気功のひろば
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2015.08.15

考える人と考えが2つに分かれている

The Book of Life
8/15のテーマは
The Duality of Thinker and Thought

以下天野の訳です。
—————

あなたが何かを見る時。
木を、妻を、子どもを、近所の人を、
夜空の星を、水面の光を、空に飛ぶ鳥を・・。

そこに観察をするあなたがいます。
検閲する人、考える人、経験する人、求める人が。

そして、あなたが観察しているものがあります。
観察する人と、観察されるもの、
考える人と、考えとがあるのです。
そのために、いつも分断があるのです。

この分断こそが「時間」です。

こうした分断は葛藤の本質そのものです。
そして、葛藤がある時、そこに矛盾があります。

観察する人と、観察されるものがある。
このことが矛盾であり、そこには分離があります。
故に、矛盾がある時、そこに葛藤があるのです。

そして葛藤があると、いつも切迫したものがあります。
そこから離れよう、征服しよう、乗り越えよう、逃れようと
何かをしようとする。
こうした全てが、時間を巻き添えにするのです。
分断があるかぎり、時間は流れていく。
そして、時間とは悲嘆です。

この悲しみの終焉を悟ろうとするものは、
必ずこのことを悟らねばなりません。
必ず見つけ出し、
必ずこの二元性を乗り越えていくのです。

考えているあなたと、考えたこと。
経験しているあなたと、経験されたこと。
すなわち、
観察する人と観察されるものとの間に分断があるとき、
時間がそこにはあり、
そのため、悲しみが終わることは決してないのです。

そこで、何をしたらよいですか。
質問の意味が分かりますか。
そうですね。

私の中の「観察する人」がいつも監視している。
審査し、検閲し、承認し、拒絶し、統制し、制御し、形成している。
その観察する私、その考える私は、思考の結果そのものです。明らかにそうです。
思考が先にあり、
観察したり、考えている私が先にいるのではない。

もし、何の思考も生じなかったとしたら、
そこに観察している私が存在することはなく、
考えている私もいません。
そこには、ただ、
完全で、全面的な集中のみがあるでしょう。

————————

*訳者コメント

幸せに包まれている時、人は時間を忘れます。
無我夢中で没頭している時には、
その没頭しているものと自分との間に何の境界も存在しません。
生まれる以前から心があるように、
思考以前の心のようなものが誰の中にもある。
そしてその思考の霧が晴れた時に、
はっきり見えてくるのが「先天の世界」です。
天野

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