気功のひろば
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2016.06.22

暴力

The Book of Life
6/22のテーマは
Violence

以下、天野の訳です。

—————-

「暴力」というものに、完全な注意を集めた時に、
いったい何が起こるでしょう。

私が「暴力」と言っているのは、
信仰や信条、条件付けなどによって
人々を分け隔てることだけではなく、
自らの安全を求めたり、
社会的な慣習に従って
個々人の安全を守ろうとすることも含まれています。

あなたは、その「暴力」をはっきり見ることができますか。
完璧な注意を伴って見るのです。
すると、何が起こりますか。
完璧な注意を伴って見ることは、
歴史を学ぶことでも、あなたの夫や妻を見るときでも、
どんなときでも同じです。すると何が起こりますか。

あなたはそうした完全な注意をはらって何かに対したことがあるでしょうか、
おそらくほとんどの方は、そこに至ったことが無いでしょう。
でも、そうしたら何が起こりますか。

そもそも注意とは何ですか。
あなたが何かに完璧な注意を集めている時、
そこには確かに、暖かな気配りがあり、
暖かな気配りは、思いやりや純粋な愛情が無ければできるものではありません。

愛があって注意を集めている時、そこに暴力は存在し得ますか。
お分かりですね。
「形式上は暴力はいけないと思ってきた」、
「私は暴力から逃れてきた」、
「暴力は正当であるとしてきた」、
「暴力は自然なんだと言ってきた」、
それらは全て、注意の欠如です。

ですが、もし私が「暴力」と呼ばれるものに注意を集めるとすれば、
その注意の中には、暖かな気配りがあり、思いやりがあり、純粋な愛があります。
そのどこに、暴力というものの余地があると言うのでしょうか。

——◆ 訳者コメント ◆——-

信仰の違い、主義や考え方の違い、
これはこうすべきだという固定観念が、
争いや対立を生み、相手を傷つける暴力へと発展する。
そして、自分の安全を守ろうとし、
自分にとって都合が悪いことが起こらないようにすることも
全て暴力に含めていることも深く心を打ちます。

てあての心で全てに向き合っている時、
暴力というものはどこを探しても見つけることができません。 天野

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