気功のひろば
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ブログ

2015.08.30

気功生活 Vol.90

90号表紙

自立の時

今。
自らを越え、
全ての命を愛でる。

 

【目次】

自立の時 天野泰司
秋の気功
北から南から 七夕の思い/2015年の夏
京都気功散歩 若冲と蕪村
The Book of Life 8/68/15
いのちの気功 補食について
連載・門ちゃん日記 森田久美&森田徹
講座レポート&感想  手のひら芸大
筆と墨 吉田純子

 

自立の時

天野泰司

症状即療法
戦後70年という節目の夏。
今までは気づかないで隠れていた
日本という国の中の様々な矛盾が一気に表面化してきたのと同時に、
若い世代を中心とした真っすぐな心が、今まさに輝きを増しています。

体の中に潜在していた違和感が表に現れてくると、
熱が出たり、痛んだり、咳が出たりといった
様々な症状を通じて、体は元の自然な状態へ戻ろうとします。
その時に大切なことは、無理に症状を抑えないこと。
そして、自然な変化の流れを止めてしまわないように、
その時々の一番いい状態をていねいに模索していくことです。

例えば、熱が上がろうとしている時には、上がりやすいように体を温かにし、
もう一息熱を上げたければ、発熱中枢がある後頭部を蒸しタオルで温める。
そして熱が下がったらしっかり体を休め、
低温期から平熱に戻るまでは、心身共にくつろいでじっと静かに待つ。
こうしたことは、何かの考えやメソッドではなく、
「自然の経過にそって必要なことをする」ことを、
具体的に描写するとこうなるのです。
様々な健康法を学んでいる方は、これは何々法、これは誰それのやり方、
と同列に考えてしまう傾向がありますが、
誰かが創作したものと、元々自然にある働きとが
同列に比較できないことは、すぐに分かると思います。

ただ、思考ばかりが先行して感覚が鈍ってしまうと、
何が自然か不自然かが分らなくなり、
その結果、自然に逆らって不自然なことを「これこそが正しい」と
決めつけて平気でやってしまうことが起こるのです。

そうした視点から、私たちが常に心がけておきたいことは、
感覚の正常化、そして深化です。
同時に、不自然な思考や先入観念を洗い流していくことも大切でしょう。

昔は熱が上がったら氷枕で冷やすようなことが普通にありましたが、
今はずいぶん減ったようです。
「これが正しい」という説は、次々に変わっていきます。
そして、自然というものは変わらずにそこにあります。
その時に一番適切な方法は一つしかありません。
そうして最良の一筋の道を常に選び続けていくことを「自然」と言います。

自立の潮流
今、日本という国は何を選んでいくのか。
自然な道か、不自然で固定的な考えか。大きな岐路に立っています。

最近になって知ったのですが、
日本の安全保障や原子力政策の問題については、
敗戦後に締結された日米間の条約や協定に基づいて、
米国の同意がなければ日本単独では決められない仕組みになっています。
その根本のところが、福島の原発事故や
安全保障関連法案の強行採決などによって、改めて浮き上がってきています。

表面上は独立国家ですが、根底では70年経ってなお、
戦後の占領政策が未だに続いている面があるのです。
日本も米国に頼っていた面があっただろうし、
経済的にはうまくいっていたので、
そこには手をつけずに何とかつじつまを合わせてきた。
そうした状況は根本的な原因の改善には手をつけずに、
ずっと対処療法で痛みを逃していることに似ています。

そして、SEALDs (自由と民主主義のための学生緊急行動)の
自然発生的で柔軟な動きを見ていると、
若い世代を中心に、この国の多くの人たちが、
本当の自立独立に向かって、次々と立ち上がっている姿が鮮やかです。

自立にはタイミングがあります。
依存期にはしっかり守られていることに快感があり、
独立期には自ら進んで何かをすることに気持よさがある。
中でも、誰かのために主体的に動くことに最も幸せを感じる。
そうした純粋な奉仕性と呼べるようなものが
多くの人々の中にあふれているからこそ、
これだけ平穏で、理性的で、スピーディな行動が各地で起こっているのでしょう。

デモのスピーチでは、いつも軽快な音楽が流れていて、
普通に自分の意見を淡々と話している。
大学の先生や一般の人もそこに加わって自然に支え合っている。
右でも左でもなく、組織的母体や特定の思想があるのでもなく、
ごく普通の学生や市民が「自由で民主的な政治」を当然のこととして求めている。
これはまさしく、日本という国が、本当の民主国家として自立していく
大きな潮流の中にあることを感じさせます。

この自然な流れが、澱まないように、途切れないように、
適切な手助けをしていくことが誰にでもできます。
行動を共にしたり、応援したり、
自らの意志を表明する署名をすることももちろんですし、
そうしたことが気軽にできる空気と環境が整ってきています。

そしておそらく、最も本質的な支援は、
自分自身が自立しようとする意志を一人一人が持つことです。

本当に自立した人は、地位や名誉、金銭などには動かされない。
自らの魂の響きに従って、自分の頭で考え、自分の責任で自主的に行動します。
大人になるということは、単に体が大きくなるのでも、
たくさんの知識や決まりを知っていることでもなく、「自立が完成する」ことです。

日本はとても大きな潜在力を持っている国です。
これだけ勤勉で、協調的で、他者を思いやる心が行き渡っている国は
おそらく他にありません。慈悲の心と、協力して実行する力を併せ持っている。
だからこそ米国との約束をなんとしても守ろうとし、指示に素直に従い、
危険を承知でその役に立とうとしてしまうのでしょうか。
それは自立している大人の態度ではなく、本当の思いやりでもありません。
ただそうしなければならないという義務感のようなもので必死に動いているから、
他の意見を持つ人の声が耳に入らず、
日本の将来のために立ち上がった純粋に利他的な若者たちに対して
「利己的だ」というような不可解な発言が
自民党の若い議員から出てきてしまうのでしょう。
戦時中の「お国のため」とは、
そうした発想に基づいた暴力と強制力の象徴のようなものでしたが、
今の日本の議会でまさかそんなことは言えません。
でも思っていることは、どこかでポロッと出てしまうものです。

私たち日本人は、近代化以降「こうしなければならない」ということに、
あまりにも縛られ過ぎたのではないでしょうか。
それが次第に「こうしたい」という自主的で
生き生きとした動きへと変わりつつあります。
これは、明確な自立への兆しです。

自立というものは、強制や頑張りでできるものではありません。
暖かな気が充分に集まると、
私の中に自然があり、天地自然の働きの中に私があることに気づきます。
それがストンと潜在意識に入ると、多少の波風にはびくともしなくなる。
だから自立した自由な人が日本の中に増えてくると、とても大きな力になります。
目の前にどんな権力や障壁がたちはだかろうとも、
自らの魂の響きに従って本当に必要なことをなしとげていくでしょう。

私たちは、気功を通じてその自由と自立の土台を創っています。
いのちを大切にし、暖かな気を集めていく。
それは、赤ちゃんがお腹の中にいるときからもう始まっています。
自分をほんとうに大切にすることで自身を自立に導き、
他者を真に大切にすることで相手を自立へと導いていく。
その同時進行の成熟の流れの中に、私たちはあるのではないかと思います。
気が集まると心身が満ち、満ちれば自ずと動く。

赤ちゃんが、ふっと立って歩くように。
今が、自ら立ち上がるそのときです。

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