気功のひろば
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ブログ

2012.03.31

春〜骨盤から若返る

春、いちばんの健康法は
体がしたいことに、素直にしたがうこと。
 朝日カルチャー中之島 2012/3/25 天野泰司
・・・・・・・・・・・・
春は、骨盤という土台が変わる時期。
変化が大きく、根本的な体質改善が可能。
寒い冬は、自分をしっかり守る時。変化は少ない。
春は、体と心がほどけて、
以前の心身共の打撲の影響が出てきたり、
感情のゆれが起こったりする。
変化は、頭→肩→腰の順に起こる。
1月は、後頭骨が開き、頭がぽかんとしてくる。
2月、肩甲骨が開いてくる。
そして、骨盤が開いて上がる。
上がることで、やりたいことがはっきりしてきて、
体が「これをしたい」という方向へ自然に動く。
ふと思い立ったことに、素直に従うのは
春がピッタリ。
そのワクワク感に添って、素直に動いていくことが
春の健康法。
寒いときは、乗り越えていく力を養う。
4月に入ったら、わくわくする方向に向かって、進んでいく。
今年は特別な春。
去年は震災で、春を迎えても楽しい方へ動けないような感じがあった。
体にとっては、2年越しの春。
去年迎えられなかった春を、
体が迎えようとしている。
この波に添って、素直に
気持ちいい方へ、わくわくする方へ、体でもっていく。
[実習]・・きょうは1-3月の3ヶ月を1日で。
1月・あくび。
腕の付け根、胸筋をゆっくりなでて、ゆるめる。
体は素直、自分で思った通りになる。
体をゆるめ、動かすことで
一度子どものような素直さに戻って、
改めて、これから自分はどう生きていくのか、
インプットしていくとよい。
2月・肩をもちあげ、ストン! とおとす。
肩をゆっくりまわす。
3月・腰を前後に。
足首から先、足袋をはいてかくれる部分を、ゆっくりなでる。
骨盤と思って、ていねいになでる。
冷え、花粉症のある人は、今日から1週間毎日
足首から先をゆっくりなでるとよい。
気持ちよく、うっとりと、その気分になって
やることがポイント。
花粉症や、目を使う人は、目の温湿布も併用して。
冷える人は、足湯をしてからなでるとよい。
なでる中に、本来の骨盤からの動きが起こってくる。
心がおちつく やさしい気功
このなかでも、耳をこするのは腰に関連する。
体の中から骨盤がゆるんで、動きが起こってくる。

2012.02.25

変化のタイミング〜枠を超えていく

この春。
今、気持ちのいいことをしよう。
それは、大きな社会貢献になる。
 朝日カルチャー京都 2012/2/12 天野泰司
・・・・・・・・・・・・
春めいてきた。
天気の変わり目に、「気持ちのいいこと」をすると
とてもよい。
10分、20分でも、例えば気功をしたり、
絵を見たり、好きな場所へ行ってみたり。
春には、
無理をすること・負担になること、あとで脱力感のあることは
やめたほうがよい。
例えば今、京都文化博物館で「北斎展」が開かれている。
北斎の富士は、気持ちがいい。ダイナミックできびきびとして。
絵を見ると、画家が感じていた何かが伝わってくる。
受け取った印象が絵の中に保存されている感じ。
絵を見るとき、自分の癖をひとつ外すとよい。
重心になっている足を変える。
腕を組んでいたら、逆に組み替える、など。
そうすると、自分から絵に同化しようとする営みが起こる。
北斎の時代、北斎の感覚に積極的に同化していくことで
自分の枠組を越え、時代の枠組も変わる。
リ・フレームと呼ぶが、
観劇、コンサート、お寺や神社の拝観などは
リフレーミングの宝庫。
そうして、自分の枠がいくつもできていくことが大切。
どの枠を選んでもいい。
今の自分が、小さな枠組のひとつであることを感じていく。
[実習・肩をなでる]
相手の肩甲骨に、後ろからそっと手をあてる。
ふちをたどって確認し、
左右を比べてみる。
どちらの下端が上、どちらの下端が下か。
背骨からの距離はどちらが広いか。
それを評価せず、ただ確認する。
その上で、やさしく肩甲骨を
上から下へなでてあげる。
そうすると自然に、左右の下端がそろったり
反対側が少し高くなったり。
左右の距離も、狭かったほうが広くなったり
自然に自分で変わっていく。
[わきをつまむ]
後ろからわきの水かきをはさみ、ふーっとはなす。
春は、性の働きが大きくなる。
後頭部→肩→骨盤、と順に開いていく。
この頭〜腰の流れは、成長の段階で何度も起こってくる。
そしてまた春になると、その流れが起こる。
肩甲骨は、よく動く「マイナーな骨盤」。
腕の骨とつながる部分以外は浮いている。
ちょうど胸椎の3・4番あたり、
骨と骨の間が狭くなると、呼吸・心臓・女性の生理などに
不調が起こる。
息をこらえ、「言いたいのに言えない」感じや
「しなければいけない」気持ちがそのあたりのつかえを生み、
ぜんそくや花粉症につながる。
こうしたことも、肩をゆるめることで楽になる。
それだけでなく、
周囲も「ダメ」から「何でも言っていいよ」へ空気感が変化することが大切。
その空気から自分を守るために枠を作っている。
周りの理解は、あるとは限らない。
自分の周りに起こっていることすべてを
自分の責任としてとらえることが必要。
それならば、自分で変えていくことができる。
その自覚をもった上で、体を自分で整えていく。
気持ちよさの感覚は、周りにも伝わる。
自分から気持ちのいいことを選択していくと、
周りの状況も変わってくる。
私たちは、言葉以外に多くのものを発信している。
それは体がベースになっている。
発信している情報(=気)の質を変えていく。
自分が変わると、周りが変化する。
それが自信につながり、社会貢献となる。
自分自身が気持ちよく過ごしていくことは、
非常に大きな社会貢献になる。
苦しみ、悲しみ、責任感、罪の意識。
そうした枠から自由になっていくこと。
心の面では、「ゆるす」。自らをゆるしていく。
体の面では、「ゆるむ」。
[実習]
「申し訳なかった」ことを思い出す。
体のある部分が辛くなってくる、
そこを探し、ゆっくり、ゆるめていく。
それは、相手への大きな祝福にもなる。
徹底的に自分を大切にしていくこと。
仮に「自己中心」と呼ぶが、
「自己中心=自己責任」。
この自己、は、そのままの自分。
生まれたままの感じに戻っていく。
「先天に戻る」ことは、気功のひとつのテーマ。
それは、すなわち「新生」。
私たちは、毎朝新しく生まれ変わっている。
年間では、春が誕生・新生の季節。
頭が開き、肩が開き、骨盤が開いて
体と共に、心もあたらしく変わってゆく。
イメージが大切。
気持ちがいいつもり、になって
枠から解き放たれたつもりになって、体を動かしていく。
生まれ変わったつもりで、日々を送る。
[実習・足を動かす、ゆするなど]
春は、幸せな感じ。
ひとつになる感じ。
ひとりではなく、
周りのものすべてとひとつになった、ぽかんとした感じ。
赤ちゃんのような感じに戻って、
いのちの中からわき起ってくる、
素直に「〜したい」「〜してあげたい」思いが
自分から周りに広がり、また戻ってくる。
つながっている幸せを感じて、
「あぁ、幸せだな」「ありがたいな」「うれしいな」…
言葉にしてみる。

2011.12.20

春に向かって

 9〜12月の祈りの3ヶ月を終え、
 3.11震災後初めての冬を迎えています。
 冬は「新生の春」へ向けての準備の時。
 新しいいのちの胎動が聞こえます。
 
 天野泰司
新しい生命の座
ここ数日、素晴らしい夜空が広がっています。
12/10の皆既月食をご覧になった方も多いことでしょう。
凛と澄み渡った空気、キラキラとした星の輝き、
遠くどこまでも続く夜空、
その中にぽっかりと浮かぶまんまるの月は、まるで鏡のよう。
はっきりとした黄色の光が少しずつ欠けていき、
ほんのりと赤みがかかったやわらかな光の中に、
月そのものの姿が現れてきました。
いつも見ている鏡のような月ではなく、
まあるくて、すごくおちついていて、
ただ月としてそこに浮かんでいました。
素のままに戻るというのはこんな感じなのかもしれません。
外に出て、しばらくその月を眺めていました。
ちようど同じ日の午後に、
韓国の舞踊家金梅子(キムメジャ)さんの公演が
京都造形芸術大学のホール春秋座でありました。
私たちは気功協会の事務所から徒歩5分の至近距離なのですが、
札幌の三上さん、東京の鳥飼さん、福岡から新部さんなど、
気功関係の友人が各地から集っていて、とても嬉しくなりました。
もちろん4部構成の公演の内容も素晴らしいものでした。
踊り手は若手から白髪の混じった方まで年齢の幅がかなりありましたが、
年齢差というものを感じさせない、
するすると滑らかに続いていく舞台でした。
見せる工夫は随所にあるけれど、動きそのものが自然で無理がない。
特に金梅子さんの踊りは徹底的に無駄が省かれていて、
見ているだけで体の中が一緒に動いてしまいます。
公演の後のアフタートークで
釜山大学教授のチェ・ヒワンさんがこんな感想を述べていました。
「今回の京都公演は、韓国でのいつもの公演と比べて
より神聖さがあり、天とつながる感じは少なかった。
これは劇場のせいかもしれない」と。
確かに劇場の立地自体は瓜生山の麓で、自然に囲まれてはいますが、
歌舞伎公演もできる落ち着いた和風のホールなので、
のびのびとした大自然とつながる感じは少なかったのでしょう。
そんな中、
体そのものからほとばしり出る神聖さがより強く感じられたのは、
月食というタイミングも関係していたのかもしれません。
舞台作品を観た感動というより、
奉納の舞に立ち会ったような、
ありがたさに満ちた心がしばらく続き、深夜の月食を迎えました。
翌日12/11は、震災から9ヶ月の区切り、
9/11から続けてきた「祈りの三ヶ月」の最終日で、
朝日カルチャーセンターでの今年最後の講座がある日でした。
街中は年末ムードですが、
気功の学校の卒業式も12/4に修了していて、
何か一つ超えて、もう新年のような印象があります。
何かが切り替わり新しくなった感じ。
意志を越えて自ら動き出そうとする
生命の胎動のようなものを感じます。
震災を乗り越えて
2011年は災害の多い年でした。
地震、津波、原発事故、風水害…、
たくさんの尊い命が失われ、
今なお苦しんでいる人がいる状況に心が痛みます。
そして、その大きな犠牲を経て、
私たちの生き方、生活のあり方が変わろうとしています。
節電や、エコロジカルな暮らしももちろんですが、
それ以前に「心をどこに向けるか」が変わり始めています。
ここで「心」と言っているのは潜在意識を含む心の全体で、
意識はそのほんの小さな一部分です。
私たち人類は、
幸福な未来を思い描いて努力を重ねてきました。
その結果が今です。
確かに素晴らしく便利なものがたくさんできたけれども、
今が幸せだと感じて生活している人がどれだけいるでしょうか。
人類の幸福というものに何千年かけてもたどりつけていないのです。
この状況は、
どこかで根っこの部分から切り替わっていくでしょう。
それが今このタイミングだと思うのです。
私が提案するのはとても簡単なことです。
それは「心を幸福に向ける」ということ。
今までなぜそれができなかったかというと、
意識で縛り付けようとすればするほど、
心は別の方向に向かっていくからです。
誰もがそのことには気付いていて、
何だかうまくいかないと感じながらも、
延々と同じ意識的な努力を繰り返してきたのだと思います。
私は気功を続けてきて、本当に良かったと思います。
気功の中には努力ということのちょうど反対側にある道が
明確に示されています。
それを体で実践して納得し、
生活に応用して確かめ、
「気功の学校」のレッスンの中で
皆さんと一緒になって実験を重ねながら、
こうではないかと思っていたものがいつしか確信に変わり、
さらに普遍的な広がりを感じるようになりました。 
不満足からの離陸
どんな困難の中にも、
よく探していくとわずかな幸せはあるものです。
どんなに痛みや苦しみが大きくても、
よく味わってみると楽になっていく気持ちのよい方向がみつかるものです。
だから、いつも心が幸せの方向に向かうように
アンテナを立てておくのです。
物欲は、もっともっととエスカレートしていきます。
それは無意識に
「まだ足りない」という心の習慣を作っているからです。
これが手に入れば幸せだろうと幸せを追いかけることと、
幸せそのものを味わうことは本質的に違うのです。
物欲は「不満足」、幸せは「満足」の習慣ですから、
似ているように見えて正反対なのです。
「不満足」を習慣にしていれば、
不満足であることが日々当たり前になっていきますね。
だからどこまでいっても満ち足りない。
そういう矛盾が現代の混乱を招いているので、
その根本のところを変えていく必要があるわけです。
満足ばかりしていたら発展がないと思う方があるかもしれません。
確かに物質的な発展は身の丈に合わせてゆっくりになるかもしれませんが、
文化や生活、そして心の豊かさは次々と発展していきます。
そして、そこから開けていくのは豊かさの連鎖と共有です。
他人を攻撃したり、何かを奪おうとするのは不満の現れです。
幸せに包まれている人は、
その幸せを分かち合うことで次々と幸せがふくらんでいくことを知ります。
自分の幸せだけでなく、他の誰かの幸せも感じることができたら、
より幸せですね。
「誰かが喜んでくれる」幸福感は、
足し算ではなく、かけ算のようにしてふくらんでいきます。
恋人が喜ぶとなぜこんなに嬉しいのか、
子どもが笑うとなんでこんなに楽しいのか、
仕組みは判りませんが、
人が人として生きていく本能のようなものでしょう。
仏教では「慈悲」と言いますが、元々誰にも備わっているもので、
お互いの心の振動が響き合って、ぽっと心が熱くなる。
何かじ〜んと感じるものがある。
心の奥深くにじんわりとしみこみ、しっかり満足する。
これが幸福の連鎖です。
不満足の習慣を続けていると、
人の幸せを妬むような心が生じてきて、
不満足の連鎖と共有が始まっていきます。
それは意識以前の無意識の働きなので、
意識ではそんなことはいけないと判っていても、
実際に幸せな人を見ると、ついうらやましく感じて不満が高まり、
不満の不協和音を周囲に拡散してしまいます。
そこでまず、体から入っていきます。
体が気持ちがいいと感じることを見つけて、習慣にしていくのです。
それは気功に限りません。何でもいいのです。
気功は幸せの習慣
2012年は、「幸せの習慣」を
みなさんと共に積み重ねていきたいと思います。
体をなでたり、ゆっくり息を吐いたり、
目を閉じて心を落ち着けたりするだけで、
ふっと体が楽になったり、心がすっきりしたり、
ありがたくて幸せな感じに包まれたりします。
そうして心地よさを味わうことを毎日の習慣にしてしまうのです。
毎朝歯磨きをしたり、「おはよう」と挨拶したりするように、
習慣は続けているとあたりまえのことになります。
だから、気功という「幸せの習慣」を続けていくと、
幸せが泉のようにいつもこんこんと湧きでているようになり、
自然災害などの大きな困難に直面した時にも
そこからの回復がスムーズになるでしょう。
できるだけ簡単で、楽しんで続けられて、
深まりがあることがいいですね。
そうしたものを私は改めて「気功」と呼んでいるのです。
でもそれが重たくなり、
何らかの手かせ足かせになるようだったら
もうそれは気功ではありません。
そうして、洗練されて残っていったものが
気功協会が今取り組んでいる気功で、
「心がおちつく やさしい気功」は
その中でもとても気功らしい気功です。
ゆっくり広がっていきながら、
たくさんの人の本当の役に立っていくことでしょう。
まず自分自身から、
そしてその気持ちよさが周りにも伝わっていくように、
ゆっくり、そしてやわらかに
「幸せの習慣」を広げていきましょう。
天野泰司

2011.12.14

心と体の大掃除〜新しい年へ

震災から9ヶ月、「祈りの3ヶ月」最終日。
今年最後の講座をまとめました。
  朝日カルチャー京都 2011/12/11 天野泰司
・・・・・・・・・・・・
今、一番大切なことは大掃除。
年末までに、いらないものを捨てる。捨てれば捨てるほど入ってくる。
必要なものを整理する。そうすると、中心が定まってくる。
人の心身も植物のように、年単位で季節に添って変化していく。
今の季節大切なことは、春に向けての準備にあたる。
・掃除
・おいしい水をちょこちょこ飲む
・頭を楽にする
実習〜心身の大掃除
[首の前後倒し]
首をゆっくり前に倒し、息を吐く。
後ろに倒し、すこし口をあけてあごをゆるめる。
[あくび]
後ろに倒したときに、あくびになったら自然にあくびをしていく。
[耳をつまむ]
疲れた目と、神経系統をゆるめる大切なポイント。
細かい範囲で、耳の痛い固まりを探し、
つまんでひっぱりながら外へ抜いていく。
[鬼のつののはえるところのてあて]
[そこから、頭〜胸をなでおろす]息を吐きながら。
[腕をなでおろす]ていねいに、やわらかく、反対の手で先へ抜いていく。
これは、頭の中の大掃除。
まずイメージがわいて、感覚が働き、体が動く。
この心の働きを知って、心の使い方の習慣を今、変えていく必要がある。
5000年位の反省から、転換していく時期にある。
イメージの通り体が動いていくことを知って、
イメージの力を使っていく。
マイナスと思っていたことは、必ずプラスの力をもっている。
元々、プラスもマイナスも同じエネルギー。
どんな苦しみ、悲しみ、恨み、寂しさ、怒り、ねたみなども
すべて大きないのちの働き。
失ったものが大きいほど、心が大きく動いているほど
秘められているいのちの動きは大きく働き、変化の流れが早い。
向かい風でもヨットは進む。小さな風でも進める。
風を操るのと心の流れは似ている。
プラス・マイナス、大小にかかわらず
必ず動きがある、その動きをつかまえて流れにのっていく。
辛い時は体も緊張している。その体と心の連動をその都度断つこと。
心と体は緊張でつながっている。そこを断つ。
その方法として
[息を吐く]
みぞおちに軽く両手をあてて、息を吐きながら体をまるめる。
吐ききったら少し押し込んでいた手をゆるめ、体を元に戻す。
[心がおちつく やさしい気功]
手をなでる。頭をなでる。胸をなでおろす。足腰をなでる。胸にてあてする。
 
[瞑想] 静かに座る。
2011年の間は、捨てていく。
体からも、いらない緊張を捨てていく。
ありがとう、と手放していく。
そして2012年には、福の種を植えていく。

2011.10.11

美しさを感じる心

「秋の健康法」として、開かれた講座から
まとめてみました。
      朝日カルチャー京都 2011/10/10 天野泰司
・・・・・・・・・・・・
空が高く、いい天気で、ほんとうによい季節になった。
美しい、おいしい、楽しい。
この秋の健康法をひとつ、と言ったら
素直に、美しいものを「美しい」と感じ
その気持ち良さを味わうのが、いちばん大切。
美しさの、受け取り方はさまざま。
響きあえる感じのするもの=「感応のあるもの」を美しく感じる。
それは、自分にとって必要なもの。
気の状態として、ひとつになりたい、と体が瞬間に思う。
反対に、苦手なもの、苦手な人が近くにいると、感応しないようにしている。
その状態が続くと、本来の感受性が損なわれてしまう。
今の日本は自由で、自分で選択することが保証されている。
そこに行きたい、こういう人といたい。
そうした処へ積極的に近づき、
したくない、行きたくないところからは離れることが重要。
人の活動は、「捨てる」「取り入れる」の2つ。
息を吸っては吐き、食べては排泄する。
自ずとそのことが行われるのが、気の働き。
この時期、気の働き=体の感受性、が高まる。
感受性が発達すると、気持ちのいいことが増える。物事をすぐ選べる。
嫌なことも一時的に増えるが、すぐに避けられる。
そうして、心地よく生活できるアンテナが発達する。
捨てることは大切。
体を壊すことで、より丈夫になるのはひとつの良策。
建物を全部取り壊して、一から建て直すようなもの。
例えば、運動会で汗をかき、夕方涼しくなって冷えた時
下痢をして、冷えた汗や、老廃物が出てしまうとすっきりし
心身が軽くなる。
また、腰が痛い時。
この時期、腰の痛みがはっきりしているということは、
腰の働きが活発になっているということ。
春(1-3月)に向けての準備であり、
痛くないようにていねいに動くことで、腰の柔軟性が上がる。
体を壊したときは、最高に楽な姿勢をとる。
だいたい、ではなく、どうしたら楽か、
どちらへ動きたいか、ていねいに探す。
動きたいほうへ動けると、体がすっきりし、心が軽くなる。
無意識を中心に据えることでそれは起こってくる。
腰は、春の準備を始めている。その種まきの季節。
おすすめは足湯、ねじりのふりこ。
腎臓、脇腹、股関節、耳、わき、足のてあて。
頭は、冬に向けて弾力を保つよう、楽にしてあげる。
おすすめは目の温湿布、首をゆるめること。
そして、おいしいな、と思える時に
おいしい水をちょこ、ちょこと飲むこと。
冷たくしたり、気に入ったグラスを使ったりして、
おいしいと感じるように飲む。
最も乾燥する1、2月頃に備えて、肌の潤いを保っていく。
「冷えないように」と守るのではなくて、
「冷えたら温める」を習慣にする。
そうした心持ちから、回復力が養われる。
体が納得するように、気持ち良さをとことん追及していく。
足湯でも、
「差し湯しながら足首まで6分つけて、赤くならないほうを2分足す」と
説明されることが多いが、
熱いお湯でなく、「あ〜気持ちいいな〜」という温度で
さめてきたら、少し熱いお湯を足すと、また気持ちよくなる。
そして、ちょうどよく終えて、靴下をはき
もう少しつけたいな、というほうを後にして、気持ちよく終える。
目の温湿布をしたあと、耳の温湿布をするのも気持ちいい。
どちらか片方に、あたたかいタオルをのせる。

2011.09.13

元気な笑顔のために

9/11に行われた講座をまとめてみました。
   朝日カルチャー京都 2011/9/11 天野泰司
・・・・・・・・
9.11-12.11、「祈りの3ヶ月」を始めていくにあたって。
「祈り」と呼ばれているものの中の、
余分なものをなくしていく。
一般的な「良い・悪い」といった尺度と、
気功の尺度は違う。
たとえば9.11の事件が起こり、犯人とされる人を
アメリカの軍が殺したが、それは良いとも悪いとも
いちがいに言えない。
子どもが転んだとき、起してあげるのはいいことだろうか。
依存心が起こって、気を集めるために転んだり
病気になったりすることを覚え、
大人になっても続けている場合もある。
ケースバイケースで、善し悪しは変わる。
気功の尺度は「自然か、不自然か」。
動物は、転んだ子どもを起すことはしない。
弱っている子どもなら起すのがよいが、
自分で立ち上がるのをじっと待つのが自然。
不自然なものをできるだけ減らしていく。
「こうしなければならない」
「こういう時は、こうする」・・
一般の常識、TVなどで報道されることは
実態を反映していない面がある。
「事実を作り込む」ところが映像には必ずあって、
どう切り取るかが写真のおもしろさでもあるが、
写っていない場所も必ずある。
人の心も同じで、自分でフィルターをかけ
ある意味「都合良く」見て、聞き、感じている。
自分で決めている都合の、度が過ぎると
感覚にフタがされ、全体を感じにくくなる。
状況を切り出してまとめても、
言葉で現象を要約しても、
その外に、何千倍もの情報がある。
逆のプロセスをたどって、感覚を解放していく。
たとえば、感じたことを別の表現で言い換えてみる。リフレーミング、と言う。
今の全部を感じてみる。
ほんとうかな、と思ってみる。
それは、既存の枠を壊していく作業。
全体を感じる、ことはものすごい情報量がある。
ただ座っている、立っている、
横になっているなかに、豊かな世界がある。
それが気功の、とくに「静功」の意味。
「何もしない」ことをやっていく中に、今のすべてがある。
それが気功の本質。
動いたり、歩いたり、なんらかの動作をしていくのが「動功」。
静功への入り口であり、
楽に動く気持ちよさ、動きがスムーズになっていく気持ちよさを感じ、
「味わう」ための感覚、ゆとりを作っていく。
心と体のゆとり、それが「今を味わう力」。
偏った状態から自然(=ありのままにある現実世界)に戻る、
そのままに戻ることが気功。
〈実習〉ゆする、立つ、歩く
・・足の裏を意識して立つことで、
 あぁ、今、立っているんだ、歩けるんだ、と
 心底気づくような感覚がありました。
「〜したい」という心が愛、骨盤から湧き上がる気持ち。
それに添って動いていると冷えない。
「〜しなければ」という気持ちは憎しみ、体が冷える。
骨盤とリンクして、いのちの源から出てくるような
純粋な心が今、求められている。
むつかしいことではなくて、
先ほどのように、立ってみる、歩いてみる、腰を気持ちよく動かす。
頭は時々休めて、ポカンとする。
それには、肩の力を抜くこと。
「ふりこ」で手をふったり、「やさしい気功」をしたり。
成長の段階で、大脳は、もともと皮膚から出来上がってきた。
なので、体をなでることで頭がゆるむ。
〈実習・心がおちつく やさしい気功
たどりつこうとすることをやめる中に、
祈りの本質がある。
余分なものを落としていく中に、残るものの
大きな豊かさ。
きっかけは大切、最初のキーのようなもの。
あとの、努力はいらない。
「〜しなければ」と無理に到ろうとする心を捨てて、
体がふわっとした、何もなくなった状態に
淡々とたどりつく。
「がんばらなければ」という習慣は、後から作り出したもの。
そう思っている赤ちゃんはいない。
たとえば「やさしい気功」を、
静かにふと座ることを、
毎日の中に入れていく。
はみがきと同じように、習慣になって
やらないと落ち着かない感じがあるのがいちばんいい。
気楽に、あたり前のこととしてする。
それが、気功が習慣になるひとつのシステムであり、
特別なこととしてでなく、
「あたり前の習慣」として届けていくことも何より大切。
あくび。のび。
改めて取り出して、丁寧にしていくと、
生活のひとつひとつ、考える、寝る、休む、仕事する、
すべてが変わってくる。
これがいいから、と広める事に夢中になって、自分を忘れないこと。
一番大切なのは自分。
それを徹底的にやっていく。
気功を伝える、ということは、
「自分を大切にする」ことを伝えていくこと。
「自分を大切にする」場との出会い。

2011.09.09

9.11〜12.11 祈りの3ヶ月を

3.11震災から約半年、
心の中にそっとしまっていた傷が
ぼちぼち表に浮き出してくる頃。
9/11から12/11までを「祈りの3ヶ月」として、
祈り、瞑想、てあてを深めていきたいと思います。
3時頃を共通の「祈りの時間」にします。
他の時間が都合がいい方は、それぞれの時間に祈ってください。
ちょっと手を休めて目を閉じたり、
「心がおちつくやさしい気功」をしたりして、
ポカンとした、おちついた心になります。
何かを強く思うのではなく、
むしろ、できるだけ何もない、
澄みきった心の状態に近づいていきます。
続けていると自然に顔が微笑んできます。
それを、毎日楽しんで続けてください。
大切なこの秋
暑かった夏が過ぎ、涼しい風が吹き始めると、
ちょっとほっとします。
そして秋の深まりとともに、心がおだやかになり、
体の感覚も研ぎすまされていきます。
秋は瞑想を深めたり、
心のお手入れをするのにちょうどよい季節。
今年、大きな心のショックがあった方にとっては、
この秋は特に大切な秋になるでしょう。
少し余裕がある状態になると、
いろいろな思いが再び心の中で再生され、
その記憶と結びついていた辛さや苦しさを
改めてやわらげていこうとします。
それは、心に元々ある自然な働きです。
そして、そうした体の自然の働きを
高めていくのが気功ですから、
この秋に集中して気功をすることは
とても大きな意味があります。
継続的な祈りを
3.11震災以後、
今までに3回ほど一週間単位の
祈りを呼びかけてきました。
今回は9.11〜12.11の3ヶ月間を、
瞑想的に過ごすようにしていきます。
3時頃を共通の「祈りの時間」にします。
一瞬目を閉じるだけでもいいし、
「心がおちつく やさしい気功」をして、
心身の落ち着きや豊かさを感じるのもよいでしょう。
ぽかんとして、今の気持ちよさを十分に味わう。
それが瞑想的に過ごすということの意味で、
ふとした時に「祈りの時間」を積み重ねていくようにします。
そうすると、瞑想の質がだんだん深まっていって、
心身ともに大きな変化が現れてくるでしょう。
祈りとは、自分という枠をなくして、
元々の自然の働きと一つになること。
3ヶ月続けて習慣になると、
ほんの数分の積み重ねが
大きな力を持つようになります。
それは、心の土台にある大きな安心のようなもの。
そうした心の落ち着きが培われると、
祈りや瞑想が自分にも身の周りにも
大きな影響力を持つようになります。
それは、無理にがんばるような願いがなくなり、
自然な願いだけが残るようになるからです。
心の力
心の働きはとても大きなもので、
今まで私たちが心に思い描いてきたことが、
目の前の現実を作っています。
その中には、こうなってほしくないという、
打ち消しの願いも含まれています。
例えば、「鶴の恩返し」のように
絶対にだめ!と強く制限されたものは
ちょっとだけ見てみたいというような心が働いて
結果として禁止したことが実現してしまう
ようなところがあるのです。
過剰な心配や不安も、
その心配していることを
無意識の中に強く思い描くことになるので
その心配がふくらむような方向へ
舵取りしていることになってしまいます。
また「こうしなければいけない」という願いは
「こうしたい」という心からの自然な願いとは違います。
世の中のあらゆる争いの元は、
「ねばならぬ」の行き違いによるもので
世の中を乱している根源的な願いと言えます。
原発を作らなければならない。
原発を動かさなければならない。
原発を止めてはならない。
そうした「ねば」の願いに、
原発を作ってはならない。
原発を動かしてはならない。
原発を止めなくてはならない。
と「ねば」で対抗してきたのが今までのやり方でした。
私は、「全ての原発が順調に止まっていくこと」を願っていますし
「順調に止まっていく」と思っています。
福島の事故が起こって、このことは、もはやゆるぎない
あたりまえのことになりました。
多少の紆余曲折はあったとしても、
この大きな心の流れは変わらないでしょう。
頭の中であれこれ考えていることは
おおきな心の流れの水面を
一生懸命になってかき混ぜているようなもの。
そうした余分な思いをなくしていくことで
本来の自然な願いだけが残っていきます。
人間の本性は思いやりに満ちています。
誰もはじめから悪いことをしようなんて考えていない。
ですから、おちついた心になって、
自然な願いだけが残っていくと、
思いやりに満ちた、幸せな世の中になっていきます。
それは既に、今の日本の中に色濃くあります。
そして、そのことに世界中が注目しています。
生活そのものが祈り
心身をゆるめて、心を落ち着けること。
そのことが今とても大切です。
そうして心が落ち着いてくると、
すぐ目の前の、いつも手に届くところににある
自分の役割が、はっきり見えてきます。
掃除、洗濯、料理、仕事、食べる、寝る、
顔を洗う、立つ、歩く、座る、おしゃべりをする。
特別な何かではなく、
日々あたり前に過ごしている全てに
落ち着いた心で改めて向き合っていくこと。
それこそが気功の本質で、
世の中を根底から変える力を持ちます。
てあてのような、
すーっと晴れ渡った「天心の祈り」を。
この大切な時に、
みなさんと続けていきたいと思います。
天野泰司

2011.08.16

大文字、五山送り火に祈る

陸前高田の津波で流された松の木の薪に願いを書き
京都の大文字で燃やそうという企画は流れ、
地元でお盆の迎え火として焚かれることになりました。
大文字保存会の代表の方が頭をまるめて陸前高田へ謝りに行き、
大文字でその薪を燃やせない代わりに
陸前高田の薪に書かれた願いを全て、
京都の薪に書き写して大文字で燃やし
その消し炭をまた陸前高田に送り返すのだと言う。
詳細な経緯はわかりませんが、
一人の方の思いつきが、大きくふくらんで、
いろんな人の心を悩ませ、
全国のたくさんの方の心がザワザワとしてしまいました。
誰かが悪いと責めることは簡単です。
しかし、それはかなり破壊的な行為です。
瞑想的な祈りの心(=天心)とはほぼ正反対の心の状態です。
落ち着いた心から発せられる言葉は、その言葉通りの力を持ちます。
怒りを込め自分以外の誰かを悪者にする言葉は、
自分が傷つくだけでなく、まわりの人の心の乱れを増幅させ、
本来こうなってほしいという方向と正反対の方向へ
物事を進めてしまう危険をはらんでいます。
今、本当に必要なのは、
何かに抗議をしたりすることではなく、
今、自分ができる支援をしていくことです。
ちょうどいい支援をするということはとても難しいことです。
私たちが毎日一生懸命励んでいることのほぼ全てが善意です。
わざわざ悪いことをしようなんて誰も思っていない。
世界中が思いやりに満ちている。
そういう意味では広島と長崎に原爆が落とされたのも、
たくさんの原発が作られてきたのも善意の結果だと言えます。
善意のために苦しむということがとてもたくさん存在しています。
ですから、これから何が必要かということを澄んだ心で見通していくのと同時に、
よかれと思って進めてきたことの見直しも必要です。
それを祈りや瞑想ということを通じて
自分の中で、同時に進めていくことができます。
心身をゆるめて、心を落ち着けること。
そのことが今とても大切です。
そうして心が落ち着いてくると、
すぐ目の前のいつも手に届くところににある自分の役割が、
はっきり見えてきます。
掃除、洗濯、料理、仕事、食べる、寝る、顔を洗う、
立つ、歩く、座る、おしゃべりをする。
特別な何かではなく、日々あたりまえに向き合っている全てに
落ち着いた心で改めて向き合っていくこと。
それこそが気功の本質で、世の中を根底から変える力を持ちます。
誰かが悪いのでも、誰かがしてくれればいいのでもなく、
自分自身が何をやめ、何をするかが問われているのです。
てあてのような、すーっと晴れ渡った「天心の祈り」を。
この大切な時に、みなさんと続けていきたいと思います。

2011.08.09

祈りの一週間・8月

もうすぐお盆を迎えます。
送り火をする8/16までの約一週間を
再び「祈りの一週間」として呼びかけます。
午後3時頃を共通の「祈りの時間」にします。
はじめにごく短い時間、
天へ旅立っていった方々のご冥福と、
辛い思いをされた方々の未来の幸せなイメージ、
例えば元気に微笑んでいるような姿を思い浮かべます。
次に、心身のリラックスを深めていきます。
「心がおちつくやさしい気功」をしたり、
自分なりにリラックスできるように工夫します。
心がおちついてきたら、そのまましばらくポカンとします。
願いというようなものも消えていって、無心に近づく感じです。
姿勢は、すーっとまっすぐでほどよく力が抜けている感じ。
ポカンとするには、ゆっくり息をしたり、手を軽く組んだり、
体のどこかにそっと手をあてたりするといいでしょう。
心も体もだんだんにきれいになり、
気持ちよく澄み渡っていく感じです。
そうした澄んだ気持ちを
全国でつないでいきましょう。
短い時間でもかまいません。
また、3時以外が都合が良い時は、
それぞれの時間に祈ってください。
この一週間、祈りを共にしましょう。
天野泰司

2011.06.22

先天に戻る

この講座は、「禅密功」という、ひとつの気功の紹介になりますが
原発と、私たちの心のつながり
これからの心のもちようを考える、
ひとつの指標になればと思い、
前半部分のお話のみ、こちらにもご紹介します。
禅密の学校・第一回@京都山科 2011/5/15 天野泰司
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
原発は、私たちの心が作り出したもの。
反対をせず、賛成もせず、すみやかにひとつひとつ
無くしていくのがよい。
事故は、私たちの心を象徴する大きな出来事。
「もっと・・したい」、
仮に先天と後天に分けると、後天的な心が作り上げた
「より早く」「より多く」と、先へ先へと向かう心。
後天的な心の、「もっと」という中には
現状の否定(今を壊したい気持ち)と、
少しの肯定(今が変わってほしくない気持ち)がある。
先天的な心の中には、ただ、今があるだけ。
「今」の肯定ではなく、「今」の受容がある。
後天的な心がふくらんで、バランスがとりにくくなっている。
今、後天的な心から、先天の心の中に入っていくタイミング。
より、ゆっくり。
少し、戻る。
禅密功は、劉漢文先生が広めた。4世代、医師で密教者だった家系で
一子相伝だったものを、気功として大衆に広めた。
気功協会では、「波の動き」として
「通信講座・self」の3巻や、ほとんどの講座、
天野の「気功の学校」などの著書で紹介している。
左右の波.JPG
       ・・左右の波
その核心は、「背骨が動く」こと。
心は、体を離れてはない。
心が背骨に端的に現れる。
まっすぐに、ぶらさがるように立って
心と体をゆるめると、自然に背骨が動いてくる。
いのちを生み出す力そのものを引き出し、体が元気になり
心は、自他の区別がなくなる。
それを、体を通じて理解することが大切。
大自然の中に私があり、私が大自然のような感じ、
「元々ひとつだった」ところへ自然にたどりつく。
禅密功をやっていくことは、私たちを縛ってきた何かを
ほどいていくこと。
背骨は、いつも動いている。
赤ちゃんの時は、なんのハードルもないところへ
さまざまな経験が、自分でハードルを作り出していく。
ことばの働きは、分け隔てていく。
名前をつけ、「これは・・である」と定義することで、
さまざまな発達をしてきたが、元々はなにひとつ分かれていない。
そこへ立ち戻っていく。
先天の世界はここにある。それに気づいていないだけ。
原発の事故は深刻だが、事実をよく知ること。
心配しすぎてもいけない。
小出浩章先生のお話では、チェルノブイリの年にお子さんが生まれたそう。
世界中に放射能は拡散したが、それで子どもが生まれてくるのをやめさせるのは
自然に逆らうこと。どんな状況でも、進んでいくものは進んでいく。
宇宙全体は変わりがない。
今、その中へ自分から入っていく。
それが、禅密功をすること。

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