気功のひろば
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2021.02.22

相反するものの対立

The Book of Life
2/22のテーマは
Conflict of the Opposites

以下、天野の訳です。


いったい「悪」などというものがあるのでしょうか。
注意深く、ついてきてください。一緒に探っていきましょう。

私たちは「善」と「悪」があると言います。
「嫉妬」と「愛」があり、
嫉妬は悪いことで、愛は善いことだと言います。
なぜ、私たちは人生を分断するのでしょう。
これは善い、あれは悪いと呼ばわり、
そのことで、相反するもの同士の対立を生じさせているのに。

人の心には、妬み、憎悪、残忍性などが無いということでも、
思いやりや愛が欠けているということでもありません。
そうではなく、なぜ、善と呼ばれるものと、悪と呼ばれるものに人生を分けてしまったのかと問うているのです。
実際には、ただ一つの状態があるだけではないですか。
それは「注意深くない心」ですね。

そうです。完全な注意が払われている時、すなわち、
心が全面的に目覚めていて、注意が全てに行き届き、
あらゆるものが見えている時、善悪といったものはどこにもありません。
ただ目覚めている状態があるだけです。

そのとき、「善性」とは、良性とか徳性ではなく、
ただ愛がある状態となります。
愛がある時には、善も悪もない。ただ愛があるだけです。

もしあなたが誰かを本当に愛したとき、
良いとか悪いとかを考えることはなく、
あなたの全存在がその愛で満たされています。
そして、全てに行き渡った注意、つまり愛が止んだときにだけ、
そのままの私と、あるべき私との間の葛藤が生じます。
そのとき、そのままの私は「悪い私」で、
あるべき私は、いわゆる「良い私」となります。

自分の心をみつめていて、何かになろうとする心が止んだその瞬間に、
普段の行動が止みますが、それは停滞ではありません。
それが、全面的な注意が払われている状態
「善性」なのです。



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