気功のひろば
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ブログ

2015.08.06

真の革命家

The Book of Life
8/6のテーマは
The True Revolutionary

以下、天野の訳です。

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真理は、立派な人のためのものではありません。
自己を拡大し、満足させようとする人のものでもありません。

真理は、安全を求め、永続性を求める人のものでもありません。
その永続性というものは、単に、永続しないということの反対に過ぎません。
時間という網の目につながれたとき、永遠に続くものを求めるのです。
しかし、その求めている永遠とは本当のものではありません。
なぜなら、その求めている永遠は思考の産物だからです。

ですから、真実に目覚めようとするものは、求めることを止めなければならない。
それは、あるがままの状態に満足しなさいということではありません。
その反対で、
真理の探究に没頭しているものは、
心の中では、完璧な革命家でなければなりません。

どのような階級にも属さず、
どの国にも、どんな団体や思想にも、教団の信仰にも属することはできません。
真理は、寺院や教会の中にあるのではなく、
手で作られ、心によって作り出されたものの中に見つかることはないのです。

真理が現れるのは、
心によって作られたもの、手によって作られたものがどこかへいった時だけです。
それは時間の関与するものではありません。
「時間」から自由な人にのみ、
時間を自己を拡大する手段として使っていない人にのみ
真理は訪れます。

「時間」とは、昨日の記憶を意味しています。
家族の記憶を意味しています。
あなたの民族を、あなたの特徴や特質の記憶を意味しています。
あなたの経験の蓄積を意味しています。
その経験の蓄積が、「私」と「私のもの」を造り出しているのです。

————————

*訳者コメント

気功の学校のスタートには、「原点のゼロに戻る」話をします。
今まで積み上げて来た様々な知識や経験を全部水に流して、
気分は小学校の一年生。まっさらな新しい気持で学びを始めましょう、と。
これには大きく2つの意味があります。
一つは、くつろいでリラックスした自由な空気を教室に呼び込むこと。
もう一つは、先入観念の徹底的なお掃除です。
どれだけリラックスが深まったとしても、技術や心得を伝えたとしても、
その人の中にドンと居座っている観念が動かなければ本当の学びは起こらない。
自然という柔軟な基礎の上には、それにピッタリの変幻自在な家のみが建ちます。
天野

2015.06.30

あなたは、あなたが戦っているそのものになる

The Book of Life
6/30のテーマは、
That Thing Which You Fight You Become

以下、天野の訳です。
————–

そうです。
あなたが戦っているそのものが、
あなたがそうなっていくものなのです。

もし、私が怒っていたとして、
あなたも私に対して怒ったとすると、
どんな結果になるでしょうか。
あなたは、私と同じところのものになるのです。

もし、私が非道なことをしていて、
あなたが非道な手段で私と戦うのなら、
あなたも悪党になってしまうのです。
たとえどんなに正当性を感じていようとです。

もし、私が残忍で、
あなたが残忍な方法で私を打ち負かそうとするのなら、
あなたも私と同じように残忍になってしまうのです。

こうしたことを、
私たちは何千年とやってきたのです。

もちろん
憎しみに憎しみをもって対抗する以外に
別のやり方がありますね。

もし、自分の怒りをしずめるために、
暴力的な方法を用いるのなら、
私は、正しい目的のために
間違った手段を用いていることになり、
そのために、正しい目的も消滅してしまうのです。

そこには怒りに対する
なんの理解も超越も有りません。

怒りは、寛容に学ばれ、理解されるものであって、
暴力的な手段で克服されるものではないのです。

怒りは、たくさんの原因の結果として起こっているのでしょう。
それらを理解しないで、怒りから解放されることはありません。

私たちは、敵を造り出し、悪党を造り出し、
自分自身をも敵にしてしまいます。
憎悪というものに終止符を打つ方法のないなかで。

私たちは、憎しみの原因を理解し、
私たちの思考、感覚、行動を通じて、
憎しみや敵対を肥やすことを止めなければなれません。

これは、とても根気のいる仕事です。
とぎれることのない自分自身への気づきと
知的な柔軟性が求められます。

なぜなら、
私たちが社会であり、
私たちそのものが国家であるからです。

敵や味方というものは
私たちの思考と行動の産物です。

私たちは、
敵というものを造り出したことに対して責任があります。
ですから、敵や味方ということに関わっていることよりも、
自分自身の思考や行動に気づいていることがもっと重要なのです。
正しい思考は、分け隔てというものを終らせます。

愛は、友や敵を超越しています。

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訳者コメント

気功では、相手はいつも自分の映し鏡。
響き合っているからこそ、
「自らが整う」ことが全ての鍵となります。

天野

2015.06.20

ふと気づくこと

The book of Life
6/20のテーマは
Passive Awareness

以下、天野の訳です。
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気づきの中には、
「何かになろう」とすることはなく、
「何かを得よう」とする目的もありません。

気づきの中には、
静かな観察があります。
何かを選ぶことも、決めつけることもありません。
そしてそこから、はっきりした理解が生ずるのです。

気づきの中では、
思考も感覚も、自ずと開いています。
それは、得ようとすることも、
受け容れようとすることもない中にのみ起こります。
すると、そこにもうひとつ深い気づきが起こり、
全ての隠れていた諸相とその重要性が明らかになっていくのです。

この気づきから
「創造的な空」というものが明らかになっていきます。
想像することも、言葉で言い表すこともできないそれが。

「もうひとつ深い気づき」と、「創造的な空」は、
ひとつながりのプロセスで、別々の状態ではありません。

あなたが、静かに問題を観察する時、
非難することも正当化することもなく観察する時、
そこに「受動的な気づき」が訪れます。
この中で、問題ははっきりと理解され、解けていきます。

気づきの中には、
高められた感覚があり、
そこには最高の消極的思考というものがあります。

心というものが形づくられ、生み出されていくとき、
そこには、何の創造もありません。
心が静かで「空」であるときにのみ、
何の問題も造り出すことがなく、
その注意深い受動性の中でのみ、創造がおこるのです。

創造はこの消極性の中でのみ起こります。
これは積極性の反対ではありません。

「何ものでも無い」ということは
「何かで有る」ということの反対ではないのです。

問題は、結果を求める中からのみ生じます。

結果を求めるということがなくなったとき、
そのときにのみ、何の問題も存在しないのです。

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訳者コメント

気功では、積極的な消極性を身につけていきます。
例えば、ふりこの動きでは、
動きながらどんどん腕の力が抜けていく。
そして、力が抜ければぬけるほど、
自由で動きやすくなることを体験します。
また、頭をポカンとさせて思考が鎮まっていくことで、
ちょうどよい動きが自然に出てくるようになり、
体の不調も簡単に治ってしまうことがあります。
それらは頑張らない、考えない、ということではなく、
感受性を全開にして、
体、心、頭のゆるみを深めていくということです。

天野

2015.04.15

結婚について

The Book of Life
4/15のテーマは
In Considering Marrige
以下、天野の訳です。
—————

結婚の問題について考えてみましょう。
その中には性的な関係や、愛情、おつきあい、対話などが潜在しています。
もちろん愛がないのであれば
結婚というものはみじめなものになるでしょう。
そうではありませんか。
単なる満足になってしまう。
愛するということは、最も難しいことの一つですね。
愛は、私が無い時にだけ、生じ、存在することができます。
愛がなければ、交際は苦痛です。
どんなに愉快で、どんなに表面をつくろったとしても、
退屈で、型にはまって、ただ習慣的に繰り返すことになってしまいます。
結婚に潜在している全てのものがそうです。
そして、性の問題がとてもはっきりと浮き立ってきます。
結婚について考える時、
それが必要であるかどうかには関わり無く、
まず始めに「愛」についてしっかり知らなくてはなりません。
もちろん、愛は純潔なものです。
愛がなければ純潔ではあり得ません。
あなたが貞操を保っていたとしても、
男であっても、女であっても、
それは純潔でもなく、純粋でもない、
もしそこに愛がないのなら。
あなたが貞節についての理想をもっているのなら、
つまり、あなたが純潔であろうとするのであれば、
その中には愛はありません。
それは何かになりたいという欲望です。
あなたが気高いと思っているそのものになろうとし、
あるいは、真理を知る助けを得ようとしているのです。
だから、そこには愛がまったくないのです。
性欲にふけることは純潔ではありません。
それは、ただ堕落し、みじめになっていくだけです。
だから、理想の追求がはじまる。
そのどちらも、愛を締め出してしまう。
どちらも何かになろうとし、
何かにふけっている。
そうすると、
「あなた」が重要なものになる。
その「あなた」が主要なものになっている時、
愛はそこにはないのです。

2015.04.08

The Book of Life
4/8のテーマは「Sex」
以下、天野の訳です。

—————–

セックスは問題です。
性行為の渦中には、
完全に私が無くなっているように思われるからです。
その瞬間、あなたは幸せです。
自意識が停止し、「私」というものが無い、
そして、それをもっと欲しいと思う。
もっと自己を放棄したいと思う。
そこには、完全な幸せがあり、
過去も未来もない。
この全てが溶け去った、一つにとけあった、
完全な幸せを望むことは、
自ずと極めて重要な事項となるでしょう。
そうではありませんか。
純然たる幸せを私にもたらし、
完全に自己を忘れ去らせるものなので、
もっともっとそれが欲しくなる。
では、なんでもっと欲しくなるのでしょう。
どこへいこうとも葛藤があり、
どこへいこうとも
存在している様々なレベルで自己の強化が行われるからです。
経済的に、社会的に、宗教的に、
止むことのない自己意識の肥大化がおこっていて、
それこそが葛藤そのものなのです。
結局、葛藤が存在する時にのみ自意識があります。
自己意識というものは、その本性として、葛藤の産物なのです。
ですから、問題なのはセックスではなく、
もちろんですね、
自己からいかにして自由になるかということです。
あなたは、自己の無くなった状態を既に味わっている。
ほんの数秒でも、ほんの数日でも、
あるいはもっと長くても。
そして、そこに自己があれば、葛藤があります。
そこには苦悩があり、闘争があります。
ですから、もっと自己から解放されたいと切望し続けるのです。

2015.03.04

深い気づきへ

The Book of Life
3/4のテーマは
Become Deeply Aware

以下、天野の訳です。

・・・・・・・・・・・・

依存は、孤高や執着を招くことになります。
絶え間のない葛藤、そこには理解も、解放もない。
あなたは、執着と依存のプロセスに、気づいていかなければなりません。
批判や判断をはさまずに、気づいていくのです。

すると、
あなたはこの全く望みもしていない葛藤の重要性に気づくでしょう。
もしあなたが深く気づき、
意識して、欲求や依存の完全な理解へと思考を導くのなら、
あなたの意識的な心が開かれ、
そのことについて明らかになっていくことでしょう。

そして、潜在意識が、
隠れている動機、欲求、意図などとともに、
意識に自ずと投影されていくでしょう。

そのとききっと、あなたは学び、悟るのです、
潜在意識がほのめかしているそれぞれのものごとを。

何度も何度もそうしていると、
意識がその問題をできるかぎり明快に考え抜いた後に
潜在意識の投影に気づくことを繰り返していると、
たとえあなたが他のことに気を取られていたとしても、
意識と潜在意識とが、
依存の問題や、その他の様々な問題も解消していくでしょう。

そうです。
とぎれのない気づきがここに確立されているのです。
根気よく、おだやかに統合へと導く気づきが。
そして、もしあなたの体が健康で食べることも不自由なければ、
その気づきが、次々に、
生きていることの円満な素晴らしさをもたらしてくれるでしょう。

2015.01.08

全霊で見る

The Book of Life
1/8のテーマは
Look with Intensity

以下、天野の訳です。

・・・・・・・・・・・・・・・

学ぶということは
とてつもなく難しいことのように思います。
ちょうど聞くことがそうであるように。

私たちは、何かを本当に聞くことは決してありません。
それは、私たちの心が自由でないからです。
私たちの耳はもういっぱいになってしまっている、
既に知っていることによって。

ですから、聞くということが特別に難しいことになってしまうのです。

私は思うんです、というよりこれが真実なのですが、
もし全身全霊で、活き活きと、生命を輝かせて
何かを聞くことができたなら、
まさにその聞くということが、
自由へと導く要因となるのです。

ところが、不運なことに、「聞く」ということをしないのです。
ちょうどそれを学んだことがないように。
結局のところ、
学ぶということは、何かに全身全霊で入っていった時にだけあるのです。

あなたが全霊で数学に取り組んでいる時、あなたは学びます。
しかし、対立的な状態にある時、
学びたくない、でも学ばなければいけない時には、
ただ単に何かが蓄積していくということになってしまいます。

学ぶということは、
小説を読んでいるようなものです。
とてもたくさんの登場人物が出てくる小説です。
全ての注意をそこに向けることが必要です。
対立的な「しなければならない注意」ではありません。

もし、葉っぱのことが学びたかったら、
春、あるいは夏の葉っぱについて…、
その葉っぱを本当に見なければなりません。

左右対称の形を見て、手ざわりを感じて、
生きているその葉っぱの特質を見るのです。
その一つの葉っぱの中には、
美しさがあり、活力があり、生命の輝きがあります。

ですから、葉っぱのことを学び、花のことを学び、雲のことを学び、
夕日について学び、人間について学ぶのであれば、
全霊で集中して見る必要があるのです。

2015.01.01

楽々と聴く

The Book of Life
1/1のテーマは
Listen with Ease

以下天野の訳です。

あなたは、とても静かに座ったことがありますか。
何かに注意を向けることなく、
集中しようと努力することなく、
それでいて心がとても静かで、
本当にシーンと落ち着いている。

そのとき、あなたは全てを聞いている。そうではありませんか。
はるか遠くの物音を聞く、
もっと近くの音や、すぐ近くの音と同様に、
直接に音そのものを。
それはまさしく、全てを聴いているということです。
あなたの心は一つの狭いチャンネルに限定されていません。

もしあなたがこのように聴くことができたなら、
楽々と、何の緊張もなく聴くならば、
あなたの中で、とてつもない大きな変化が生じることでしょう。
あなたの意志や要求から生じるのではない変化が。

そして、その変化の中には、
大いなる美しさと
直覚の深みがあるのです。

———————-
以下、天野のコメントです。

私たちが何かを聴くとき、
今までの経験、知識、興味に従って、期待し、
想像している通りのフィルターをかけて聴いています。
純粋に聴くということは、ありそうでいてなかなかない。
偏って聴いている。
そのことを自覚すると聴き方が自ずと変化してきます。

何かを判ろうとして一生懸命に聞こうとしている、
その識別的な努力を手放して、ただ左右の耳の感覚を研ぎすます。
そうすると、聴いている私と、聴かれている何かとの分離がなくなり、
無限の音の中に私があり、私の中に無限の音がある、
というような「空」とか「無」と呼ばれる右脳的、直観的な世界が展開し始めます。

能動的に聴こうとするのではなく、
またいつものように偏ってぼんやり聴いているのでもなく、
受信感度を上げて、ただありのままの全ての音をすーっと受け取っていく。
そうすると、イヤホンで片耳で聴いていた音が、
左右の耳からステレオになって立体の音像が楽しめるように、
何の変哲も無いこの日常も無限の変化に富んでいて、
なんとも美しく感じられるようになります。

具体的には、心身共にリラックスして、頭をポカンとさせ、
左右の耳で聴く。
ゆるむと自ずと感覚が高まり、ありのままの音を受信しやすくなります。

天野

2014.12.31

瞑想は生活に不可欠

The Book of Life
12/31のテーマは、
Meditation Is Essential to Life

生活の中に、息をするのと同じぐらい自然に、「瞑想」ということがある。
食事をするのが楽しくまた必須なように、
瞑想という先天回帰もまた必須で、生に大きな潤いを与えてくれるもの。
瞑想という名前も必要ないのかもしれない。
ちょうど「気功」という名前があってもなくてもいいように。

以下、天野の訳です。
—————

何かの影響による問題、その全てにはっきり気づくには…、
経験の影響、知識の影響、
内的な、あるいは外的な動機の影響に気づき、
何が正しくて何が間違っているのかを見極めようとし、
また、いわゆる間違いのなかにある真実を見ようとすることには…、
とてつもない洞察力が、
ものごとをそのままに把握する、深い内的な理解が必要です。
そうではありませんか。

この全プロセスは、まさしく、瞑想するということです。
瞑想は生活の中の必要欠くべからざるもの、
日々こうしてあるために無くてはならないものです。
ちょうど、美しさというものが無くてはならないように。

美しさを感じること、あるいは物事に対する感覚は、
みにくさを感じることも、美しさを感じることと同様に、必須のものです。
美しい木を見て、夕刻の素敵な空を眺め、
広大な地平線の雲間に太陽が沈んでいくのをみつめる。
これらは全て必要です。

美しさを感じること、そして瞑想をするということも必要なのです。
それは生活そのものだからです。あなたが会社に行くことも、
けんかをすることも、苦しみも、絶え間ない緊張も、
心配も、極度の恐れも、愛も、餓えも、生活であるように。

そう。こうした存在のありかたの全てをはっきりと判ること、
様々な影響について、悲しみ、日々の緊張、権威的な外見、政治的な行動、など、
これら全ては生活ですが、この全てのプロセスにはっきり気づき、
心を自由にすること、それが瞑想なのです。

もし、「この生活」を本当に理解するのなら、
そこにはいつも瞑想的な働きがあり、いつも内観的な働きがあります。
何かに対して、ということではなくです。
今ここにあるということの、全てのプロセスに気づき、
それをよく調べ、熱心にではなくその中に入っていき、
そのことから自由であること、
それが瞑想です。

2014.10.11

活発な、落ち着いた心

The Book of Life
10/11のテーマは
The Active Still Mind

以下、天野の訳です。
—————

とても落ち着いた心は、
驚くほど活動的で、生き生きとしていて、
潜在力があります。

特定の何かに対してということではありません。
単に言葉から自由なのです。
経験から自由で、
知識から自由なのです。

そうした心は、
本当のことを感じることができます。
直接に感じるのです。
それは時間を超越しています。

心が静かになるのは、
時間のふるまいについて判った時で、
それには注意深さが必要です。
違いますか。

野放しの自由にしておいてはいけませんね、
何からも自由ではない、でも自由なのですから。

私たちは、何かからの自由しか知っていません。
何かから自由な心というものは、自由な心ではありません。
そのような自由、
何かからの自由というものは、
単なる反応です。
自由ではありません。
自由を求め続けている心は、決して自由になることがないのです。

しかし、心が、真実を理解した時には、心は自由になります。
ただそのとおりに、
何の翻訳もなしに、
何の決めつけもなしに、何の判断もなしに。

そして自由であるなら、
その心は無垢な心です。

100日生きていようと、
100年生きていようと、
全ての経験を持っていようとも。
自由だから無垢なのです。

何かから自由なのではない。
それ自身が自由なのです。

そのような心だけが、
真実を感じ、
時間の向こうにあるもの感じるのです。

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