気功のひろば

ブログ

2016.08.31

七夕てあての会

七夕てあて2016
毎年、旧暦の七夕の頃、山科で開いている「七夕てあての会」。
「新春てあて」に続いて、年に2度、
ゆるみながら自らの方向性を確認していく好機です。

今年も、よしふみさん・なおちゃんペアが、朝に
笹を切ってきてくださって、床の間の前へ。
和室は一気に清々しい雰囲気に。
天野の話から。

・・・・・・・☆・・☆・・・・2016.8.11 天野泰司 @山科和室☆

私たちは、本能的に幸せを望んでいる。
心地よい、ということは、体が自然な状態にあるということ。
「今の気持ちよさがもう一段深まる」ことを望むのが、願い。
潜在的な願いが叶っている時は、心地よさが続く。
体の気持ちよさと、願いはリンクしている。

ほんとうに体が欲しているものを見つけていく。
辛さ、痛みをちょっと横に置いて感じ直してみると
「ココだ! 」という発見がある。
そうすると表面的な違和感も消える。
体が望んでいる時は、みぞおちはゆるみ、
下腹部は充実している=上虚下実。

[実習・おなかのてあて〜
心がおちつくやさしい気功〜肩の荷がおりる気功]

夢を書く時には、遠慮しない。
短冊一枚にひとつの夢、ひとつの文。
結論だけを「過去形で、自分に引きつけて」書く。

書くという動作によって、
「既に起こったこと」として体の中に入る。
実現しそうにない、と思うことでも書いてかまわない。
どんな縁がつながるかは誰にもわからない。
夢と夢とが結ばれていくのが七夕。
人と人は本来大切にし合ってきた。素直に
夢と夢とがつながっていくのが自然。
自分の夢がかなうと、全体が幸せになる。

[短冊をまず一枚書く〜
下腹部・後頭部てあて〜短冊を好きなだけ書いてつるす]

笹を中央へ。好日居さんの献茶、よしふみさんのリードで盆踊り。
願いの依り代の周りを回っては手を打って。

何とも心地よい七夕の会が、今年も終わりました。
(純)

2016.08.31

夏の体癖

「気功の学校」に通っていると、だんだん興味が湧いてくる「体癖」。
野口晴哉先生の膨大な観察による分類、例年人気の講座。
今年は「偶数種」「複合体癖」にも詳しく話が及びました。
お話から。
・・・・・・・・・・・・・・・2016.7.31 天野泰司 @山科和室

人が産まれて成長する順序と、体癖分類の順は一致。
体癖を知ると自他を許していける。

*上下型1・2種
腰椎1番・思考型・論理的、神経系。
頭を楽にするとよい。
首回し・頭をなでる・おちつく気功など。
すっと手が上に上がる。顔が長く、首が目立つ。
1種は頭がよく働き、数学や哲学など、考えること自体が好き。
2種は考えすぎて悩む方向に。決まった中で仕事するのが得意。

*左右型3・4種
腰椎2番・本能型・自己保存、消化器系。
おなかを楽に。
女性はほとんど入っている。気持ちがゆれて迷い、ふり切れると戻ってくる。
幼児期は左右傾向。
3種は丸くやわらかく、豊か。しゃべる、食べる、笑って発散可。
4種は控えめ、木陰の美しさ。感情を押さえるとおなかで固定化しやすい。
止めないで泣くこと。

*前後型5・6種
腰椎5番・行動型・鬱散的、呼吸器系。
胸を楽に。
現代的な格好良さ、関西でいう「しゅっとしている」感じ。
しようと思うことと実際がずれる、及び腰になる時は
「肩上げストン」、前後のふりこを。

*ねじれ型7・8種
腰椎3番・行動型・闘争的、泌尿器系。
腰を楽に。
胴が厚く、屈しない。頑張る傾向。
横腹の厚い方をつまむとよい。
余分な力を抜くこと。

*開閉型9・10種
腰椎4番・本能型・種族保存、生殖器系。
骨盤を楽に。
女性は開と閉が巡ってくる。
開は広く受け容れる愛、閉は集中し持続する愛。

男性は上下前後、女性は左右開閉がベースになることが多い。
(純)

2016.02.24

春の変化 〜2/14京都

そろそろ花粉症が出てくる頃。
タイムリーで、ゆったりした
春らしい講座になりました。(純)

2016/2/14  天野泰司

・・・・・・・・・・

春の変化。1月は後頭部、2月は肩、3月は骨盤が開いて上がる。

2月は、そうした変化が引っかかりやすいので
ムズムズを解消するために、色々な症状が出てきて
骨盤を開いていくために、体が総動員される。
なので、症状があったほうがよい。

今、症状を元に、変化をスムーズにしていく良いタイミング。

まず、目+鼻の温湿布。
タオルにお湯をかけて絞り、目の上にのせる。
端のほうにかけないようにすると絞りやすい。
はたはたして少しさまし、横になってゆっくりする。

目をあたためることで、かゆみがおさまり、頭がゆるむ。
鼻をあたためることで、呼吸器全般が楽になり、
胸から肩が変化してくる。
高熱が下がらない時も、鼻をあたためるとよい。

鼻は生殖器、性の働きとも関係しているので
あたためることで、頭に上った気がすっと骨盤に下りる。
顔がほてって手足が冷たい時や、
熱の時にもよい。

鼻をあたためるだけで変わらない時は、「尾骨の焼塩」もよい。
粗塩をフライパンでゆっくり炒り、
和紙に包んで尾骨の上にのせる。
うつぶせになって、古いバスタオルなどの上に和紙をしいて
さめてきたら、紙を抜いてゆく。
熱いので気をつけて。

春には、「やりたいことにパッと乗っかる」と
骨盤、肩甲骨が広がる。
この時期の症状に悩まないこと。むしろ感謝する。
「この症状・不快感が、私を守ってくれているのかもしれない」。

違和感には全部意味がある。
吉野山の役行者像は、鬼を従えている。
敵を味方にすると、良き理解者、協力者になるかもしれない。

[実習・心がおちつく やさしい気功肩の荷がおりる気功

[実習・肩甲骨をゆする→てあて]
2人で。
相手の肩甲骨に軽く両掌をのせて、ゆっくりゆする。
こするのではなく、つけたまま上下する。
しばらくして、てあて。

花粉症の症状がある時は、左肩が上がり
肩甲骨が肋骨に貼り付いたようになっている。
それだけで、左肩が下がってそろってくる。

この時期は、毎年観察して、学んだ手法を使うとよい。

[実習・てあて]

後頭部の中央〜鼻の両側〜ほお骨〜耳下腺を両手で包む〜甲状腺(のど)〜胸線〜胸をなでおろす。
化膿活点〜尾骨を両手でこする〜恥骨の上端中央を押さえる。

(純)

2016.02.22

「できない」という壁 〜エレメンタリー2日目

「気功の学校」エレメンタリー2回目です。。(純)
「浅草てあての会」からお話が続いています。

2016.2/7  天野泰司

・・・・・・・・・・・

「できない」という壁は、自分で立てている。

「できないことだから、やらなくていい」という安心剤として。

なので、壁を自分で立てたことに気づけば、変えていくとができる。
壁に穴をあけたり、壁の無いところを通ったり。
自分で立てていない壁は、容易に変わらない。

「立派な壁なんだ」「大きな壁なんだ」という思い込み。
「あなたはできるからいいね」
「私はできないから、もっと可愛がってください」と
大切にされたい思いが
自分で壁をたてて、その中に自分をはめこむ。

人はお互いに、「愛」を与え合って生きている。
「真の愛」と浅草で表現したようなもの。
手あて(=愉気)をし合っていない生活は、考えられない。
壁にぶつかった時は、その原点に戻る。

気は、はかることができない。
いつも流れている、「いのちの響き」のようなもの。
お互いに生き、存在していることは、深く、貴重で、活き活きしたもの。

純粋に、相手に気をあつめることで、
好き嫌いを越えた「いのちの響き」を共有するのが手あて。
「私」はいのちのまとまり。
「私以前の私」と、つながっている。
今は仮に生きている、そこへ立ち返る。

自ら立てた目の前の壁を、楽しむ。
「人生楽ありゃ苦もあるさ」、苦楽は少々あるほうが楽しい。
気の流れがスムーズだと、苦楽を楽しめる。
とどこおると、浮き沈みを楽しむのが難しい。

人は変化することが自然。
気の滞りが怖れを生み、動けない状況を作る。
死への怖れが最も大きい。
生と死はひとつのことの表裏、世代を切り替えることで命を再生する。
死ぬ4日前から死への準備が始まるのだから、
それまでは思い煩うことなく、全力で生き、4日かけていのちの火をたたんでいく。

[実習・てあて〜目・胸・下腹]〜春の変化をスムーズに。

[実習・肩の荷がおりる気功〜波動功]
波動功=「円の動き」は、出口衆太郎さん作の太極気功。
太極拳の動きをやさしくしたもの。
腕で動かず、上半身の力を抜いて足腰で動く。
下半身の重心移動が中心。
水の中で動くように。

腰をおとすことは、生きる力(=性の力)を養う。
体の中から「動きたいな」という感じが出てきた時に動く。

[実習・てあて〜肩甲骨]〜春は生まれ変わりの季節。
[実習・活元運動]〜制限をなくし、感覚を高める。

2016.02.21

エレメンタリー初回から

「気功の学校」エレメンタリー初回。
実習まで通して起こしてみますね。(純)

2016.1/17  天野泰司

・・・・・・・・・・・

自然が先生

ゼロに戻る。

つみあげてきた常識。
例えば、「健康ってこんなものだ」。
「私は、こんな時はこうなる人だ」。
教えてきた経験。
そうしたものがひとつの世界を作り上げている。

何もないところから学ぶ。
のほほんと、子どものように。
今迄のことを忘れて、ゼロから学ぶ。

毎年、ゼロに戻る。

お正月、年があらたまる。大掃除、初詣で心を刷新するのは、日本の良い伝統。
新月。月のリズム。今月はどんな新しいことがあるだろうか。
新しい週。生まれた時から、週単位のリズムをそれぞれ持っている。
そして、新しい日。日の出。毎日生まれ変わる。毎日、眠る時には死ぬ。

日々、月々、年々新しく生きていく。
「気功の学校」も、毎年、原点から始まる。

選択肢を広げるためにさまざまなことを学ぶが、
答えは体の中にある。
全部、自分の体が教えてくれる。

自然は完璧にできている。
体との対話を深めていくことは大切。
自分で見つけていく。体から答えを引き出していく。
それが「自然が先生」ということ。

ふりこ
前後・左右・ねじりの3つの運動で、すべてを考えていくことができる。
原点は「ゆるむ」こと。
無意識的な運動が大切、
思考の働きと体の緊張がゆるむことで、流れがスムーズになる。

力を抜くコツは、無理に抜こうとしないこと。
楽感的に。「まぁその内抜けるだろう」。
空想を用いる。
淡々と、体のある処に集中する。
ゆるんでいて、まっすぐ。

「動くことが気持ちよい」のが、動物的な本能。
体の使い方を学び直し、観念を捨てる。

安静体操〜寝る
今もっとも気持ちよい姿勢をとって、休む。
自分を大切にすることに、妥協しない。
夜、寝るときにするのもよい。毎晩気持ちよく死ぬ。

操体法
前後・左右・ねじり=呼吸器・消化器・泌尿器のつかえをとる。
他に神経系、股関節と、1から5番までの全ての腰椎を
意図的に整えることができる、強力な方法。

脱力体操
のびをすることで、今一番ゆるめたい処を一カ所だけ的確に変える。
連続して3回。

操体法・脱力体操は、必要と思うものを毎日1回でいい。
安静体操ができれば良いが、
ほぐれにくい時は脱力体操、ポイントが自分でわかりにくい時は操体法。

活元運動
寝返りは、安静体操を組み合わせていくもの。
あくびや、笑うことは、天然の呼吸法。
泣くこと、怒ることで心身を調整する。
そうしたことはみな、活元運動。
意識のブレーキをかけないことが大事。
春先の、体が開いてくる時期がやりやすい。

2016.02.20

夢は叶う、体は整うのが自然 〜新春

「気功の学校」新春、今年最初の講座から。
お話の後、からだをじっくりゆるめ、
最後にそれぞれの「今年の夢」を書き出しました。(純)

2016.1/11  天野泰司

・・・・・・・・・・・

自然が先生
「気功の学校」では、「自然が先生」。
誰か特定の人が偉い、のではない。

自然の働きを高めていく、または
不自然なものを減らしていく。
必ず、そのどちらかをやっていく。

それは、その時々違い、またその人によって違う。
万人に合う方法はない。
臨機応変に、その人または自分に合うことを選べるよう
さまざまなことを学んでいく。

選び方は、直感に従って。考える前に選ぶ。
「これにしよう」「良さそう。」
つまり、直感を働かせていく方法を学ぶ。
先ずは勘で、後で考える。

講座のノートはとらないように。
感覚を働かせて聞き、休み時間や、終えた電車の中など
直後にまとめると定着する。

今日から「祈りの2ヶ月」が始まる。
震災以後、自然の働きが高まっている一方、不自然なことも多い。
対立構造は争いの元、争いの無い状態を作る。
その為に争うのもまた違う。
人々の潜在意識が大きく動いていて、
それが去年くらいから顕在化している。
火がついて、燃え盛ろうとしている。

向かっていく方向は「こうしなければ」でなく、「こうしたい」。
生きていることは、自発的。
全面的な自発性の元に動く。
生命体の中でヒトだけが、「しなければ」で動くことができるが
みな「こうしたい」と動いていけると
お互いに助け合う社会が実現する。

肩の荷がおりる気功」。
「肩の荷」とは、やらなければならないこと、しなければならないこと、
ほんとうにやりたいことでなければ、一端下ろしていく。
そうすると、したいことだけが残る。

下ろしてまた、もし同じことをしょい直しても
それは「肩の荷」ではなくなっている。
まず下ろしてみて、しょってみる。
必ずしも違うことをしなくてもよい。

マイペースで動く。力を抜く。
気功でそうした動きをはぐくむことで、自分らしさを培う。

夢を叶える
「養生とは、いつも楽々悠々と生くること也」。(野口晴哉)
認めれば、そのごとくになる。

例えば、「私には幸せになる可能性がある」と認める。
「素晴らしい政治家が表れる」と認める。
「楽々悠々と生きる可能性がある」ことを認める。

「そうなのかもしれない」という思いは、「たしかにその通り」より強い。
夢を叶えていくには、自分に正直であること。
そのままでいい。

「こんなことしたいな。」
「もうちょっとこうなるといいな。」
そうした思いを、過去形で書いていく。

不満があるなら、不満の無い状態を思い浮かべる。
不満で立ち止まると時間がかかる。
立ち止まると、息が乱れる。長く続く思いは自分を苦しめる。
一瞬の不満や怒りは、自然な息の範疇。

楽々悠々といつも生きることができる、と空想することが大事。

「生命の自発性に添う」のが自然な生き方。
生命体は、必要な物をあつめ、不要な物を捨てる。
自然界は、常にバランスをとって動いている。
人の体にも調整作用があり、必要な時に怒りや悲しみが起こってくる。
人の気持ちにも共鳴するし、カチンとくることも自然。
それがずっと続くことが不自然。

夢は叶うのが自然、体は整うのが自然。

誰かのせいにしていることを卒業する。
自分の責任を自覚すると、変えていける力になる。
自分をゆるすこと。
自分を大切にすること。

2016.02.13

手あては真の愛 〜浅草てあての会

好評の東京講座、今年は「浅草てあての会」。
朝日カルチャー新宿の翌日で、
続いて参加してくださった方が、10人以上いらっしゃいました。

午前中は妊婦さん、
終えてからは13ヶ月の赤ちゃん、
昔からの会員さんや、新しい関東方面の方々、
お友達やご夫婦連れの方など、
とてもあたたかな、思いにあふれる講座でした。
お話中心にお届けします。(純)

2016.1/30 於:浅草公会堂 天野泰司

・・・・・・・・・・

「手あて」は、人が互いを大切にする心。

震災から5年、多くのものが動いてきている。
「この場」で、私が変わる意味は大きい。
自然の本質は、刻々と変化すること。
変化を恐れることが、自然を乱す。

「手あての心」が、今、東京に必要。
今日伝えることを、体で受け取ってもらえたら何より嬉しい。

「手あて」は、「真の愛」といったようなもの。
言葉にすると遠ざかるようだけれど、
無限の広がりを持つ、完全な自由。
その中に相手に必要な働きが起こる。
限定、観念、「こうしたらいいんだ」というような考え、
習慣、といったものは不要。

習慣とは、その人の体の使い方、すなわち生き方。
今考えていることは、今の体の状況を反映している。
心と身体の、限定を外していく必要がある。

「〜しなければいけない」から、「制約が無い」ことを
体を通じて体験していくのが、手あて。

人は動物。気持ちよさ、生きている充実感が満たされないことが
二次的三次的欲求を生み、あきらめてしまうのが最もよくない。

「生まれてきてよかったね」
「気持ちいいって大事なことだね」
「生きているってすばらしいね」
そうした本質的な手あてを、おなかにいる時から受けている子どもは
幸せへの切符を手にしているようなもの。
小さい時に積み重ねると、ゆるがない。

不幸への切符をもし渡されていたとしても、
自分でその列車を乗り換えてゆけばよい。
自分へ、おなかにいる時と同じような暖かな手あてを
繰り返しやっていくこと。
それは生きていることへの礼賛、祝福に近い。

[実習・心がおちつく やさしい気功

「一生懸命」は、ほんとうに相手にとって良いことだろうか。
他の人のそれが、辛いこともあれば、ぴたっとはまることもある。

お互いに、少しずつ力を抜いて、にこにこと。
やさしい言葉が必要な時も、強い言葉が必要な時もある。
その時々で、これは違う、これが良い、といったことはある。

「おちつく気功」をしている15分ほどの間に、
ずっと、「変わる」ということがある。
気功は、「私は変化している」ということに気づく技術。

最後に「うん、大丈夫=これでいい」という感覚が出てくることで、
「今、何をするか」が明確になる。

本来、自然は移り変わるもの。それに合わせて
変わってゆけばよい。
それは、とりあえず何とかなればよい、ということではない。
意識でわからなくても、やってみればいい。
それが、「手あて」。
人として一番大切なこと。
技法ではない。

[実習・お互いに手あて]
手のひかれる処にあてる。

相手が気持ちよくなることを通じて、
自分も気持ちよくなる。
それは手あての醍醐味、人が本質的にもとめていること。

手を離すタイミングがとても大切。
手放すときには、離すこと。
例えば被災地などへの支援でも、
「ここで終えたら相手が元気になる」タイミングで。

本屋に野口晴哉先生の本が普通に並んでいる時代になった。
晴哉先生は、8割は効果のあった方法を紹介している。
いのちは枠にはまらない、データをとることは難しい。
データを取ったとしても、結果がその人その人に当てはまるかどうかはわからない。

人には高潮期・低潮期があって、
体調の変化が高潮期に重なると、はっきり症状が出て
変化しやすくなる。
それを止めると、変化したり改善する余地がなくなっていく。

例えば、熱が上がりにくい時は後頭部の手あて、
熱が下りない時は鼻をあたためる、などの方法は
自然を乱さないためのたしなみとして
知っておくべきこと。

気功や、整体、操体などの方法は何も矛盾しない。
自然は同じ。

[実習・肩の荷がおりる気功

自ら荷物を背負っている自覚が大切。
つまり、いましょっているものはすべて
自分で下ろすことができる。

下ろしてみた結果、また同じ荷を背負い直すことがあっても
またその荷の状態は変わっている。

親子、家族で束縛し合うことがあるが、
それをほどくのは子の「自ら下ろせる」自覚。

妊娠中から、今育てつつあるという自覚をもち、
全面的な注意をあつめることが大切。
その中に楽しみがある。
奇跡的な「いのちのつながり」の海に、自分から入る。

[実習・禅密功]

2016.02.09

深く眠るために 〜1/29新宿

朝日カルチャー新宿、初めての講座。
定員を何度も越えて、その度にキャンセル待ち、
折角だからと3人、5人とお入れして、とうとう44人。
大入りの講座となりました。

最初急いで会場に入ってこられた、初めての皆さんも
あくびをし、体をゆらし、だんだんに
自分本来の息の速さに戻っていかれるのが印象的でした。(純)

     2016/1/29  天野泰司
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

一瞬の深い眠りが、疲れがとれやすい。
「眠った感じがしない」のは、深く寝ている可能性がある。
「長く眠りたい」願望がある。

息を吐くとゆるみ、吸うとひきしまる。

眠ることは、ゆるむこと、息を吐くことと似ている。
起きている間は、ひきしまること、息を吸うことに似ている。
こうしたリズムがあることが、「生きている」ということ。

眠りが深くなることは、気持ちよく動いていることに等しい。

[実習・耳をつまむ]
耳殻を、しっかりつまむ。
こりっとした固まりがあるところは、それを外に引っ張って出してしまう感じで。

[うなだれて息を吐く〜上を向いてあくび] ゆっくり、3回。

心がおちつく やさしい気功」。

必要以上の不安、心配、悩みは、できるだけ少ないほうがいい。
自分で減らしていける方法として、震災後すぐに作ったもの。

「ゆっくり」が大事。

「より早く、強く、多く」…不安をかきたてる方法が日常にあふれている。
「こうしないと、こうなるよ」それはおどしであって、本来は最終手段。
それを多用する影響は大きい。
おどすことを使わないで生きていくことが、
今の日本では可能。
内側から、「やりたい」気持ちがあふれればよい。

自らすすんでやっていくこと。自発的であること。
それが軽々と「全力で動く」ことを生む。

全力で生きること、それが深い眠りを生む。
寝る時間も惜しい、スッキリ感。
動き、休む、それがヒトの基本のリズム。

今、味わえる「生きている楽しみ」、人として深めていけることは大きい。
ある程度の制限はあってもよいが、
束縛は生きているリズムから外れる。

「深く眠る」ことは、生き方の問題。

日本中で、本当にやりたいことだけをやっている人があふれたら
精神的に豊かな時代がくるだろう。

やりたい感じが出てきた時、やりたいことにブレーキをかけない。
そうすると、深く眠れる体に戻る。
思う存分、やればよい。

心と心はお互いに響き合っている。
以心伝心、人はお互いの気配を感じて生きてきた。

ブレーキをかける心は、ブレーキがかかる心と共鳴する。
私が自発的に動くと、周りも自発的に動く。
周囲を変えることは難しいが、自分を変えることは可能。
自分のブレーキを外し、自ら動く。

[実習・後頭部てあて]
頭の骨は、ゆるむとうごく。ジクソーパズルのような
パーツの集まり。
後頭部の両側に、てのひらの真ん中をあててゆっくり休むと
骨が動いてくる。
こうした「思わずゆるむ状態」が、自発的な体の動きを生む。

てあては、「ポカンとしてしまう」ことが大切。
習慣になると、無意識化しやすい。
無意識が変わると、習慣になる。

体が喜ぶ、気持ちいいこと、
体が満足する気持ちよさを選ぶ。

一過性の気持ちよさは、エスカレートし、より刺激を求める。
本物の気持ちよさは、繊細で、より小さい刺激へ向かう。

伝統文化の中に、どんどん細かく繊細になっていく例が多い。
例えば茶道、お茶を淹れて飲むだけのことが、
より細かな感覚を働かせるように変化していった。
形式でストップしている状態を乗り越えて、
より深い、体の満足する、気持ちよい方向を選ぶ。

それが、「よく眠ること」の本質。

2015.12.22

成長しつづけること

「気功の学校」後期、「教える」12月の
お話からまとめました。(純)

2015.12/6  天野泰司

・・・・・・・・・・

「〜が悪いから、正さないとならない」
という風潮は、おかしいのではないか。

それが、世の中を乱してきた根本的なもの。
何かを強調することによって、動きを作ろうとする。
各自がのびのび動ける状態を封じてしまい、
無意識の中に不幸の種を撒いていることになる。

悪い者探し、原因探しをしない。
それがなくてもいいことを、
本人が気づくように伝える。
体で気づくと、悩みが消える方向へ
体が勝手に向かっていく。

例:「腰が痛いんですけど」と相談された。
相手の主張に巻き込まれず、その人の思考を他へもってゆく。
「ちょっと動いてみましょうか。」
「腰を回してみましょうか。」「首を回してみましょうか。」
日常的にテープレコーダの同じところが何度も流れているような状態から、
発想が変わるような誘導がポンと入ると、
自分で変わっていったりする。

「ここがしんどい」「大変だ」という自負心、
ある意味「自慢の種」のようなものを手放す。
人に対しては見つけやすいが、自分に対してはハードルが少し高い。
「自分の中で回っている思考」を変えていく。

相手を大切に思う時、相手の中で回っている思考、発想を
変えていきたくなることがある。
相手の思考が変わっていくと、
自分に対しても、つきあいやすくなってくる。

体のほうから変えていくこともできる。
思考のゆるみは、「あくび」「首のぶらさげ」
「首回し」「邪気呼出法」がよい。

いまの時期、頭をゆるめていくことは春の準備になる。
時々思い出してやるとよい。
思考の転換が容易になる。

そして、感覚が働き、自然にうごいていくならば
体にまかせてよい。
体が自然に動いていってしまうことが、命の原点。
命にはすべて自発性がある。

叩かれてやるのは自発的でない。
自ら、おのずからうごいている時だけ、全力が出せる。
それが、「自然に動く」ということ。

強制を教育に使うことは間違っている。
その人らしい動きを自分で選んでもらうには、
自分がゆるみ、感じて、自然に動くことが大切。

自ら体験していなかったら、言葉に重みがない。
日々、自分が、心身を気持ちよく、すっきりさせていく。
そうして初めて「続けるといいよ」という言葉に
重みが出てくる。
それが、相手に続けてもらう方策になる。

昨日より今日、今日より明日、成熟し進歩していくこと。
自分自身が成長し続けること。
「成長しようとし続ける」勢い、エネルギーが大切。
それが、「全力を出している」ということ。

出し惜しみしたり、「できない」と
と決めてしまうのは勿体ない。
赤ちゃんは、立とうと思わなくても立って、歩き始める。
ブレーキをかける必要はない。
思う存分やってください。

自分が気持ちのいい場をつくることが大切。
準備も大切だが、始まったら全部なくなる。

その時、その人にとっていちばん必要なことを。
気功やてあては、その練習。
決まったやり方、考え方ではそうならない。
一対一でも、一対多でも同じ。

2015.12.22

教える醍醐味

「気功の学校」後期、「教える」11月の
お話からまとめていきますね。
すべてにつながることではと思います。(純)

2015.11/1  天野泰司

・・・・・・・・・・・

体の勘を育てる。
「てあて」であっても、相手に対して影響はある。
だからこそ、意図的なものをできるだけ減らし、
その都度勘を働かせて、体と向き合う。

それが「気功の学校」のテーマ。

教える時にも、相手に対する影響を少なくしていく。
「こうすればいいだろう」という思いは、
相手に負担になったり、
マイナスの影響を与えるかも、という心をどこかに持って、
方向修正を常にかけていけるよう、片隅に置いておく。

方法はできるだけシンプルで、少なく。

各自が好きなように動く時、各自の体が選択していく時も必要。
その時に、過剰な意識を抜いていくよう工夫する。
体が自然に選択していくように。

それは、伝えている自分自身が自然に動くこと、
自分の体感、気持ちよさを中心にすることが大切。
今、自分が必要としている動きを選んでいく。

気功を伝えている場では、同調が起こりやすい。
同じ形をとっている。同じ形のものは響きやすい。
息がそろってくる。

気功をすることは、同調を深めてゆくこと。
教室を始める前には、いろいろ準備をしてもよい。
始めたら全部なくなって、
ポカンとしてただ立っていると、その場に引きこまれてゆく感じ。

相手に必要なものが自分の中に既にある。
なので、自分の体調、立ち位置が大切。

気功を教えることは、
「穴追い」と同じで、いちばんよいゴールデン・ルートを
たどっていく、探していくこと。
一本の筋から離れないように。

楽しみの1つであり、たいしたことではない、
という前提で
そこから気を抜かない。
それが、お互いを育てることになる。

いい加減では楽しくない。集中がない。
マニアックになりすぎてもよくない。
楽しみつつ、集中が途切れないようにするのが
教える醍醐味。

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