気功のひろば
こちらは旧ブログです。新しいブログはnoteでご覧ください。

ブログ

2015.10.31

気功生活 Vol.91

91号表紙

自在に観る

何を加えることも、
引くこともなく、
ただそれを観る。

 

【目次】

自由ということ 天野泰司
禅密大山合宿 報告&感想
講座ノートから
京都気功散歩 東福寺を歩く
The Book of Life 9/19、10/20
いのちの気功 予防接種について
連載・門ちゃん日記 森田久美&森田徹
秋の気功 
文楽とお能 吉田純子

 

秋晴れの毎日

天野泰司

症状即療法
清々しい秋の天気が続いています。
よく晴れて、ちょうどよい寒暖の波があり、
目に映る自然の表情がとても美しく、
その移り変わりに触発されるようにして、
心も体も大きく動き、変化していきます。
こんなに気持のよい秋は何だか久しぶりで、
心身を整え、瞑想を深めるのに、この秋は見逃せません。

大山合宿、「体癖と禅密」講座などに参加された中には、
心がすっと軽くなったり、体が動きやすくなったり、
心身両面の大きな変化を感じている方が多いと思います。
それも大部分はこの秋の恩恵です。
ただ純粋に、自然の変化と呼応できるように、
心を楽に、ていねいに体をゆるめていくと、
ハッとする自然の光景に目を奪われるように、
体の中の自然が輝き出すのです。

ゆるむとゆるす
体の面では、ゆるむ。
心の面では、ゆるす。
この二つのことが同時に起こる時、「自由」がそこにあります。

外からの束縛がなくなることが自由だと考える方もあると思いますが、
どれだけ外側の拘束がなくなったとしても、
体の動きを狭め、心をひとつところにつないでいるとしたら、
それを「自由」と呼ぶことができるでしょうか。

私たちは自ら体を固め、心を頑にしているところが多々あります。
まずそのことにはっきり気づくことが、自由への大きな一歩。
「そうか」と明快に、そして気楽に、
「不自由」を認めることが大きな力になります。

諸漏漏尽
中国大連で、劉漢文先生に禅密功の手ほどきを受けていた時、
「諸漏漏尽」という言葉を知りました。
「諸々の災いがあり、その災いが尽きることがない」という意味です。
「だからこそ禅密功を学び、修練を重ねることが大切で、
もし何の悩みも困難も無いのだとしたら、気功をする必要はない。
だから、禅密功をする時はいつも『消災』から始めて『植福』で終える。
その真言をみなさんにお伝えしましょう」と。

この真言というものが、なかなか便利なのです。
「災いを無くそう」と考えると、
潜在意識の中には「災いがある」ことが強調され、
余計に災いが多くなったりするものです。
だから真言を使って、意識の表面に残らないようにサラッと、
なおかつ潜在意識には「消災ですよ」と伝わるようにしていくのです。
意味は分らないけれど、その響きは
体だけが理解できる暗号のようになっていて、
振動が伝わると、素直に災いが無くなる方向へ体が動いていくのです。

何も気づかなかったとしたら、
ただそのまま好ましくない方向へ流されていってしまいます。
だからまずはっきり「不自由」という災いに気づく。
そしてあっけらかんと、その気づいたことも手放して、
速やかにその災いにさよならするのです。

心の自由を広げる
真言を使わない場合は、
「災いがなくなった、とても気持のよい状態」を
先に思い浮かべるようにします。

この「幸福感の先取り」はとても便利で、
ただ願いが叶うだけでなく、
続けていると、心がどんどん自由に軽くなっていきます。
むしろ「願いが叶う」というのは、心が軽くなったことの副産物、
ちょっとしたおまけと考えた方がよいのかもしれません。

新春や七夕の会、通信講座Selfなどで
「幸せな未来を想い描いて願いを書く」ことを続けているのは、
それが、心の自由を広げる、確実で具体的な方法だからです。

心が自由になると、体も楽で気持よくなり、
生活も自然と心地よくなっていきます。
「心身の自由」は、自分だけが自由になるのではなくて、
周りの環境にも自由な空気を広げていくのです。

ですから、外からの圧力や拘束に対して
理不尽な思いを抱いているような場合でも、
私の心が自由になっていくと、状況が好転してくる場合があります。
だから「本当に変えよう」と思った時は、
眉間にしわを寄せてプンプン怒りながら
「ゆるせない」「ゆるさない」で終わってしまうのではなく、
額を広げてニコニコしながら
「明るい未来の設計図」を次々に描いていくのです。

地湧の働き
問題解決の糸口は、はっきりと問題を認識し、
次にその問題を解決しようとする努力を手放すことです。
すると、なかなかいいアイデアや方策が
色んなところから次々と浮き上がってきます。
「こうしなくては」と頑なになることは、
その他の素晴らしい動きが立ち上がってくるのを抑制してしまう面があるのです。
だから、ワクワクしながら
「今、ほんとうにこれがやりたい」ということに全力を傾ける。
歌いながら、踊りながら、
時にじっと考え、時に声を上げ、時に行動し、
時に休んだり、くつろいだりする。
そんな流れが、今この国で始まっています。

img_04