気功のひろば
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2022.03.07

心の平和 〜身につく禅密・お話から

有料配信「身につく禅密」第2回、
後半のお話から、いま大切と思う部分を、みなさんにもシェアします。

第三回は3/20、まだお申し込みできます。
1・2回めをアーカイブ(動画記録)で。お送りするアドレスから、すぐごらんになれます。
3回目はライブ配信でぜひ。アーカイブも残ります。

2022/2/26 天野泰司

・・・・・・・
生じてくる心の動き、からだの動きに任せていい。
体の痛みも、心の痛みも「ここが痛いのね」と、
ありのままに受け入れる。

何とかしようとするのは、軍事侵攻とあまり変わらない。
心はコントロールしようとすると逃げていく。
「従え」と力で抑えると反発をくらう。
「こうしよう」と力づくでやろうとすると失敗する。
家族にも、自分の心身にも、それはやってはいけないこと。
だから、戦争はうまくいかない。うまくいった戦争なんてひとつもない。
お互いに、どのへんが一番心地よいかという巡り合いが一番大切。

Q. 頭に浮かぶ色々なことは、流す感じでいいでしょうか?
A. 流すというより、どこかで上映している映画が流れているような感じ。
なくそうとすると大きくなる、
流れているなーという感じで。
雑念だということ自体も最初は感じられない。
雑念とわかること自体、心がやわらかくなっている。

意識に上ってくることは心のほんの一部。
そのまま淡々とみていくと、体に合っていなければ体が流してくれる。
ふりまわされないでいると自動的な調整運動が起こって、
必要な動き、結びつきが出てくる。

自分の心に対しても、こうしよう、と力ずくで動かし、無
理を強いるのは軍事侵攻のようなもの。
不安な時は距離をとって、ルールの中で。
他方で、安心できる場を持ち、自然の道に沿って、生じてくる
心と体の動きにまかせて。
本来の心身の状態にアクセスすることが普通になると
自分も周囲も、平和になる。

〔実習・心がおちつく やさしい気功

不快な部分があっても、強くもんだり、ほぐそうとするのではなく、
中から自ずとほぐれてくる動きが出てくるように。
そのひとつの入口としてぜひ使って。

3/11が近い。心身が大きく変わる時期。
「おちつく気功」を禅密的にするのもよい。
体が自然に動いてくるのは根源的なこと。
内からあふれてくるものにアクセスすることで、効果が出て、
心の状態も変わってくる。

誰も戦争しようなんて思わない、そうした世界の中に入っていこう。
ひとりひとりが心を豊かに耕す、それが世界全体を平和にしていく大事な一歩。
小さな一歩かもしれないが、(集合的)無意識に
ほんとうに落とし込んでいったときは、その影響は計り知れない。

ほがらかで明るい感じを培っていこう。(純)

2020.12.28

2020講座おさめ・ギターと大祓

12/27、今年最後の小さな講座。
蔦町の新しい事務所で講座おさめでした。

まずは、大祓祝詞のお話。
私たちが精神活動を積み重ねていく中で、記憶の断片に苦しみ、迷う。そうした「罪穢れ」、知らず知らずに溜まったものを、あくびをしたり息を吐いたりして、ゆっくりと流していきます。

ひとやすみは、makaちゃんのハーブティ、冬らしい和紅茶ベース。

そして和田さん手作り「WADA CAKE」。
「大祓」ということで、レモンジンジャーとスパイシーなドライフルーツ。
ますます完成度が上がっています。

新作「微笑みの気功」と、大祓祝詞。青木隼人さんのギターと合わせ、贅沢な時間に。

終えて、 みんなでお掃除。お庭、たたみ、事務所、玄関と、どんどん進んでいきます。
玄関に、伊勢でお受けした〆縄もかけて
こんなに早く新年の支度ができるなんて・・感涙 。

「通信講座・self」の教材も、投函しました。
あとは「気功生活」にとりくみつつ、自宅の片付けのみ 。

それぞれの技が合い重なって、今年完成した新事務所の、心あたたまる
最終講でした。 みなさまもどうぞ、よいお年を。(純)

2020.08.19

Montly live7月 心肺の気功 〜水害の朝に

7月の配信、お話を起こしてみました。大雨の上がった、朝でした。
動いている途中のお話は、動画のほうでごらんくださいね。

2020/7/8 天野泰司
・・・・・・・・
日本は地震も火山も多く、古くから荒ぶる自然と共存してきた。
おそれを持ち、敬いながら恵みを戴いて生きてきた。
災害に遭われた方、辛いけれど自分の手で心身を少しでも楽にしていただけたら。
このレッスンを使ってほしい。被災した方があれば伝えて欲しい。
必要な方々に届くのが私たちの願い。

[労宮と肘]
気が上がると、心臓がドキドキする。
心配するしかなく疲れてしまう時は、手のひらの真ん中、労宮を。
親指をあてて、固まりがあれば、じーっと追いかけていく、
あがってしまう時にも。だんだんにほどけていく。
心臓とつながる鎮心の急処、整体では上肢一番。

緊急時は時に、「自分の体の中の薬」をできるだけ使うように。
内からの働きを高める作用を引き出すことは可能。
左肘を手で包んで温めても良い。

[呼吸の能力を上げる]
今コロナが蔓延。感染するしないに関わらず、呼吸器を強くしていくのにいい季節。
気温が上がり、体も活発になっていく頃。
呼吸を通じて酸素を取り入れないと、栄養は吸収できない。
しばらく食べなくても生きていけるが、呼吸を止めることは不可能。
エネルギーを作ることに呼吸は直結、その量がわずかに増えるだけで体は元気になる。
生活にゆとりができ、豊かになる。わずかなゆとりは大切。
体は使った分だけ能力が上がる。呼吸の能力を使っていくと、呼吸にゆとりができる。
おなかも、頭も、使っては休める。ひきしまったら、ゆるめる。
この時期は呼吸器は自然に活発になるので、上手に休めることが大事。

[実習・胸を広げる〜肩の荷がおりる気功本日ver.]
やりにくさや凝りに気づいたら、そんな自分をほめてあげる。
自分を責めないこと。意識が入らないほど、体は自然に変化する。
必要な反応が起こる。もっと軽い気持ちで自分をみていく。

外に出たり動けないとき、力を抜いて動くことを思い出して。
他の人の目があっても、腕をなでるようなことはできる。

ここ数年だんだん気温が上がっていたので、今年は少し過ごしやすい。
人は適応する、能力は高まっていくもの。
なので、頭に溜まったもの、体の疲れをほどいていく時間が大切。
どうしても辛いほうにスポットが当たりやすいが、
「心地良さ、自分を大切にすること、希望」に、一日15分でよいので全面的に光をあてて。
それが気功の大事なところ。

[実習・心がおちつく やさしい気功]
自他はひとつ。
不安ではなくて、あたたかい心を大変な人たちに送る。

[足裏をなでる]
足裏は腎臓、アキレス腱は呼吸器とつながりがあるので、
足裏をなでることで眠りやすくなる。緊急時や風邪の初期の心得。
そうすると、自分が動きやすくなり、ほがらかに全体を見ていけるようになる。

支援する側もされる側も、心の状態を良いように保つことが大切。
そのために、自分を心地よくするすべをもつ。

「おちつく気功」は、ぜひこの期間続けて。
習慣化したものは即座に役立つ。
しばらく休んでも、必要な時に体が思わずやってしまう。
感受性、心理状態が変わて自然に働き出す。(純)

↓動画はこちら! 改めて、見ながらじっくり。

2020.08.11

禅密web5月 〜真言と由来と

昨日8/10、「禅密web」、6-8月基礎編の配信が終わりました。
61人のとても良いクラスになりました。

*次期10-12月に向けて、見たい方がいらっしゃいましたら、こちらからお申し込みください。
3回分のURLをお伝えします。学費、支払方法は同様です。
10/10までに、繰り返し深めてください。

きょうは5月配信のノートを簡単にまとめてみますね。
きのうご覧になった方の、補完にもなるかと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・
【講座ノート】2020/5/17  天野泰司

*禅密功の由来

禅密気功は、1998-2004年にかけて
創始者の劉漢文先生に直接学んだ。
気功協会の設立、2000年と重なり、ひとつの柱になっている。
インドからスリランカ経由で一子相伝で伝えられた古い密教から、
劉漢文先生がみなに役立つものを「中原密功」として公開。
中原はいまの西安。
李子楠先生の案で「禅密気功」という名に、一斉を風靡した。

開かれた密教。
劉先生が偉いのでなく、「自然が先生」という考え方は
気功協会の土台になっている。
禅密は、体で自然を体験していくことができる。
コロナ禍で思いがけず配信・公開に、
生活や精神活動の根底にあるものが、地から、
地蔵が湧き上がってくるように起こってくる。そうしたタイミング。
災い転じて福となる、体内で転換していくのが密教。

「諸漏漏尽」、災いは尽きることがない。
困難を減らすことも実際的に必要だし、
心の土台を切り替えることも大切。

*三点一線と真言

「三点一線」がいちばん大事。
エネルギーの象徴としての「蛇」がゆれている。背骨が生きている。
背骨を通じて「天根〜地根」、その間でゆれている。
限りない垂直軸が、自ずと揺れ出す。

禅密功の真言はシンプル。一音だけも多くある。
原始的な密教の流れをくんでいる。
音程は特になく、のどの「天梯」をふるわせる振動そのものを感じていく。
劉先生に習った音を忠実にやっている。
音が聞こえるのが「明呪」、振動だけになると「暗呪」。
「尋音〜知音〜真言」、初めは真似て探し、練習を重ねて音を知り、
真言となってゆく。

仙椎から骨盤の大きな性のエネルギー、
人として、生命として連鎖しているエネルギー。
その大きさゆえに苦しむ。
用い方を変えると、楽しい、素晴らしい方向に。
身・口・意(手印・真言・イメージ)を使っていく。「三密相応」。

[実習・のび・眠の法(後頭部にてあてし、足をくんで休む)]

*動静楽寿

劉漢文先生は、誰でも簡単にできる小さな功法を
「動静楽寿」として、晩年に普及。
「動く・休む・笑う→健康で長寿」=「動静楽寿」。
眠の法もそのひとつ。

戦後の物資のないなか、気功ができた。それもなくなって、もっと分解。
私たちもその流れをくんでいる。
例えば、あくび、笑いは天然の呼吸法。
生きている、そのものを笑いで貫いていく。
ほがらかであること。最初に、そういう世界に入っていこうとする心持ちが大切。

深めていくことと、日常化・簡素化が気功協会の両輪。
学ぶ意識を持って集まる人たちと、無限に広げていく2つの方向性。

[実習・基本功(前後・左右・ねじり・自由)]
[実習・真言]

体を越えてひろがってゆき、
意識を持ったまま天然に立ち返っていく。
(純)

2019.12.20

無一物中無尽蔵 〜高野山にて

2019.11.16-17、「禅密高野山合宿」。

西田天香さんの「無一物中無尽蔵」をキーワードに、
弘法大師空海「秘蔵宝鑰」、
劉漢文・禅密功から「陰陽合気法・人部」。
時代の違う3人の共通点に光をあてて、
体を動かすことと、瞑想を中心に深まりある合宿となりました。
最初の講義から、まとめます。(純)

於: 高野山普賢院 話: 天野泰司
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私たちが今学んでいることが、弘法大師やそれ以前のお釈迦さまたちが
やろうとしたこととクロスオーバーしている。
空海は、それまでの仏教のように段階的・間接的でなく、直接本質(秘密の蔵)に入ってしまう、
そのために高野山という場所を選んだ。
私たちはもう秘密の蔵の中にいる。観念してください(笑)。
人は幸せを求めて生きている。それに近づいていく合宿に。

*西田天香さん語録から

・無一物中無尽蔵、有花有月有楼台。
・物そのものは本来誰のものでもない すべて全体のものである
・拝むと云うのは自分をなくするのです。
 自分をなくすると全体が自分である。

・本来自分の物、そんなものがあるはずがないのです。
 無一物にいて祈りに祈る生活が、この上もない無尽蔵の宝を持つ、まことに如意宝珠であります。
・無一物と言うと無尽蔵が隠れ、無尽蔵と言うと無一物が隠れてしまいますが、
 これは見方によって何とでもなることなので、正しく言えば、
 無一物がそのまま無尽蔵であり、無尽蔵がそのまま無一物なのであります。

・自分というものに執われないと全体が一つである、ということがよく分かる。
 この自分というのは、迷いの世界である。
 「元来は一つである」ということを知ったとき、我々の本国を知ったことになる。
・拝んでいないとき、ほんとうに拝んでいることがあるのです。
 力んだり騒ぎ立てたりして拝むことは、仏には通じぬ。静かに自分が仏と一つになるように拝むのです。

・われらは〇の当体に帰ることによって、生死を超えることができる。
・今一番世界で要求していますものは、落ち付いた生活でありましょう。
 それは、思い切って複雑な物を捨てることによってでないとあらわれてまいりませぬ。
 あらゆる点において人類全体が楽しめること、落ち着けること、
 そうしてまた闘争しないような平和な世界を生み出すには、
 極度に単純な、ありのままに帰らなければならぬ。
 そうしたものが一番値打のあるものです。また美しい尊いものです。

天香さんの生き方そのものが、この思想を表す。
何も持たない。所有を完全に捨て、それでいて周囲が助けてくれる。
共鳴した人が集まって山科に一燈園という場ができたが、場も預り物。
年末になると全部置いて路頭に帰り、呼びにきてくれる人があると戻る。
何も持たないことが、全ての力を自分の中に持つことと同じになる。
それを、金銭や物が動くこの世界でやってみせた稀な実践。

今ある宗教は一方でお金を稼ぎ、また教えていく両輪だが
そもそもは、お金も、教えも誰のものでもない。
その原点に還ると執着を捨てやすくなる。
「私」が執着の源。

「陰陽合気法・人部」の瞑想も同じで、
自分が色濃くある状態では瞑想はうまくいきにくい。
自分というものをなくしても大丈夫なんだ、と最初に知っておくと
瞑想がはかどる。秘密の蔵に直接入る準備。
色んなものを持ちながらでは遠回りになる。

*空海「秘蔵宝鑰」

「秘蔵宝鑰」は空海の主な著書のひとつ。
ちくま学芸文庫「空海コレクション1」がわかりやすい。

序が有名、文章が詩的で美しい。
・・牛頭 草をなめて病者を悲しみ
 断し車をあやつって迷方をあわれむ
 三界の狂人は狂せることを知らず
 四生の盲者は盲なることをしらず
 生まれ生まれ生まれ生まれ 生の始めに暗く
 死に死に死に死んで 死の終わりに冥し

「生死、輪廻を巡って闇の中をさまよっていることを皆気付かない。
私は教えてくれる師があった、迷いから抜け出してください」ということを言っている。
空海は、すべてをかけてそれをやろうとした。

実際のやりかたの書かれている部分。
「十住心論」の10番目に、
空海が唐の恵果阿闍梨からいただいてきた密教について書いている。

・・凡ゆ伽観行を修習する人は当に須く具に
三密の行を修して五相成身の義を証悟すべし。
いうところの三密とは、一に身密とは契印を結んで
聖衆を召請するが如き、これなり。

二には語密とは密かに真言を誦して文句をして
了了分明ならしめて誤謬なきが如きなり。
三には意密とはゆ伽に住して白浄月の円満に相応し、
菩提心を観ずるが如きなり。
次に五相成身を明かさば、一にはこれ通達心、
二にはこれ成菩提心、三にはこれ金剛心、
四にはこれ金剛身、五にはこれ無上菩提を証して
金剛堅固の身を獲るなり。然れどもこの五相、
具に備うれば、方に本尊の身と成る。
その円明はすなわち普賢の身なり。
またこれ普賢の心なり。十方の諸仏とこれ同じ。
またすなわち三世の修行、証に前後あれども、
達悟に及び已んぬれば去来今なし。
凡人の心は合蓮華の如く、仏心は満月の如し。
この観、もし成ずれば、十方国土のもしは浄、もしは穢、
六道の含識、三乗の行位、及び三世の国土の成壊、
衆生の業の差別、菩薩の因地の行相、三世の諸仏、
ことごとく中に於て現じ、本尊の身を証して
普賢の一切の行願を満足す。
故に『大毘盧遮那経』にいわく、「かくの如く真実心は
故仏の宣説したもうところなり。」と。・・・

具体的なやりかたのエッセンス。
月輪を観想する阿字観の後半、光の瞑想。
三密相応(身=手印(体を使う)、口=真言、意=イメージ、仏の光と一体になる)は
「陰陽合気法・人部」の瞑想ととても近く、おそらく源流が同じではないか。

空海は唐の時代、西安で法を授かって戻ってきた。
日本からゆく時は学生僧、帰ってくる時には膨大な教えと共に「虚往実帰」。
行く前の修行で直接感じるものがあって、行くとそれが体系だって詳しく書かれたものがあり、
そのまま全部受け取ることができたのではないか。

阿字観の「あ」は、存在の否定、ない・空という意味。

・・(本文より)本来金剛薩埵である私たち。日輪と月輪の観想によって照見した本来の心は、
静かで清らか、満月の光が虚空に満ちるようで、知覚や思慮を離れた真理の世界。
観想は悟りの知恵の実践、生きとし生けるものはすべて普賢菩薩の心を持っている。
満月の丸くて明るい形は悟りを求める心と似ている。・・

ここはちょうど普賢院。
「みんなの中にもともとある賢さは平で清らか、まん丸な白い光のようなもの」。
空海のいう、それを実際に禅密の瞑想でもやっていく。
禅密では「先天に戻る」「逆行の道」という。
今回「秘蔵宝鑰」を読んでみて、
禅密の瞑想は高野山の瞑想体系ととても近いことがよくわかった。
うまく伝わっていない実践の部分を、
私たちは幸い、よく学ぶことができている。

[実習・肩の荷がおりる気功 変形版]

*禅密と性

禅密は、性の働きをうまく使っていく。
今まで受け取ってきた性にまつわるタブー感、嫌な感じ、情報をクリアにすることが大切、
そうすると直接そのエネルギーを使えるようになる。

真言宗では理趣経をよく唱える。
最初の部分に、性の喜びは仏の境地、日常の出来事全ては仏の境地であると細かく書かれているが、
そうして、観念を塗り替えることが必要な時がある。
本来の純粋さを取り戻すことが大切。

生活すべてが仏の境地。例えば赤ちゃんの存在もそうだし、
野生の動物が狩をして他の動物を食べていることも、あっと思うが動物自身はそう考えていない。
残酷、と思うのは私たちのなかに残酷さがあるから。

これから使っていく性的な力は、手垢のつきやすいものだが
「これも仏の境地」と思っていただくとたやすく外せると思う。

禅密ではまず密処の感覚をつくっていく、体の中に火を灯していくことで動いていく。
それが光になったり、円相になったりするもの。
簡単なことがいちばんいいので、おちつく気功をやりながら禅密の感覚を織り交ぜていこう。

[実習・心がおちつく やさしい気功 禅密版]
肉中肉・密処の気感をもちながら手をなでる。
背骨を自然に動かしながら、顔をなでる。慧目が開く。(後略)

[実習・陰陽合気法・天地部]
劉漢文先生は単純明快、
「深刻に一生懸命やらないと気なんて動いてこないんじゃないか」というような思い込みを
見事に崩してくる。もともと天地と一体な訳だから、
わざわざ天地と一体になるために、一生懸命なのはおかしなこと。
あれこれ考えるのではなく、天然の只中に入っているような感じならok。
そうでないと、観念を崩していくことも必要になってくる。

(阿字観の図をさして)阿字を見て、このまるい光に一体化していく。
「あ」は空、そうだと思ったら違う。
般若心経にも二重否定がたくさん出てくるが、こうだと思っていることは怪しいと思って。
光と一体になっているような感覚がふっと出てきたら、いい瞑想になっている。

・・・一に身密とは契印を結んで聖衆を召請するが如き、これなり。
二には語密とは密かに真言を誦して文句をして
了了分明ならしめて誤謬なきが如きなり。
三には意密とはゆ伽に住して白浄月の円満に相応し、
菩提心を観ずるが如きなり。・・

禅密はシンプル、太陽なら太陽、月なら月、星なら星の光を観想してひとつになる。
宇宙との一体化すなわち仏になることを意味している。

ゆ伽は身体的な工夫をしていくこと。ひとつの教えのくくり。
ゆ伽密、無上ゆ伽密の段階があるが、禅密は無上ゆ伽密の直接体験の道しるべ。
意密がメインになる。

[実習・陰陽合気法・人部の前半]
(純)

2019.10.20

いのちの学校・はぐくむ

こどもを授かる可能性のある方、まとまった話を
天野から聞いておきたい方などを対象に、
「いのちの学校」を開講しました。

 気功協会には、ご家族のペア会員が18組、当日は5組のペアが。
私たちも含めて、6組プラス女性達で
生命を成り立たせる不思議な力、そのあたたかさ、
大きさに包まれる一日でした。
午前のお話から。次回は「更年期」11/4です。
(純)

 2019.9.16 於:アスニー山科 和室
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

*体の感度を上げる

妊娠出産にはさまざまな情報があふれるが、技術以前に、
まず大切なことは「自然を取り戻す」=「体の感度を上げていく」こと。
感度が上がれば、不自然なことがあれば自然に調整されていく。
その上で、手に負えないことや、
その部分の自然が立ち遅れ、敏感になってほしい時には、気を集めていく。
普段の気功と何も変わらない。

体の中で、とくに性の働きと関係のあるポイントを知って、
一通り観察したり触れていくと、自然に気が集中して、
体がなんだか変わってきた、いい感じになってきたなと思う。
そうした、自然な変化が大事。
方法や技術は多くあるけれど、本来「しなければならない」ことは、ない。

*骨盤と性の力

「妊娠・出産」イコール「腰椎・骨盤」。
性の働きが潤滑で元気だと、生きている楽しみは大きい。

女性は骨盤の横幅が広く、動く範囲が大きい。
骨盤が豊かで張りがある、それは性の力が大きいということ。
毎月、生理という出産の予行演習があり、
骨盤が開いては閉じてゆく。
そのゆったりしたリズムが「女性的な気持ち良さ」、
持続力のある集中感。
男性は、強く収縮した後に大きくゆるむ気持ち良さ、と言える。

開いていって、自他の境がなくなる。
溶け込み、受容する。
ゆるみきったところから、閉じていってまとまる。
生理の時に、その気持ち良さを味わう。
痛みがあったり、辛さがあっても、そうしたことをふと意識してみるとよい。

骨盤のそりがあることが若さ、
骨盤の位置が落ちて、性の働きが鈍るのが老い。

*今ここにいない、誰かのために全力で

男女が一緒に生活していると、2人の体が映し鏡のようになる。
女性が妊娠すると、男性の体にも反映し、同じ兆候が表れる。
だから妊娠以前に、2人でこうして学び、体に落として、
互いに、そして自分で調整していくと、すごくいい子が生まれてくる。
多くペアで参加していただいて、「よくここまで来たな」と
今この機会をとても幸せに感じている。

新しいいのちを育んでいこう、という気持ちが今ここに充満している。
見守る立場の方も含めて、「いのちを大事にしていこう」という気持ちが大切。

「私の」子供、「私の」赤ちゃん、という意識を手放すと
「はぐくむ」感覚が生まれる。

実際に子どもがやってきた時も、その感覚は全くない。
もちろん、遺伝的要素はあり、似ていたりするが、
どこからか、私たちを選んで、見ず知らずの新しい魂はやってくる。

今ここにいない誰かのために、全力で生命を開花させる
サポートをするのが、夫婦というペア。
そのひとの個性・能力が一番発揮される状態にもっていく、
そのために、妊娠前の・妊娠中の体を整える。

女の子が生後13ヶ月、男の子が15ヶ月までがいちばん大切。
成長して、思春期を終えたらサポートも終えていく。
性の働きが盛んになり、完成する頃。

「いつか出会えるかもしれない、新しいいのちのために」体を準備する。
「新しい生命の座」、体を玉座のように。
緊張感を持って頑張るのではなく、とことん気持ち良くゆるめること。
生活に、生理時に、行為に、出産に、
体の底から気持ち良い、ゆるみと引き締まりを感じていく。
それは、気功をしたりお散歩をすることでも味わえる。

お互いに大切にし合って、新しい命ができてくる。一人では妊娠しない。
男性は、毎日が排卵日。体を整えることに大きな意味がある。
体が、その決意をするかどうか。

[実習・てあて〜頭部活点と妊娠活点]お互いに。
[実習・足のてあて]膝にてあて、上下に動かし、膝裏てあて。内股、足首、くるぶしをなでる。
[実習・足首まわし]足首をそれぞれまわしたい方向へゆっくりまわし、横になって、のび。
足=骨盤、違和感を抜くことが大事。

待つことが大切。
自ら育つ、大きくなる、学ぶ。すべてオートマチック。
打撲にだけ注意して、打つことがあればなるべく早くてあてする。

[実習・立ってうごく]体の底から気持ちよく。
気功をしたり、お散歩をしたり、骨盤の動く気持ち良さを培う。
生理も、出産も、気持ち良さがある。それを探す。
気持ち良さを培う=性の力を培うこと。

*生理のときは

生理の1日目、2日目、骨盤が開いていくのを足湯でサポートする。
3日目がいちばん開いて出血も多い。ちゃんと開くと、閉じやすい。
目の温湿布で、精神的な緊張を抜くとゆるみやすく、とてもほっとする。
4日目以降は、卵巣のてあてをし、次の排卵にそなえる。

気をつけることは打撲、とくに女性の腰から下。
手首の緊張。手首が狂うと腰椎が狂い、子宮の位置が変わる。
あたためるか、ふってゆるめる。

生理中、妊娠中に目の温湿布をするのもよい。
ほっとすると、骨盤がゆるんで開く。
妊娠とは、骨盤が開いていくこと。それを滞らせないようにする。

*妊娠は勘

妊娠初期、2ヶ月目くらいから骨盤が開いてきて、気持ちもほわん、としてくる。
スムーズに開いてこない時に、つわりが起きる。
骨盤が開いてくると、安心感が湧き、受容的になる。
初期の頃に、「自分のしたくないこと」をしない。
勘がよくなって、ピリピリした感じがする頃。
シビアに、「自分のしたいことをする」。

骨盤は、最後の4週で少しとじる。気持ちもすこし閉じた感じになり、
おなかが少し小さくなって、4週で生まれる。

[実習・耳下腺のてあて]ひとりで・お互いに。
てあては、互いの命に対する礼。
いのちを大切にするありかたにつながる、いのちをはぐくむ原点。

こどもを授かりにくいときは、体の準備が遅れている。
とりもどす第一が、耳下腺のてあて。
二番目は、胸腺のてあて。
行為の後で、甲状腺のてあてをするとよい。
子どもを迎え入れる感覚で、行為をしていくとよい。

妊娠は勘。体が勝手にそちらへ動いていってしまう。
排卵を体で感じるようにするのが、最高の誘導。

2019.02.26

春を迎える気功〜新しい年を造る

2/24、急に春のような陽光。
午後から、山科で「春を迎える気功」の講座。
体調不良の方も多く、参加は8人と、贅沢な時間を過ごしました。
とてもいい講座になりました。(純)
・・・・

冬から春へ切り替わっていくこの時期に、自分の身体へ
全面的に、ていねいに集中することは
体の持っている夢を叶え、一年の礎になる。

春は、生まれ変わりの季節。
終わってゆき、生まれてくる。
新しい年が始まる流れの中にいま、ある。

気持ちがいいこと。幸せを感じること。
今の状態は置いて、ゼロから、
なんでも起こりうる、空っぽな、いま生まれたような心持ちで
今日を過ごしていこう。

[実習・「季節の気功」春のページから、あくび〜ゆれる]
[夢体操]
相手の後ろに座り、背中にてをふれて
ゆっくりとお互いに気持ちよくゆれる。

人は、互いに支え合い、かばいあい、相手が幸せであることを喜び、
また幸せになってもらいたい、と願う本能を持っている。
人だけが、何年も何年も、子育てをする。

ゆれていると、相手の気持ちよく感じる処へ自然に手がゆき、体が動く。

私の気持ちよさが増すと、相手の気持ちよさが増し、
相手の気持ちよさが増すと、私の気持ちよさが増してゆく。

自分の夢がかなうことは、周りの人の幸せに直結していて
周囲の人の夢がかなうことは、私の幸せに直結している。
夢がかなうことは自然で、互いの益に適うこと。

こうして動いていると、気楽に、私の夢を実現していく道が拓けてくる。

[春の健康法〜楽しいことの空想]
骨盤の開いてくる春には、楽しいことをふと思うのが、とてもよい。
いま、楽しいことを空想するのが難しいときは
時間を遡ってみよう。

(山科の和室の部屋で、畳の長辺を使って後ろに歩く)
畳一枚を10年として、ゆっくり後ろへ歩きながら
今〜10年前までの、楽しかったことを思い出す。
あと1枚。ゆっくり後ろへ下がりながら、20年前までの
楽しかったことを思い出す。
もう一枚。ゆっくり後ろへ下がりながら、30年前までの
楽しかったことを思い出す。

畳を一枚またぎ、その一歩で生まれる前に戻る。

何もないところから、一歩前に踏み出す。30年前の私。
畳一枚分をゆっくり前に進む。20年前までの楽しかったことを思い出しながら。
もう一枚分、ゆっくり進む。10年前までの楽しかったことを思い出しながら
もう一枚。楽しかったことを思い出しながら、だんだん今の私に戻ってゆく。

それぞれの持つ、固有のリズムがある。
自分のペースで進んでいるかんじ、心地よさを大切に。
速い、ゆっくりといった速度、どう切り替わるかも皆違う。
夢体操と同じで、自分のリズムを大切にしながら接していくことで、
他の人と織りなす新しいものがうまれる。

苦楽はひとつ。変化してゆく一連の中の、ひとつの局面だけを見ない。
苦しい時もあるし、楽しい時もある。
辛いことが多く感じるのは、苦しみから逃れよう、避けようと強く思うため。
その古いパターンを破ることが大事。

[「季節の気功」春のページから・ゆする]

辛かったことを一瞬思い出す。
それが身体のどこに響くかを探し、出来事は忘れ、
響いた処を中心に、気持ちよく全身をゆすってゆく。

精神的苦痛も、肉体的な苦痛を必ず伴う。
それが身体のどこかの部分に残っているのを、
気持ちよくゆすって、どんどんほどいていく。

[「季節の気功」春のページから・てあて]

うつぶせに横になってもらって、相手の骨盤にふんわりと手をあてる。
もう一方の手は、どこか好きなところ、
そこと響き合う処へふんわりとおく。
何も考えず、ぽかんとして、手が離れたらお互いに礼をして終わる。

[願いを書く]
台紙の真ん中あたりに、写真を貼ったり名前などを書き、2019年の自分をおく。
周囲に、叶ったらいいな、叶えたいな、と思うことを
「こうなりました」と過去形でかく。
それをイメージできる写真や絵などを置いたり、色をつけていくのもよい。

出来上がったら忘れて、引き出しに入れておくなどするか、
無意識に目に入るところに貼って置いたり、
携帯の待ち受けにするのもよい。

叶って困ることは書かないこと、他人のことは了承なく願わないこと。
しまっておいた場合、しばらく経ってから見てみる。忘れた頃がよい。
叶っている夢に感謝し、書き足すのもよい。

2018.06.26

先天に戻る〜5/20山科

「禅密の学校」は、劉漢文先生に学んだ禅密気功を
学んでいく、会員向け講座です。
5月のお話から。

於:アスニー山科 天野泰司
・・・・・・・・・・・・・・・
中国のお寺には、笑った弥勒菩薩が最初におられる。
禅密功の入り口も、「笑いの門」。
劉先生は、「禅密を学んでいる人は、笑っている」と仰った。

知らず知らずに、背負っている重荷。
「笑う」ことは、それを下ろしてもいいんだよ、という合図。
いつでも、子供のように、くったくなく笑える感覚。

禅密功で「背骨をゆらし、慧目を開き、密処をゆるめる」目的は
幸せを培っていくこと。

生きていこうとする意思は、天然のもの。
生を楽しむ流れを体で感じつつ、
知性も使って、負の要素を取り除く。
そうして、「笑いの心」に戻る。

禅密は、気の働きの中にいる感覚が大きい。
「生きている」そのもうひとつ前の何か、に触れてゆく。
心・体が分離していない状態に戻る。
[実習]

(純)

2017.12.21

日月潭へ 4

2017/11/26、いよいよ最終日の朝になりました。

朝といえば、気功です。
ホテルの向かい、大安森林公園へ。

地下鉄の駅も、新しくて素敵。

雨のあとで、草地に出られなかったので、通路に並んで
からだほぐし。

地元の人が、声を出したり、ヨガみたいだったり、
伝統的な気功だったり、さまざま自由に
朝の時間を過ごしていました。
そこに混じる楽しみ。

木の中で。

二度とないような時間。

きのうまで日月譚にいたとは思えない、濃密な4日間。
朝食後は、成田へ、釧路へ、何日か残って友人と、それぞれの元へ。

関空組は貴重な台北での最後の時間、
天野は奇古堂で東方美人と梨山烏龍茶をゲット。
幸運にも、ご主人がいらして、さまざまお話伺えた由。
私はホテルで休憩。ぐっすり寝ていました。

日本のMKタクシーから、予約しておいた
空港送迎は、かなり安心、しかも40分弱でついてしまいました。
あとも、とてもスムーズ。

みなさんほんとうに、ありがとうございました。

戻ったら、10度の気温差。
事務所の庭の紅葉が鮮やかでした。

(純)

2017.12.19

日月潭へ 3

日月潭、3日目の朝は、湖ではなく山へ散歩に。

日月潭は、おいしい紅茶の産地。
台湾で紅茶といえば、日月潭紅茶の18番、「紅玉紅茶」。

ここは、昔、日本人の新井先生が
台湾各所をめぐって、紅茶にはここ! と決めて
今も、いろんなお茶が植えてあり、改良開発をされている猫蘭山。
改良場の周りが、自然歩道になっています。

茶畑と、さざんかの花。

霧が立つところのお茶は、おいしいといいますよね。

朝霧。
朝に、お茶畑に行ってみたいと思っていたら
桂月村のご主人が、何も言わないのに
ちゃんと連れて行って下さったのでした。

新井耕吉郎先生は、今も慕われているとのことで
記念碑には、お線香を上げられた跡も。

日本人の技師たちが住んでいた寮。
平家で、住みやすそう。

このあたりはやはり、水も良いそうで、
甘い香りの紅玉紅茶にぴったり。

虫がいるのも、農薬が使われていないしるし。

朝のお茶畑は、さわやか。

戻って、民宿「桂月村」のおいしい朝ご飯。

すっかりお世話になって、いよいよ今日はチェックアウト。

台中から、新幹線(高速鉄道)で、台北へ向かいます。
1時間、車内で素食弁当。穀物入りのご飯と、野菜です♪

ホテルは、大安森林公園の向かい。
よく鳴く、リスがいました。

残念ながら、小雨。通路で滑ってしまいました。
お茶を買いに、永康街の「治堂」で放心。
急に都会へチェックインした、あわただしさが抜けていきます。

夕食は、へちまの小籠包「盛園」。何を食べてもおいしい。

どのせいろが何だったかわからなくなるので、
「上海風」にはインゲンを1本入れることに。
その後、うちのテーブルの合い言葉は「上海」「隠元」に。

遅くまでにぎやかな台北。
娘はタピオカミルクティー、
私はブラックタピオカ入アッサムティなど飲みつつ、宿へ。

コンビニのさまざまな飲み物も、なかなか良くて
日本にあればいいのにと思うものも。

レシートは宝くじになっているそう。
1/25が抽選日、いちおうとっておこうかな。

明日は最終日です。
(つづく)

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