気功のひろば

ブログ

2017.02.28

気功生活 Vol.99

99号表紙 

暮らす

自由に、
のびやかに、
今を楽しむ。

 

【目次】

基本に還る 天野泰司
フォトレポート・新春
養生特集 冬から春へ
The Book of Life 1/6、2/24
講座レポート 1-2月
北から南から 東灘のこども食堂
いのちの気功 こどもの中耳炎
新春の門出 吉田純子
お知らせ … 会員の更新を …

 

基本に還る

天野泰司

冬の時代を越えて
梅の花が開き、体にも、街中にも春の気配が色濃くなってきました。
まだ寒さの厳しい時期ではありますが、この厳しさをバネにするかのように、
まさしく”spring”、躍動の春が到来しています。

昨今の報道に目を向けると、一体どうしてしまったのかと、
驚きあきれたり、怒りがこみあげたり、気がふさいだりしやすいものですが、
そうしたマイナスイメージや負の感情を抱えたまま日々を過ごしていると、
生活にもその影が広がりがちです。
けれども、影があるということは、どこかに必ず光があるものです。
闇の中に射し込む一筋の光は、春の訪れのように、
一気に何かが変わる大きな力となるでしょう。

「こども食堂」の広がり
例えば「子どもの貧困」が社会問題になってきていますが、
こうして知られてくること自体が、子どもたちの不幸を減らし、
幸せを膨らませていこうとする働きが起こっているということで、
暖かな手を差し伸べようとする個人や団体も次第に増え、
食事もまともに取れずに放っておかれていた状態から比べると、
確実に進みつつあるといえるでしょう。

ここ数年、「こども食堂」が急増しています。
名付け親の近藤博子さんは、歯科衛生士の経験から、
生活する上で最も重要なことは食と感じ、
東京都大田区で無農薬野菜と自然食品の店「だんだん」を開き、
「ワンコイン寺子屋」など、地域のニーズに応じた企画を開催。
こども食堂は木曜の夜、子ども100円、大人500円。
「みんな家族のよう」「のんびりできる」など、
保護者の情報交換の場にもなっていて、
子どもが一人でも安心して食事ができる。
多くの人が「自分の居場所」と感じられる場にしたいそうです。

「貧困」という言葉が誤解を生みやすいのですが、
このところ「貧しさ」が強調されるのは、単に経済的な困窮のみではなく、
むしろさみしさや行き場のなさ、
人と人のつながりが感じにくくなっていることなど、
心のSOSがあちこちで発信されているということなのでしょう。
こども食堂の広がりは、
そうした声にもならない「助けて」というサインを見つけたり、
受けとめたり、寄り添うきっかけとなるのではと思います。

心の岩戸開き
古事記に記された「天岩戸開き」の中では、
弟のスサノオがあんまり乱暴でめちゃくちゃなことをするからと、
太陽の神アマテラスが岩戸の中に引きこもって、
世の中が真っ暗になってしまいます。
これは困ったと神様が集まって、ある神は智慧を出し、
ある神は鈴をふりながら天心に踊り、みんなが朗らかにどっと笑いほどけ、
アマテラスが「何だろう、ちょっと覗いてみたいな」と戸を開けかけたところで、
鏡をかざされて「何て素敵な方!」と見とれてしまう。
そこで力持ちの神が扉をこじあけ、再び世界に光が戻ってきます。

こうして語り継がれる神話の中には、
複層的に様々な真理がかくされているものですが、
何か今の世相と通じるものがあるような気がします。
ひどく荒れすさんだ状況があちこちにあって、その闇を照らそうと、
適材適所で立ち上がった人々がつながりはじめている。
それが悲壮で堅苦しいがむしゃらな戦いではなく、
どこか明るさのある、自主的で楽しげな動きとなって、花開きはじめる。
このささやかで本質的な変化が、ちょうど「心の岩戸開き」のように私には感じられます。

私たちの心の本性が開きかけ、まっ暗だった中にすっと光が射し込んできた。
今は、その鎧戸のような扉がほんのわずか動いた時かもしれません。
そしてアマテラスが鏡の中の自分に驚いたように、
その光り輝く本体が、まさしくそのままの自分の姿と気づいた時に、
スパーンと思いっきり戸を開け放ってしまう。
それが希望に満ちた新しい時代の幕開けとなっていくでしょう。

主義主張、国や人種、宗教や貧富の区別。
そうした後天的に分け隔てられた壁は、
長い年月をかけて思考的に形作られたものです。
だから思考の枠さえ変われば、世界は劇的に変化します。
それは、新しい思考の枠を作るということではなく、
今まで積み上げられて来た思考の枠から自由になり、
生命の息吹そのものに直接アクセスし、
体の奥底からふつふつと湧き起こってくるものに従って、考え、行動し、
有機的につながり合っていくような流れとなっていくでしょう。

古事記の話はちょうど『はじめての気功』(ちくま文庫)巻末の解説に
鎌田東二さんが書いてくださっているのでぜひお読みになってください。

和食の基本
年明けに、土井善晴さんの
『一汁一菜でよいという提案』(グラフィック社)を読みました。

ご飯と具沢山の味噌汁があれば、普段の食事は十分。
栄養的にもバランスがとれ、むしろ幸せになれるのだと。
持ち前の関西的なキャラクターもありますが、
ネットで楽しい動画を見ていると、
その世界観の中へぐいぐい引き込まれていきます。

「こどもの貧困」とも関連しますが、
「晩ご飯、何作ろう」と負担に感じている方が多いのは、
食事という生きていく基本が、
あまりにも難しく複雑になってしまったからかもしれません。
メインが必要、おかずは三品は欲しい、毎日違ったメニューで…。
そうした、何となく作られてきた料理に対する固定観念を、
土井善晴さんはつき崩してくれます。

必ずしも出汁は要らない。
手でちぎったキャベツと煮干しを軽く炒めたところに
お湯を注いで味噌を溶けば、それで立派な一品の出来上がり。
ボリュームが欲しければ卵を落としてもいいし、ソーセージを入れても。
日々がシンプルだと、サンマの塩焼が一品付くと、「今日はお魚!」と盛り上がる。
だから作り手の心が伝わるし、食べる側も喜びが増す。

和食の基本、おいしく炊けたご飯と、
伝統的な発酵食のお味噌汁「一汁一菜」に立ち返ろうという提案は、
一つの思想というより、まずワクワクがあり、料理が楽に、楽しくなっていきます。
楽になるけれども手を抜くのではない。
汁ものが右、ご飯が左、漬け物は上。三角形の配置の美しさ。
米は洗い米にして水分をしっかり戻してから炊く。きれいにご飯をよそう。
焼いているものを混ぜすぎない。
大事なことはきちんとやって余分なことをしないというその態度は、
どこか気功に通じるものがあるように思います。

私に戻る
最近、明るみに出てきた森友学園・塚本幼稚園の
児童への軍隊的な躾教育には本当に心が痛みます。
ところが当事者の園長先生は「当然だ」と正義の旗を振りかざします。
思想母体の日本会議も、その影響下にある与党内閣も同様に
「これこそが正しい」と盲目的に何かを信じて動いてきたのでしょう。

世の中が複雑になるにつれ、
何が本当に大切なのかが分らなくなっているのかもしれません。
「こうしなくては」という息詰った思い込みの世界から抜け出し、
シンプルな基本に立ち返ることで、
元々のいのちがほっと息を吹き返していくでしょう。

そして、一人の意識や生活が根底から変わると、
それにそって社会も変わっていきます。
大切なのはまず自分が変わること、それも努力してではなく、
むしろ努力を手放すようにして、
本来の喜びの中へ還っていくことなのです。

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