネット上で飛び交うメッセージでは、誤解も生まれやすい。
声の調子や表情、間の取り方、心の向かう方向、
体が緊張しているのかゆるんでいるのか等等、
コミュニケーションでは、「体につれて動いているもの」が、多くを占めている。

「言葉以前の心」が、体に宿っている。
BodyとMindは、相互に作用し、影響し合っている。
その両方を、同時にみていくことが大切。

気功では、意識的な働きを静めていくことを「入静」と呼ぶ。
何度でも繰り返し、ゼロに戻る。
「先天の心」が、はっきり現れてくる。

今を生きているのは、先天の心。
将来や過去を考える、時間感覚をもっているのが、後天の心。

方法はやさしい。
体の心地よさに集中し、頭の中を空っぽにする。
そうやって、時間につながれている感覚から自由になる。
心と身体の両面をつないでいけるのが、気功の良さ。

心に浮かぶ、さまざまなおしゃべりにつきあわない。
雑念と呼ばれるものは、淡々と見て、あいづちも打たない。
ただ、聞いているようにすると、会話は成り立たない。
そうしていると、言葉以前の体の部分が、大きく変化する。

[実習・あくび〜心がおちつく やさしい気功」。

「入静」は、集中を保ちながら、気楽にやってみる。
自分を見張る気持ちや、緊張感ではない。

起きているのとは違う、眠っているのでもない。
瞑想的な感覚を特別なものにしない。
心が静かになるのではなく、心がさまざまに動き、流れ、留まらない状態。

心を、つなぎとめることをしない。
楽しかったことや、気持ちよい体験にこだわると、苦しみもつなぎとめてしまう。
一時的な幸せを壊したくない思いが、
心をつなぎ止める。
手放したほうが気持ちよい。

気功をすることを積み重ね、日常でも思いを手放すようにしていくと
ちょうどいいことが、ちょうどいいだけ起こる。

「盛り上がったような気持ちよさ」を手放す。
大変なことを、手放す。

同じことをしていても、毎回新しくて、飽きることがない。
毎回毎回、違う気持ちよさがある。
新しい気持ち、新しい体で味わう。
その後には、深みのある心地よさがある。

*秋の体 

秋の焦点は、腰。
なでる、足湯、水をのむ。

足裏・内股・耳・腎臓のてあて、脇腹・後頭部などの
どこか一カ所にはっきり出ていることが多い。
その時々に、したいところを、ゆっくりなでたり、てあてする。
その一カ所から体全体が変わる。

[実習・耳をこする〜腎臓のてあて、体をねじる]
[実習・肩の荷がおりる気功
(純)

2017.10.25

流れる心へ〜「禅密の学校」秋分

「禅密の学校」9月の2日間より、
お話の一部をまとめます。

2017/9/23-24  天野泰司 
於:アスニー山科和室
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昼と夜が同じ長さ、陰陽がバランスする日、秋分。
本来分かれていないものを、分けることによって合わさることができる。
陰陽の原理、昼と夜、男と女、天と地。
そこに躍動のエネルギーが生まれる。

すべては、仮に分かれている。
分けて、それが決まっているかのように扱う危険性。

なぜ生きているのか。
この状況は何なのか。
複雑な現状を、生まれる力・捨てる力、それが引き合う
単純な原理として感じていく。
生命のダイナミックな波の中にいる、その原点に立ち返ると
生活が違って見えてくる。
そうしたことを、体を通じて感じていく。

具体的には、陰陽合気法天地部・人部、寿の法、穴追いなど。

心を整えていくのによい時期。
土台は「背骨が自由」=体の中の流れがスムーズ。
そしてより細かく、微妙な味わい、体の動きに落とし込むことで
心も動いていく。

辛い思いが浮かんでくるということは、
その心の傷を乗り越える準備がある、ということ。

不安には、「〜になったらどうしよう」という将来への不安と、
過去の不安の持ち越しが多い。

「〜になったら」「〜にならなかったら」、揺れる心。
不安な心と、不安になってはいけないと思う心。
どちらにしても不安で、
その力同士がぶつかりあってどこかで止まる。

動かなくなった心は、「ばくぜんとした不安」に変わる。
それが、体を壊す一番の原因。
「そのまま止まっている心の状態」がたくさんある。
固定して持ち越す、心の奥底に沈んで隠れてしまう。

隠れていた思いが浮き立ってきた時に、体をほぐす。
天地、自然と一体になった感覚を持つ。
「おちつく気功」もよい。
ふつふつと、出てきたものがおさまってくると、消えていく。

どっちでもいい。
一番いいことを選択する、それが自然。
理解は大切だが、理解しているだけでは迷うだけで決まらない。

「不安をしょったまま、生きるのをやめよう」という
楽しい決心をしよう。
不安から離れよう。

自由な心が、全力発揮につながる。
死の淵迄行ったような人が生き返った後、大きく活躍することがある。
それは、心の自由を得たから。

生きている限り、心の自由度を広げていく。
心の掃除をこまめにするように、
そうした方向へ、向かう明るい決心をしよう。

人のために、全力発揮することを慈悲と呼び、
心の自由を実現して、全力発揮することを「空を理解した」という。
それは同じ物事の1つの側面、
自由な心とは、ただ、流れている心。

[実習・禅密功基本功・陰陽合気法天地部・三円功]

[実習・肩と腕…合谷のてあて、穴追い]

[実習・気の法、寿の法]

(純)

2017.10.24

楽になるレッスン〜心が澄み渡る 10/21中之島

台風の近づく、選挙の前日。じっくり少人数。
中之島の18階は、こころと向き合う
天空の異空間でした。

2017/10/21 於:朝日カルチャー中之島 天野泰司
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*心の声に従って

「心」は、コロコロ変わっていくのが自然。
嬉しかったり、悲しかったり、怒ったり。
その状態を引き止め、つなぎとめようとすることで
安定からより離れていく。

予測しないことは、起こるもの。
抵抗したり、歯向かったりしない。

心には、波があるもの。
波打つこと自体が、健全な心。
心を静めようと努力を重ねれば重ねるほど、
苦しみ、悲しみの中に留まることになる。

明日は投票日。新しい動きが起こっている。
自然発生的に、今必要だから出てきたことが大切。

「自発的な動き」は、完全な自由、圧倒的な自由で支えられる。
限定付きの「自由」や
「まぁ、ここまではいっか」と自分で決めた自由でもない。
身体から湧き起こる何かに従って、すべてを投げ打つような
「今、これがいいぞ」と思うことをやっていく。

もちろん、生きていく上でさまざまな制約はあるが
知らず知らず、自由な空間に、自ら線引きをしている。
そんな枠の中で、知らずに頼っていたものが
がらがらと、不可抗力的に崩れていくことがある。
魂の声に従って、枠を取り払って動く時。

今回の選挙でも、心の声に従って
自主的に立ち上がった人たちは、活き活きした表情をしている。
心がスッキリしていると、身体も活き活きと働く。
心と身体はひとつ。

秋は、心理的な面が前面に出てくる季節。
涼しくなって、心が繊細になり、それが身体に反映する。

辛く苦しかったことが、ふっと浮かんでくる時でもある。
過去の辛さや怒りが、体のどこかに留まって
「漠然とした辛さ」として、心身に作用し続ける。
秋は、それを精算できる好機。
辛さ、出来事が浮かんできたその時に
体の不快な部分を、ただ感じる。
解決しようとしなくてもよい。

そうすると、過去の苦しみがひとつひとつ取れて、流されていく。

[実習・あくび」〜浮かんでくる違和感に、集中しながら。

うつむいてゆっくり息を吐く。ゆっくり頭を上げて、楽に上を向く。
口をあけて、あくびになったら正面に戻る。3回。

心がおちつく やさしい気功」〜気持ちよさに集中しながら。

*楽なほうへ動く

楽なほうへ動くことで、整う。
その中で感じる痛みは、耐えられないものではない。
「もう少しでスッキリするぞ」感がある。

「ゆっくり」動く。なるべく繊細に、体中の感覚を働かせる。
感覚が広がってくると、それにつれて体が一番いいように動き、
自然な働きが引き出されていく。

「心の自然な働き」も、信用して良い。
心は、「コントロールしなければいけないもの」ではない。

心を澄ませてゆくことの意味は大きい。
以前に比べて、ゆとり、余裕がなく、環境的にも
心が自由になる時間、スペースが少なくなって来た。

自分を忘れ、自然とひとつになる時。
山に上って、はるか彼方を見下ろす時。
「自分を見張っている心」から離れ、
解き放たれた心が、元の居場所に戻る。
旅は、原点回帰になる。

けれどこうして今生きている中に、雄大な自然の営みがある。
「私」は、神秘の固まり。
地球に生命が誕生してから、途切れなくつづく生命。
体にふれていくことで、たやすく原点回帰が出来てゆく。

なでる、味わう、心が透明になる。
昔は武士も茶道やお能をしたり、出陣の前に歌を詠んだりした。
死んでもいい、だから強かった。
自分の枠がなくなり、我を忘れる。
そうした時に、力が発揮できる。
自分を含めた全体のために、力が湧いてくる。

枠の中に自分を引き止めない。
自由な心に戻れるような時を作る。
一瞬の中に無限の広がり、そうしたものと出会った瞬間を大切に。

*冷えについて

「冷えたらあたためる」と、『はじめての気功』に書いた。
冷えることを心配して、何枚も重ねることを続けていると
それがなくなった時に冷える。
それよりも、冷えた時に、冷えたところをすぐにあたためる。
そのままに置いておかない。

寒さでちぢむ、あたたまってゆるむ、またちぢんで引き締まる、
そのリズムで体は強くなる。
京都は厳しい冬、暑い夏に鍛えられて、長寿の老人が多い。

[実習・足の指の間を開く]
足の裏と、足の甲をゆっくりなでる。
それぞれの指の間、骨と骨の間を、先から上へ広げながらたどっていくと、
狭くなっているところがある。
3・4指間が狭くなっていると、冷えている。
小さな固まりを見つけたら、そこにじっと
軽く両手の親指を重ねて、しばらく集中する。

最後は立って、のびのびと動いて終わりました。
次回を楽しみに、みなさん気持ちよく帰られました。
ありがとうございました。
(純)

2017.08.24

願いをかなえる〜七夕てあての会

恒例になった「七夕てあての会」。
理事・よしふみさんが切ってきてくださった笹に
みなで短冊をつるし、周りで盆踊り。
願いを天に届けました。

「願いが叶うことは自然」と天野がいう、ポイントをまとめてみます。
(純)

2017/8/11 天野泰司

・・・・・・・・・・

自然は、無限に変化しつづけ、とどまることがない。
いま生きていること自体が奇跡、
「私」と他の人とは違う。
体に正直に生きる。

「やりたいこと」と、「やらなければいけないこと」を、今日は区別して
「やりたいこと」を短冊に書く。
体に聞いて、明瞭に分ける。

同じ方向を向いて、同じことをやっていく、全体主義にはすぐ限界が来る。
そのブログラムは単純なので、何度でも発生するが
合わないことに努力しない。
同じ方向を向かない。

「右向け右」ではなく、「どっちでもいいよ」という世界観にいないと
それぞれに最適なものは選べない。
思い、願いが叶った状態、それだけを思い浮かべ、枠を外す。

短冊を書くときは、
・過去形、現在進行形で書く。(身)
・書いてから、つぶやく。  (口)
・ありありと空想する。   (意)

密教で「三密相応」と言うが、
「自分が何をしたいか」に照準を合わせて、「身口意」を一致させる。

その時に、みぞおちがゆるんでいて、下腹部に張りがあるなら叶う。

もう決まっていること、決まっていないこと
どちらも書いてok。
決まっていることは、イメージを鮮明に、
事象をひとつひとつ詳しく分割して書く。
決まっていないことは、「実現する」+「その中の大事なポイント」に絞る。

自分のことを書く。
叶って困ること、人のことは書かない。

ユングが「集合的無意識」と表現したが、
意識できない9割の「潜在意識」、体とつながる部分は
みんながつながっている。
ひとりの夢が叶うことが、みんなの夢がかなうことにつながる。
それは、インターネットのしくみと似ている。

本来の、「自分のやりたいこと」をはっきりさせていく。
そして、書いて、つぶやき、空想して、忘れる。
そうすると、潜在意識の深いところへ
願いがストンと落ちる。
こうして「短冊」という形で、吊るして燃やして煙になり、
天に手渡していくのはとても良い。

自分の、手をあてたいなと思う所にてあてして
気づかなかった痛み、違和感に気づく
「てあて」もよい方法。
潜在意識との交流を深め、潜在意識が変わる。
[実習・足と首のてあて]

「生きている」こと自体、「生きよう」とする
願いが叶っている状態。
その中の細かいことをみていく。
日常を「夢を実現しつついる状態」として、
細分化して、独立した願いを立てていく。

[実習・短冊をかく〜周りで江州音頭♪]

(純)

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