気功のひろば
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ブログ

2014.02.01

「何かになろうとする」ことは葛藤である

The Book of Life
2/1のテーマは
Becoming Is Strife

私たちは
「こうなりたい」という気持で動いていることがとても多くあります。
もしかすると、生活の大部分がそうかもしれません。

そうして大義や目標をかかげて切り開いて来た文明社会は、
様々な物質的な恩恵ももたらしてきた面もあるけれど、
一方で、精神的な貧困をもたらした部分もあります。
物質的にはこれだけ豊かになった今、
精神的な豊かさを取り戻す鍵は、ここにあるかもしれません。
今を否定して、今は苦しんでも将来を夢見る。というように、
自己の葛藤を引き起こすような心の使い方から、
「今をそのままに感じ、今直接に幸せを味わう」という
思考以前の生命の本源に還っていく流れが、
確実に興って来ているように思います。

以下、天野の訳です。
・・・・・・・・・・・・・・

生きていること、
私たちが良く知っている「日常の生活」とは、
絶えず何かになろうとしていることです。
私は貧乏。だから、最終的に裕福になることをイメージして行動します。
私は器量が悪い。だから私は美しくなりたい。
このように、生きていることは、
何かになろうとする道程になっているのです。

生きようとすることが、何かになろうとすることになっている。
異なった意識レベルへ、異なった状態へと。

その中では、挑戦があり、反応があり、名前をつけること、記憶されることがあります。
今、……この「何かになろうとすること」は、葛藤です。
今、……この「何かになろうとすること」は、苦痛です。
そうではありませんか。
これはずっと続く苦闘なのです。
私は「これ」であり、私は「あれ」になりたいのです。

2014.01.30

自らについて知ること

The Book of Life
1/30のテーマは
Self-Knowledge

「私とは何か?」ということを
知識としてだけでなく、感覚として理解することが
生き生きとした世界が花開く土台。
1つであることを思い出し、ポンとその中に入る。
そうしたことは、実際には身の周りにあふれています。

以下、天野の訳です。

正しい思考は、自らを知ることを通じて生じます。
あなた自身を理解することがなければ、思考の土台自体がありません。
自らを知ることがなければ、あなたが考えていることは真実ではないのです。

あなたと、この世界とは、2つの別々の問題を持った異なる事象ではなく、
あなたと、この世界とは、1つです。
あなたの問題は、この世界が抱えている問題です。

あなたは、何らかの傾向、環境的な影響を受けて、その結果あるのかもしれませんが、
あなたは、あなた以外のものと本質的に違わないのです。
内面的には、私たちはほとんど同じです。
私たちはみな、欲望、邪悪な考え、恐れ、野望などに突き動かされているのです。
信仰、希望、向上心も共通の根を持っています。
私たちは1つ。私たちは1つの人類、
たとえ、経済や政治や偏見による人工的な境界が私たちを分け隔てていたとしても。
もしあなたが誰かを殺せば、あなたは自分自身を破壊しているのです。
あなたは、全体の中心であり、
もし自分自身を理解することがなければ、真実のありさまを理解することはできません。

私たちは、こうして1つであることを頭では理解できます。
しかし、私たちは知識と感覚とを別々のものとして区分けし続けます。
そのため、人類が1つであるというものすごいことを、決して体験することがないのです。

2014.01.11

学びはどんな時に可能となるか

The Book of Life
1/11のテーマは、
When Is Learning Possible?

学びの土台は自由であること。
いかなる強制も、褒美も
比較や競争も、学びを深めることには役立たない。

以下、天野の訳です。

問いかけ学ぶことは心の基本的な働きです。
学ぶということは、
単なる記憶を増やすことでも、知識を溜め込むことでもなく、
幻想を交えず、はっきりと明快に考える能力のことです。
事実より始め、信条や観念から始めるのではないのです。
もし、結論から思考が導かれているとしたら何の学びもありません。
単に情報や知識を習得することは学びではないのです。
学ぶことは、理解することの愛であり、何かを行うことの愛そのものです。
学びが可能となるのは、いかなる強制もない時だけです。
強制は様々な形態をとっています。そうではないですか。
なんとなくの強制、付属的な形の強制、
脅し、説得的な励まし、巧妙なご褒美など。

多くの方が、比較が学びを促進すると考えていますが、事実は逆です。
比較することは、学びを阻害し、単に競争という名のうらやみを助長するだけです。
他の様々な形の説得と同じように、学びを妨げ、恐れを生み出してしまうのです。

2013.11.27

「思いやり」は言葉ではない

The Book of Life
11/27のテーマは
Compassion Is Not the Word

「思いやり」は、思考以前からある本能的な自然な働き。
観念としての「思いやり」は本当の思いやりではなく、
真の思いやりは思考が止んだ時に、すーっと浮かび上がってくる。
それは、気功でいう「てあて」のようなもの。
ぽかんとして手をあてていると、
自他を区別しない純粋な愛がすべてを包み込むように働き始めます。

以下天野の訳です。

思考によって思いやりを育てることは
いかなる意味でもできることではありません。
私は「思いやり」という言葉を
憎しみや暴力のとは逆の、対照的な意味で使っているのではありません。
でも、もし私たちが深い思いやりの心を持っていなかったとしたら、
私たちはどんどん残忍で、お互いに非人道的になってしまうでしょう。
私たちは機械的な、コンピューターのような心を持ってしまうのです。
ただ単に、ある機能を果たすように訓練された心。
安全を求め、身体的あるいは心理的な平安を求め、
とても深遠な美しさや、生命の全き重要性を失っていくでしょう。

思いやりは、習得して身につけるものではないのです。
思いやりは、「思いやり」という言葉ではありません。
言葉は単に過去のものです。
そうではなく、現在活き活きと働いているものです。
「思いやり」という働き、いわば動詞であって、
「思いやり」という言葉でも、名前でも、名詞でもない。
ここで動詞と言っていることと、言葉と言っていることとは明確に違うのです。
動詞と言っているのは、現在生き生きと働いている状態です。
一方、言葉と言っているのは、いつも過去の状態なので固定的です。
あなたは、その名称や言葉に活力や動きを与えようとするかもしれませんが、
現在生き生きと働いている「思いやり」という動詞とは全く違うものなのです。

思いやりは感傷ではありません。
いわゆる包み込むような同情や共感ではないのです。
思いやりは思考を通じて養うことができるものではないのです。
鍛錬でも、制御でも、抑制でも、
あるいは親切であろうとし、敬おうとし、やさしくしようとすることでも、
あるいは他のいかなることを通じても養うことができないのです。

思いやりが働き出すのは、たったその時。
思考が、まさにその思考の根底において止んだ時です。

2013.10.22

私たちの責任

The Book of Life
10/22のテーマは
Our Responsibility

全てを自分の責任と自覚した時に、
自分が変われば全体が変わります。
これは、心願成就法を行うときの基本的な世界観です。
なぜ願いが自然に叶ってしまうのかというと、
潜在意識の深い部分ではお互いにつながり合っているから。
そうして、すらすらと願いが叶う体験を重ねていくと、
限定された「私」という枠がどんどん薄くなり、
個を越えた私へと切り替わっていきます。

クリシュナムルティーが投げかけるの「私たちの責任」という言葉は
重苦しいものでも、難しいことでもなく、
底抜けの透明さを持った、「まさにそうすること」という意味に響いてきます。

以下 天野の訳です。

世界を変える。
そのためには私たち自身から始めなければなりません。
そして、私たち自身から始める場合に重要なのは、
心の方向性です。
心を明確にある方向に向ける。
自分自身をストンと理解する、まさにそのために意志を用いるのです。
他の誰かにまかせるのではありません。
誰かの変化を意図するのでもなく、
革命によって誰かが変化をもたらすことも意図しません。
左へ、右へ、そのどちらでもないのです。

「これは私たちの責任!」と、そう合点することが大切なのです。
あなたたちも、私も。
なぜなら、
私たちが住まう世界がどんなに小さかったとしても、
もし、私たち自身が変わることができれば、
日々のありかたそのものに根本からの視点の変革がおこり、
おそらくは、とても大きな影響を自ずと世界に及ぼすことになり、
他者との広範囲のつながりに自ずと影響することになるのです。

2013.10.04

時間が生み出す混乱

The Book of Life
10/4のテーマは
The Disorder That Time Creates

徐々に変わっていこうというやり方は、
根本的な混乱の原因をそのままにしておいて、
小手先の対応でなんとかしようとすることに似ています。
気功や瞑想でも、「少しずつ進歩しよう」などと考えてやっていると
なかなか思ったような進歩が伴わないもの。
今、この瞬間に、その流れの中に全力で飛び込む。
そこから多様でダイナミックな変化が生まれてきます。
「時間」に対するクリシュナムルティーの透察は、
そんなことを思い起こさせてくれます。

以下、天野の訳です。
thebookoflife

「時間」が意味するのは、
あるものが、あるべきものに変わってしまうことです。

私は怖いんです。でも、きっといつの日か恐れから自由になるでしょう。
時間が必要です、恐れから自由になるためには、少なくとも。
……これが、私たちの思考です。

あるものがあるべきものに変わることは、時間が関連しているのです。
そう。時間は努力を意味しているのです。
あるものとあるべきもの間にある努力を。

私は恐怖から離れたい。だから、一生懸命に
理解しようとし、調べようとし、分析しようとし、
あるいは、原因を見つけようとしたり、
恐怖から全面的に逃れようとしたりする。
……これらは全て努力を意味しています。
その努力は、私たちが慣れ親しんでいるものです。
私たちはいつも、あるものとあるべきものとの間の衝突にさいなまれているのです。
「こうあるべき私」は思考です。
頭で考えたものは、架空のものです。
そうではないのです。
そのままの私。それが真実です。
そのままの私が変化できるのは、
唯一、この時間が生み出す混乱にはっきり気づいた時です。

それでは、恐れから完全に免れることができるでしょうか。
完璧に、この瞬間に。
もし、恐れを持続させることになれば、
四六時中、混乱を招くことになるでしょう。

ですから、
時間は混乱の一要素だとみなすことは、
恐怖から完全に自由になることを意味していません。
そう、段階的に恐れから免れるということはないのです。
ちょうど、愛国主義の害毒から段階的に免れることがないのと同じように。

もし愛国主義に染まっていて、最終的には世界はひとつになるだろうと言うのであれば、
その間には、戦争があり、憎しみがあり、苦悩があり、
この人間同士のおぞましい分裂があるのです。

ですから、
時間が、混乱を生み出しているのです。

 

天野泰司 訳

2013.09.25

生活は無上の革命

久しぶりに
クリシュナムルティーの
The Book of Lifeの訳をします。
The Book of Life

9/25のテーマは
Living Is the Greatest Revolution

以下、天野の訳です。

心は、型にはまっているのです。
まさしく、ある枠の中で働いたり動いたりするのです。
その型は、過去、あるいは未来のもので、
絶望であったり、希望であったり、
混迷であったり、理想像であったり、
そうであったことか、そうあるべきことなのです。
私たちはみんななれっこになっている。
あなたは、古いパターンを壊して、新しい型に取り替えようとします。
古い型を修正してできている新しい型へと。
あなたは、そうやって新しい世界を作ろうとするのです。
それは、不可能です。
あなたは自分をごまかし、他人を欺くかもしれません
しかし、古い型が完全に壊されない限り、
根本的な変容はあり得ないのです。
あなたはもてあそぶかもしれないが、
成功の見込みは全くありません。
型を壊していくのです。
古い型も、「新しい」と銘打たれた型も。
これこそが最も大切なことなのです。
この大混乱の中から整然とした流れが生まれるためには。
だから、心の振る舞いを理解することが不可欠なのです。

心は、型から自由であることができますか。
この、前に、後ろにと振れる欲から自由であることができますか。
それは、絶対に可能です。
今、この中にその働きがあるのです。
生きるということは、
希望を抱かずにいることです。
明日のことに心を煩わせない。
それは絶望でも無関心でもありません。
ところが、私たちは生きていない。
いつも死を追いかけている。
過去へ未来へと。

生活とはこの上ない革命です。
ただ生きているということの中には何の型もありません。
死には型がある。
過去、あるいは未来。
そうであったこと、あるいはこうあってほしいこと。
あなたは、こうあってほしいことのために生きていて、
死を招いているのです。生ではなく。

訳 天野泰司

2013.08.31

「そのまま」を観る

The Book of Life
8/31のテーマは
To Understand What Is

生命之書
意識的なフィルターを通しての、
世界認識ではなく、
何も加えない、何も引かない、
何も期待しない、何も恐れない、
ただ、ありのままの、リアルで生き生きとした世界を
そのままに観ること。
それが、今あるあらゆる問題をほどいていく
鍵となっているのでしょう。

以下、天野の訳です。


「そのまま」を観る

私たちは、お互いに争い、世界は破壊されています。
危機に危機を重ね、戦争に戦争を重ね、
餓えや苦悩があり、
社会的地位をまとい巨万の富を持つものと貧しいものがあります。
こうした問題を解決するために必要なのは、
新しい発想でもなく、経済の変革でもなく、
「そのまま」を観ることです。
不満を観るのです、
「そののままの世界」を絶え間なくチェックし脚色している、
そのことを観るのです。
すると、意識の変革とは比較にならない大変革がおこるでしょう。
この変革こそが、真に待ち望まれているのです。
異なる文化、異なる宗教、異なる関係を持つ人と人との間で。

文・訳 天野泰司

2013.08.22

真実は自然の中に

The Book of Life
8/22のテーマは
Reality Is in What Is

今、この瞬間に、ありありと、そこに、そのとおりにある、
そのありのままの自然の中に、
わたしたちが「こうだ」と思っているのとは違う、
生き生きとした、生の、真実がある。
そういう意味合いを壊さないように、わかりやすく訳してみます。(あまの)
生命之書

誰が悟っているとか、神とは何かに関心を向けるのではなく、
ありのままの自然に、全ての注意を集め、気づきを働かせてみましょう。

未知の世界と出会うかもしれないし、
未知の世界があなたへと訪れるのかもしれません、

今まで知っていた世界が何であるかを判ったとき、
あなたは、今までにない静寂を経験するでしょう。
減ることもなく、強まることもなく、
空っぽで、創造的。
そこに入るのは、唯一真実のみ。

何かになろうとするのでも、
手に入れようと一生懸命になるのでもなく、
ただ、そのままであるところに、
ありのままの自然に明確に気づくときに、
真実は訪れるのです。

そして気づくでしょう。
真実はどこか他のところにあるのではないと、
未知の世界は遠く離れたところにあるのではないと。

真実は、ありのままの自然の中にあるのです。
問題の答えは、問題そのものの中にあるように、
真実は、ありままの自然の中にあります。

ありのままの自然を悟るとき、
私たちは本当のことを知るのです。

 

2013.08.20

蓄積されたものは真実ではない

The Book of Life
8/20のテーマは
What Is Accumulated Is Truth
The Book of Life
「経験」を再生している限りは、
そこにありのままの真実はありません。

真実とは、記憶し再生されるものではないのです。
蓄えられ、記録され、そして明らかになる、というものではないのです。
蓄積されたものは真実ではありません。
こんなことをしたいと思う心が、「経験する人」を作り出します。
「経験する人」は、記憶を蓄積し、それを思い出すのです。

こうしたいと思う心が、
「思考」と「思考する人」という分離を作り出すのです。
こうなりたい、こんなことをしたいと、
もっともっと、あるいはもっと少なくと、
「経験」と「経験する人」を分け隔ててしまうのです。
こうしたいと思う心の動きに気づくことは、自分自身を知ることです。
自分自身を知ることは瞑想のはじまりなのです。

(訳・あまの)

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