気功のひろば
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2014.06.01

気は自ら整おうとする

The Book of Life 6/1のテーマは
Enegy Creates Its Own Disipline

あらゆる争いごとや問題は、
いわば私たち人間の意識が創り出したもの。
「〜のために、こうしよう」という思いが、
世の中を便利にして来た反面、乱している面もあるのです。
特に、抑圧された心身のエネルギーが一気に噴出するときには、
それが仮に正しくとも、必ずやり過ぎが生じ、
破壊的あるいは自虐的な行為に走ることも多いのです。
私たち人間の活動は、意識以前にある、
エネルギーの集散の働きに注目することで、
もっとスムーズで平和的なものになるでしょう。
ところが、意識で
「これは良い」「これは悪い」
「こうすべき」「これをしてはいけない」
と枠をつくると、
自然なエネルギーの流れがつかえて、かえって乱れてしまいます。
一方、「自然」の正確で緻密でダイナミックな働きに直接触れると、
そのあまりの見事さに、意図的な行為を全て手放し、
「自然に任せきる」ようになります。
何もしようとしないところに、最高に素晴らしく美しい働きが立ち現れ、
ただそれに導かれるようにして、自ずと動いていくのです。  天野

以下、天野の訳です。
—————-

ありのままの真実を探求することには、
計り知れないエネルギーが必要です。
もし、そうしなかったら、
人はエネルギーを浪費し、
浪費が害悪を引き起こすことになり、
その結果、社会は人を統制しなければならなくなります。
では、神や真実を求めていくなかで、
エネルギーを解放することは可能でしょうか。
何が真実かに気づいていく過程の中で、
生命の本質を知る人でありながら、
社会からも叩き潰されないような人であることができるでしょうか。

ご承知のように、
人はエネルギーです。
もし真実を探究することがなかったら、
このエネルギーは破壊的なものとなり、
社会は個々人を統制し、型にはめていくことになります。
そして、このエネルギーを押し殺すのです。

そして、あなたはおそらく、
別の興味深い、とても単純な事実に気づくでしょう。
……何かを本当にしたいと思ったその瞬間に、
それをなし得るエネルギーを手にしている……
ということに。
まぎれもなく、このエネルギーそのものが、
自らを制御する舵取り役となるのです。
ですから、外側の規範は不要です。

ありのままの真実に気づこうとするとき、
エネルギーは自律的に整おうとするのです。
真実を求める人は、自然と善良な市民となり、
同時に、どのような特定の社会や政府の型にもはまっていないのです。

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