理由なき熱情
The Book of Life
4/30のテーマは、
Passion Without a Cause
以下、天野の訳です。
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何の理由もない熱情のただ中にある時、
そこには、全ての執着から自由な熱烈さがあります。
しかし、熱情に理由があるなら、
そこには執着があり、執着は悲しみの始まりとなります。
私たちはたいてい、何かに執着しています。
誰かに執着し、国に、信仰に、思想に執着し、
その執着の対象が奪われたり、重要性が失われたりすることで、
自分を空虚に感じ、満たされない感じがします。
この虚無感を満たそうと、何か他のものに執着すると、
それがまた熱情を引き起こす目的となります。
あなた自身の、心と頭の中を調べてみてください。
私は鏡に過ぎません。鏡にはあなた自身が映っています。
見たくないのなら、それも全くかまいません。
しかし本当に「見よう」と思うのなら、
自分自身をはっきりと、容赦手加減なく、熱意を持って見てください。
自分の苦悩や不安、罪の意識を解消しようなどと期待するのではなく、
いつも悲しみへと導くこの異常な熱情を理解するために見るのです。
熱情が何らかの目的を持つとき、熱情は強い欲望へと変わります。
何かのためにと抱いた熱情は、
それがある人に対してであれ、ある思想に対してであれ、何かを成し遂げるということであれ、
その熱情からは、矛盾、争い、努力が生じます。
あなたは、ある特定の状態を達成したり、維持したりしようと懸命になり、
また、どこかへ行ってしまったあの人を取り戻そうと必死になったりします。
しかし、私がお話している「熱情」は、矛盾も争いも引き起こしません。
「熱情」は、原因とは全く関係がなく、
何かの原因に導かれた「結果」ではないからです。