気功のひろば

ブログ

2017.10.27

思いを手放す 〜9/10京都

2017/9/10 於:朝日カルチャー京都 天野泰司
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*思いを手放す

なぜ私たちは、さまざまな苦しみと共にあるのだろうか。

苦しみを減らすには、心の許容量を増やしていく。
生きていること自体が幸せ、心のチャンネルを自分で切り替えてゆく。

生まれる以前からずっと続いている心の状態を、「先天」と呼ぶ。
それは、普段の日常的な心の動きとは違う、言葉以前の世界。

言葉に翻訳できる心の部分を、「後天」と呼ぶ。
それを、分けて考える。

例えば、家にいる動物たちとは、言葉を通して心が伝わっていくけれど
インターネット上で飛び交うメッセージでは、誤解も生まれやすい。
声の調子や表情、間の取り方、心の向かう方向、
体が緊張しているのかゆるんでいるのか等等、
コミュニケーションでは、「体につれて動いているもの」が、多くを占めている。

「言葉以前の心」が、体に宿っている。
BodyとMindは、相互に作用し、影響し合っている。
その両方を、同時にみていくことが大切。

気功では、意識的な働きを静めていくことを「入静」と呼ぶ。
何度でも繰り返し、ゼロに戻る。
「先天の心」が、はっきり現れてくる。

今を生きているのは、先天の心。
将来や過去を考える、時間感覚をもっているのが、後天の心。

方法はやさしい。
体の心地よさに集中し、頭の中を空っぽにする。
そうやって、時間につながれている感覚から自由になる。
心と身体の両面をつないでいけるのが、気功の良さ。

心に浮かぶ、さまざまなおしゃべりにつきあわない。
雑念と呼ばれるものは、淡々と見て、あいづちも打たない。
ただ、聞いているようにすると、会話は成り立たない。
そうしていると、言葉以前の体の部分が、大きく変化する。

[実習・あくび〜心がおちつく やさしい気功」。

「入静」は、集中を保ちながら、気楽にやってみる。
自分を見張る気持ちや、緊張感ではない。

起きているのとは違う、眠っているのでもない。
瞑想的な感覚を特別なものにしない。
心が静かになるのではなく、心がさまざまに動き、流れ、留まらない状態。

心を、つなぎとめることをしない。
楽しかったことや、気持ちよい体験にこだわると、苦しみもつなぎとめてしまう。
一時的な幸せを壊したくない思いが、
心をつなぎ止める。
手放したほうが気持ちよい。

気功をすることを積み重ね、日常でも思いを手放すようにしていくと
ちょうどいいことが、ちょうどいいだけ起こる。

「盛り上がったような気持ちよさ」を手放す。
大変なことを、手放す。

同じことをしていても、毎回新しくて、飽きることがない。
毎回毎回、違う気持ちよさがある。
新しい気持ち、新しい体で味わう。
その後には、深みのある心地よさがある。

*秋の体 

秋の焦点は、腰。
なでる、足湯、水をのむ。

足裏・内股・耳・腎臓のてあて、脇腹・後頭部などの
どこか一カ所にはっきり出ていることが多い。
その時々に、したいところを、ゆっくりなでたり、てあてする。
その一カ所から体全体が変わる。

[実習・耳をこする〜腎臓のてあて、体をねじる]
[実習・肩の荷がおりる気功
(純)

2017.10.25

流れる心へ〜「禅密の学校」秋分

「禅密の学校」9月の2日間より、
お話の一部をまとめます。

2017/9/23-24  天野泰司 
於:アスニー山科和室
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昼と夜が同じ長さ、陰陽がバランスする日、秋分。
本来分かれていないものを、分けることによって合わさることができる。
陰陽の原理、昼と夜、男と女、天と地。
そこに躍動のエネルギーが生まれる。

すべては、仮に分かれている。
分けて、それが決まっているかのように扱う危険性。

なぜ生きているのか。
この状況は何なのか。
複雑な現状を、生まれる力・捨てる力、それが引き合う
単純な原理として感じていく。
生命のダイナミックな波の中にいる、その原点に立ち返ると
生活が違って見えてくる。
そうしたことを、体を通じて感じていく。

具体的には、陰陽合気法天地部・人部、寿の法、穴追いなど。

心を整えていくのによい時期。
土台は「背骨が自由」=体の中の流れがスムーズ。
そしてより細かく、微妙な味わい、体の動きに落とし込むことで
心も動いていく。

辛い思いが浮かんでくるということは、
その心の傷を乗り越える準備がある、ということ。

不安には、「〜になったらどうしよう」という将来への不安と、
過去の不安の持ち越しが多い。

「〜になったら」「〜にならなかったら」、揺れる心。
不安な心と、不安になってはいけないと思う心。
どちらにしても不安で、
その力同士がぶつかりあってどこかで止まる。

動かなくなった心は、「ばくぜんとした不安」に変わる。
それが、体を壊す一番の原因。
「そのまま止まっている心の状態」がたくさんある。
固定して持ち越す、心の奥底に沈んで隠れてしまう。

隠れていた思いが浮き立ってきた時に、体をほぐす。
天地、自然と一体になった感覚を持つ。
「おちつく気功」もよい。
ふつふつと、出てきたものがおさまってくると、消えていく。

どっちでもいい。
一番いいことを選択する、それが自然。
理解は大切だが、理解しているだけでは迷うだけで決まらない。

「不安をしょったまま、生きるのをやめよう」という
楽しい決心をしよう。
不安から離れよう。

自由な心が、全力発揮につながる。
死の淵迄行ったような人が生き返った後、大きく活躍することがある。
それは、心の自由を得たから。

生きている限り、心の自由度を広げていく。
心の掃除をこまめにするように、
そうした方向へ、向かう明るい決心をしよう。

人のために、全力発揮することを慈悲と呼び、
心の自由を実現して、全力発揮することを「空を理解した」という。
それは同じ物事の1つの側面、
自由な心とは、ただ、流れている心。

[実習・禅密功基本功・陰陽合気法天地部・三円功]

[実習・肩と腕…合谷のてあて、穴追い]

[実習・気の法、寿の法]

(純)

2017.10.24

楽になるレッスン〜心が澄み渡る 10/21中之島

台風の近づく、選挙の前日。じっくり少人数。
中之島の18階は、こころと向き合う
天空の異空間でした。

2017/10/21 於:朝日カルチャー中之島 天野泰司
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*心の声に従って

「心」は、コロコロ変わっていくのが自然。
嬉しかったり、悲しかったり、怒ったり。
その状態を引き止め、つなぎとめようとすることで
安定からより離れていく。

予測しないことは、起こるもの。
抵抗したり、歯向かったりしない。

心には、波があるもの。
波打つこと自体が、健全な心。
心を静めようと努力を重ねれば重ねるほど、
苦しみ、悲しみの中に留まることになる。

明日は投票日。新しい動きが起こっている。
自然発生的に、今必要だから出てきたことが大切。

「自発的な動き」は、完全な自由、圧倒的な自由で支えられる。
限定付きの「自由」や
「まぁ、ここまではいっか」と自分で決めた自由でもない。
身体から湧き起こる何かに従って、すべてを投げ打つような
「今、これがいいぞ」と思うことをやっていく。

もちろん、生きていく上でさまざまな制約はあるが
知らず知らず、自由な空間に、自ら線引きをしている。
そんな枠の中で、知らずに頼っていたものが
がらがらと、不可抗力的に崩れていくことがある。
魂の声に従って、枠を取り払って動く時。

今回の選挙でも、心の声に従って
自主的に立ち上がった人たちは、活き活きした表情をしている。
心がスッキリしていると、身体も活き活きと働く。
心と身体はひとつ。

秋は、心理的な面が前面に出てくる季節。
涼しくなって、心が繊細になり、それが身体に反映する。

辛く苦しかったことが、ふっと浮かんでくる時でもある。
過去の辛さや怒りが、体のどこかに留まって
「漠然とした辛さ」として、心身に作用し続ける。
秋は、それを精算できる好機。
辛さ、出来事が浮かんできたその時に
体の不快な部分を、ただ感じる。
解決しようとしなくてもよい。

そうすると、過去の苦しみがひとつひとつ取れて、流されていく。

[実習・あくび」〜浮かんでくる違和感に、集中しながら。

うつむいてゆっくり息を吐く。ゆっくり頭を上げて、楽に上を向く。
口をあけて、あくびになったら正面に戻る。3回。

心がおちつく やさしい気功」〜気持ちよさに集中しながら。

*楽なほうへ動く

楽なほうへ動くことで、整う。
その中で感じる痛みは、耐えられないものではない。
「もう少しでスッキリするぞ」感がある。

「ゆっくり」動く。なるべく繊細に、体中の感覚を働かせる。
感覚が広がってくると、それにつれて体が一番いいように動き、
自然な働きが引き出されていく。

「心の自然な働き」も、信用して良い。
心は、「コントロールしなければいけないもの」ではない。

心を澄ませてゆくことの意味は大きい。
以前に比べて、ゆとり、余裕がなく、環境的にも
心が自由になる時間、スペースが少なくなって来た。

自分を忘れ、自然とひとつになる時。
山に上って、はるか彼方を見下ろす時。
「自分を見張っている心」から離れ、
解き放たれた心が、元の居場所に戻る。
旅は、原点回帰になる。

けれどこうして今生きている中に、雄大な自然の営みがある。
「私」は、神秘の固まり。
地球に生命が誕生してから、途切れなくつづく生命。
体にふれていくことで、たやすく原点回帰が出来てゆく。

なでる、味わう、心が透明になる。
昔は武士も茶道やお能をしたり、出陣の前に歌を詠んだりした。
死んでもいい、だから強かった。
自分の枠がなくなり、我を忘れる。
そうした時に、力が発揮できる。
自分を含めた全体のために、力が湧いてくる。

枠の中に自分を引き止めない。
自由な心に戻れるような時を作る。
一瞬の中に無限の広がり、そうしたものと出会った瞬間を大切に。

*冷えについて

「冷えたらあたためる」と、『はじめての気功』に書いた。
冷えることを心配して、何枚も重ねることを続けていると
それがなくなった時に冷える。
それよりも、冷えた時に、冷えたところをすぐにあたためる。
そのままに置いておかない。

寒さでちぢむ、あたたまってゆるむ、またちぢんで引き締まる、
そのリズムで体は強くなる。
京都は厳しい冬、暑い夏に鍛えられて、長寿の老人が多い。

[実習・足の指の間を開く]
足の裏と、足の甲をゆっくりなでる。
それぞれの指の間、骨と骨の間を、先から上へ広げながらたどっていくと、
狭くなっているところがある。
3・4指間が狭くなっていると、冷えている。
小さな固まりを見つけたら、そこにじっと
軽く両手の親指を重ねて、しばらく集中する。

最後は立って、のびのびと動いて終わりました。
次回を楽しみに、みなさん気持ちよく帰られました。
ありがとうございました。
(純)

2017.08.24

願いをかなえる〜七夕てあての会

恒例になった「七夕てあての会」。
理事・よしふみさんが切ってきてくださった笹に
みなで短冊をつるし、周りで盆踊り。
願いを天に届けました。

「願いが叶うことは自然」と天野がいう、ポイントをまとめてみます。
(純)

2017/8/11 天野泰司

・・・・・・・・・・

自然は、無限に変化しつづけ、とどまることがない。
いま生きていること自体が奇跡、
「私」と他の人とは違う。
体に正直に生きる。

「やりたいこと」と、「やらなければいけないこと」を、今日は区別して
「やりたいこと」を短冊に書く。
体に聞いて、明瞭に分ける。

同じ方向を向いて、同じことをやっていく、全体主義にはすぐ限界が来る。
そのブログラムは単純なので、何度でも発生するが
合わないことに努力しない。
同じ方向を向かない。

「右向け右」ではなく、「どっちでもいいよ」という世界観にいないと
それぞれに最適なものは選べない。
思い、願いが叶った状態、それだけを思い浮かべ、枠を外す。

短冊を書くときは、
・過去形、現在進行形で書く。(身)
・書いてから、つぶやく。  (口)
・ありありと空想する。   (意)

密教で「三密相応」と言うが、
「自分が何をしたいか」に照準を合わせて、「身口意」を一致させる。

その時に、みぞおちがゆるんでいて、下腹部に張りがあるなら叶う。

もう決まっていること、決まっていないこと
どちらも書いてok。
決まっていることは、イメージを鮮明に、
事象をひとつひとつ詳しく分割して書く。
決まっていないことは、「実現する」+「その中の大事なポイント」に絞る。

自分のことを書く。
叶って困ること、人のことは書かない。

ユングが「集合的無意識」と表現したが、
意識できない9割の「潜在意識」、体とつながる部分は
みんながつながっている。
ひとりの夢が叶うことが、みんなの夢がかなうことにつながる。
それは、インターネットのしくみと似ている。

本来の、「自分のやりたいこと」をはっきりさせていく。
そして、書いて、つぶやき、空想して、忘れる。
そうすると、潜在意識の深いところへ
願いがストンと落ちる。
こうして「短冊」という形で、吊るして燃やして煙になり、
天に手渡していくのはとても良い。

自分の、手をあてたいなと思う所にてあてして
気づかなかった痛み、違和感に気づく
「てあて」もよい方法。
潜在意識との交流を深め、潜在意識が変わる。
[実習・足と首のてあて]

「生きている」こと自体、「生きよう」とする
願いが叶っている状態。
その中の細かいことをみていく。
日常を「夢を実現しつついる状態」として、
細分化して、独立した願いを立てていく。

[実習・短冊をかく〜周りで江州音頭♪]

(純)

2017.08.24

自分で見つける〜7・8月気功の学校

「気功の学校」後期、7-8月のお話から
少し、まとめますね。(純)

2017/7/2・8/6 天野泰司

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*7月 

体が「100%万全」といったことは、ない。
季節や、時期でも変化するもの。
すっきりしないところで、自力でバランスをとる。
苦しさ、つらさを敵視しない。

みな、苦しみ、辛さを抱えて生きている。
自力で壁を乗り越えようとする時に、辛さ・苦しさが伴う。
「やはり生きていこう」とするから苦しい。
自力、他力、そして天の力といったようなもの、
そうして乗り越えて体力が培われる。

そうした「天然のトレーニング」といったようなことが、
絶え間なく起こる。

梅雨は最も過ごしにくい時期、
汗をどんどんかいていくべき時期なのに、
長雨で汗が出にくく、腎臓に負担がかかる。

なので、「楽に動く」ことが大切。
立って、歩いたり、踊ったり。足腰を使う全身運動がよい。
自由に動く「活元運動」や、しゅーっとのびのび「ふりこ」をするのもよい。

*8月

夏。体力が必要な時。
生命力の中枢、後頭部、おなかにてあてを。
そして、楽に動きながら、不要な物を外に出す。
動いたら、ストンと休むと、深い息が入ってくる。

「楽」を見直す。
漫然と物事を行うのでなく、どうしたら楽なのか
いま、一番楽な姿勢はほんとうにこれでよいのか、
「自分で見つける」つもりで。

気功のポイントは「自分で見つける」スイッチを入れること。

そして、日々「心にささったこと」は、その日のうちに抜く。

・リフレーミング
「こうした見方もあるよ」と、自分にも、相手にも
捉え直し、言葉で伝えることで、頭の掃除になる。
「AだからBだよね」といつも思っていることを、
「Cでも、Dでもあるよね」と、違う見方を探してみる。

「すべてポジティブに、ということでなく、そのままを認め
いろんな見方があることに気づいていく。

相手は、自分の認めた通りになる。
状況そのものも、変わっていく。

その後、首をらくに、目を楽に。
あたためたり、手をあてたり。
そうすることで、分離していた頭と体がつながる。

・願望実現法
リフレーミングとは両輪にあたる。
8/11「七夕てあての会」で、短冊を書きながら、詳しく。→つづく
(純)

2017.08.22

縁と空について〜「禅密の学校」7月

「禅密の学校」7月の2日間より、
少しだけお話をまとめます。

2017/7/16-17  天野泰司 
於:アスニー山科和室
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今期のテーマは「私が背骨」。
背骨は、自然界全体と交信するアンテナ。

「背骨が自由自在に動く」ことが、禅密気功の中心。
それは、無限にある選択肢の中から、
瞬間瞬間、最適な動きを選びつづけること。
そして、背骨もなくなり、私もなくなる。

自他の力を、区別する必要はない。
「私」は自分に限定されない。

私たちは、世代を越えた無数の「縁」(=つながり)によって存在していて、
つながりがなければ、今存在していない。
それを「空」と呼ぶ。

「これが自分だ」という虚像、
作り上げた壁をほどいて
縁、空に還る。

「体の自然に還る」ことを、禅密では「先天に戻る」という。

仮のものである「私」が崩れると、「私のもの」もなくなり、
わずらいもなくなる。
西田天香さんの「無一物中無尽蔵」とした生き方、
こつ然と各地に現れた「妙好人」たち。
「空」「縁」といった考え方を灯火に、
心を自由に、体を通して、本質を理解していく。

体にまかせて、素直に軌道修正をする。
苦しみは苦しみとして享受し、
生活のなかの全てにある、快感を感じ取る。

礼節を重んじていた時代から、「我」を中心にするように変化して
自分に都合のよいことを身の回りにあつめ、
他人を責めることが多くなった。

自分の中の美しい部分をみとめ、
相手の美しい部分を心で拝む。
「てあて」をする時、お互いに礼をし、礼で終わるように。
相手の中の、先天をみる。

「これが私」と思っているものは虚像、
日常とリンクして、体で「空」を感じ取っていく。
(純)

2017.08.21

夏の疲れを抜く 〜8/20京都

厳しい残暑の中を、20人ほどの方が来てくださいました。
窓の外には東山、大文字。
涼しい会議室で、ひとときのゆるやかな休息。
年々厳しくなる暑さや、日々のよしなしごとを
しばし置いて、静かな心と身体を取り戻すひと時となりました。
(純)

2017/8/20 於:朝日カルチャー京都 天野泰司
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*頭の気を下ろす

暑い日が続き、ふらふらした時などは
まず、頭に上がっている気を下ろすとよい。

[実習・頸椎2番の左右、頭部活点のてあて。
あくび〜心がおちつく やさしい気功」。

「頸椎2番の左右」は、上を向いてみて、頭と首のちょうつがいになっている位置。
右側は頭の血が下がる、ふらふらする時など。
左側は上がる。貧血の時など。
「頭部活点」は、鬼の角が生える位置。
ゆっくり、指先でてあてする。

こうして、涼しい場所で、「体がほっとする」一連の時間をとることで
周りの状況は変わらなくても、受け容れ方が違ってくる。
さまざまなことを、脚色・評価なしで、自然に受け取ることができる。

苦しみ、悩み、心配は、四六時中考えていると疲れてしまう。
いっとき手放す。
そして、ほっとした感じを作ると、許容量が増えて
見直すことができたり、
山が越えられそうな気がしてくる。

最初はエベレストのように思えていたものが、
モンブランくらいに思えてきて、
「富士山くらい、いや、比叡山くらいかも」
「それならば自分の足だけでなく、ロープウェーやケーブルを使おうか」
そんな感じが出てくる。

自分で、「山が高い」ことを決めている。
山のけわしさ、高さを決めている。
その大脳の働きを、(先ほどのような)やさしい動きで
ほどいていくことができる。

そうすると、自らを苦しめていた頭の働きが抜け、
体もゆるんで楽になる。
脚色して、苦しみを増やしている。
「こんなに苦しい」と決めている。
そうしたことも減ってゆき、
生じて来る大変な現象も減る、という
効果が連鎖して起こってくる。

ひとりひとりの潜在意識は、深い部分でつながりあっている。
動物的、植物的、物質的感受性といってもよいが
そうして、私の「高い山が次々に現れる」ことが減って
葛藤が少なくなってくると、
周囲の人、周りの世界も変化してくる。

頭の気が下りると、体の働きが活発になる。
「体の働き」とは、90%以上が無意識的な働き。

今日から3日間、できれば1週間、
きょうやったさまざまなこと
「頸椎2番左右のてあて・頭部活点のてあて、あくび〜おちつく気功」を
続けてほしい。

それは、秋への準備にもなる。
秋は、辛かったことなどを抜いていく、心の整理によい時期。

こんなに暑いけれど、もう秋に入っている。
すっと涼しい風が吹いて、夜になると虫が鳴く。
辛かったことを、ふっと思い出す、
そうして、奥底に眠っていた昔の苦しみが
浮上してきた時が、洗い流すタイミング。

思い出した時に、「おちつく気功」などで
体をすっかり気持ちよくすると、
心の奥の辛さが「体から」抜けてゆく。

*汗の内攻〜秋の準備 

知らずに吸収してしまった添加物、農薬、化学物質などは
汗からしか排出されない。
それが、汗の効用だが、
汗を冷やしてそれが再吸収されると急性の異常が起こりやすい。

「夏バテ」は、ほとんど汗を冷やしたことから起きる。
そうしたときは、太ももの裏がちぢんでいる。

[実習・後頭部真ん中、腿の裏側のてあて]
「後頭部の真ん中」は、いちばん盛り上がったあたりの中央。
「腿の裏側」は、椅子に座って、
足の付け根のほうから順に、手のひらで両足のももの裏側の
固さを、やさしく確認する。固さのあるところにてあて。

夏は呼吸器がよく働く季節だが、
秋は、泌尿器が中心になってくる。

汗をかかなくなるので、腎臓の負担が多くなり
片側の腎臓が疲れると、体がねじれて腰痛が起こる。

[実習・耳をこする〜腎臓のてあて]
腎臓にてあてをし、ゆっくり足の裏から息を吐く。

椅子でゆっくり実習した後、
立って、「肩の荷がおりる気功」をして終わりました。
(純)

2017.06.12

心と体のお掃除 〜6/11京都

静かな落ち着いた雰囲気で、楽しい講座になりました。(純)

2017/6/11 於:朝日カルチャー京都 天野泰司
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身体は、2週間〜1ヶ月先を予測している。
その少し先の季節を感じつつ、月1回進めていく講座。
できたら継続して、1年の流れを感じてもらえると良いと思う。

梅雨は、汗が出にくくなるため、腎臓に負担がかかる季節。
腎臓が疲れやすいと、気分がうつうつとし、不機嫌になる。

同時に、雨で湿気が強く、運動が制限される。
そうして季節的に不機嫌になったり、
小さい子がおしっこを我慢している時のように、
そわそわしたり怒りっぽくなったりする。
こちらが、「そういう時期なんだ」と気づけば良い。

腎臓を元気に、そして体の自発性も育てていこう。

[実習・わき腹、内股、頭頂のてあて〜体を後ろにねじる
心がおちつく やさしい気功」。

脇腹に両手をあてて、脇腹で息をするように。
ねじる時の視線は水平。ねじりやすい方にすこし大きく、ゆっくり無理せずにねじる。

年も半ばに近づいて来た。
神社では、「夏越の祓」といって、この時期に
心にたまった罪ケガレを流してゆく。
「大祓祝詞」は面白くて、たまった罪ケガレを
神々がそれぞれ手渡してゆき、そのうちどこかへ無くしてしまう。

心と身体に分けて考えると、
心の嫌な感じ、悩み苦しみは、
まずそれから心を放して、ぽかーんとしたり、
気持ちよいことに集中すると、嫌なことが寄ってこなくなる。
しっかり悩んで解決策をとるのも大事、そのほうが苦しみつづけるより早い時も。
いつまでも「そのこと」を背負いつづける必要はない。

体の痛み、だるさ苦しさは、
腰痛なら体がねじれないように、痛くならない姿勢をとったり、
打撲で痛いなら、思わずとったそれをかばう姿勢、それが大切。
自分の「治る力」を助けるように、全身でその姿勢に集中したり、
てあてをしたり、
どちらにしても、できるだけ気持ちよくする。

[実習・心の動きにまかせる]
心に浮かんだ諸々をただ流していきながら、背骨からゆっくりゆれる。

普段は、楽なほうへうごくこと。
梅雨で動きにくく湿気のこもりやすい時期だからこそ、
換気や掃除もどんどんする。
活動すると汗も出やすくなる。
一番動きたい動きはひとつ、それが体のおそうじ。
持っていると苦しいものは、手放す。

といった話の後、立って、「肩の荷がおりる気功」をして終わりました。
(純)

2017.05.31

心がおちつく総会

2017.5.28(日)
清々しい初夏らしいお天気に恵まれ
気功協会の総会が開催されました。

集合は北白川の事務所。
ちょうど一週間ほど前に、
理事のよしふみさんが庭木の剪定をしてくれたばかり。
町家の一階は風が抜け、涼しくてほっと落ちつく空間に。

はじめのあいさつや会計の承認などの後
集まったみなさんと「心がおちつくやさしい気功」。
参加者の自己紹介、
会報「気功生活」100号を祝して
これからの気功協会のことなども話し合い、
とても実質的な、実りある場になりました。

そして、すぐ近くの
京都造形芸術大学近辺の散策へ。

大学の正面、大階段を登り、人間館の中を通り、未来館の横手から裏山の道へ。
そして瓜生山へ、さらに比叡山へと続く自然林の山道。

山の上の農場から赤松の林を抜けて、松鱗館の屋上へ。
裏手からは大文字が間近に見えます。

大文字

屋上には野外の能舞台があり、京都が一望できます。

心がおちつくやさしい気功」も、この屋上でビデオ撮影をしました。

日射しが強いので、赤松の林の中で「肩の荷がおりる気功」を。

木もれ日の中、
心地よい風、大地や樹々の気を感じ、良い時間を過ごして下山しました。

瓜生館にオープンした、カフェ・ヴェルディ造形芸大店で休憩する予定でしたが、
残念ながらその日は早めの閉店で、事務所に戻って休憩。

100号までずらっと並んだ「気功生活」を見たり、
岩塩のキャンドルホルダー、オリジナルのCDやDVDを購入したり、
思い思いお話に興じていたり、ゆっくりくつろいでいたりと、
どこか心地よく、とても自然な時間が流れていました。

気功協会らしい、とてもよい総会でした。
みなさん、ありがとうございました。

(あまの)

2017.05.06

初夏の気功・心地よく目覚める 〜5/6中之島

ゆっくり体をなで、のびのびと開く。
息が深く、心が軽くなる一日でした。(純)

2017/5/6 天野泰司
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

初夏は、「伸び伸び」。
体が活動的になる季節。
そのタイミングで、少しの手助けがあると
エネルギーが発散され、眠りが深くなる。

生命力の中心は、後頭部・おなか。

[実習・後頭部のてあて・おなかのてあて]

おなかの赤ちゃんには、まず頭をてあてする。
生まれたら、後頭部とおなか。
赤ちゃんには、「気が集まる」こと、
「気の満ちた感じ」が一番大切。
おなかに赤ちゃんがいる時には、物を運ぶようにでなく
いつもそこに、その子がいることを意識して育てる。

私たちも、生命体として、ここにある。
心と体の区別もない、いのちとしての「私」は
気で成り立っている。
「気の充足感」が最も大切。

「欲」には本来の欲と、二次的三次的欲がある。
「仕方ないかな」「私にはちょっと」としたかったことのグレードを落とすことで
本当は何がしたかったのかわかりにくくなり、
眠りが浅くなってしまう。

体の勘に添って、明瞭にしたいことをする。
楽々と、全力で。
そのスイッチを入れる。

そうした、自分でかけたブレーキ、
流れをせき止めるダムを、外すのが不安なこともある。

けれど、自然にはひとつも欠けるところがない。(=円満)
「生命体としての私」にも、完璧な働きが内包されている。

ただ、「楽」を大切に、ありのままに戻る。
そのひとつの方法が、こうしたやさしい気功。

「実習・心がおちつく やさしい気功」。

夏の準備をいまのうちにしておくと、
梅雨の時期、そして夏がスムーズ。
後頭部のてあて、おなかのてあて、
そして「肝心行気」=肝臓と心臓のてあてを続けるとよい。

梅雨の時期は、雨が続いて
「動きたくても動けない」感が起こる。
その時は、「体の内から起こる自発的な動き」に忠実に。

例えば、あくびがしたくなってあくびする、
首を回している時、思わず「こう回したい」という
そうした「思わず」出てくる、自発的な動き。

肩の荷がおりる気功]。

のびのびと、胸を開いて。(純)

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