気功のひろば

ブログ

2017.10.31

精神的な革命

The Book of Life
10/31のテーマは、
A Psychological Revolution

以下、天野の訳です。
—————-

思考する人と思考が、
観察する人と観察されるものとが、
ひとつになることは可能でしょうか。

あなたが、この問題を単なる軽いものととらえて、
あれこれ、うわべだけの説明を求めるのであれば、
決して気づくことはないでしょう。

間違いなく、これはあなた自身の問題です。
私のみの問題ではありません。
あなたは、この問題や世の中の諸問題について
私がどうとらえているかを聞くためにここにいるのではありません。
内部に生じているこの絶え間ない葛藤、とても破壊的で、退廃的な…
これはあなたの問題、そうではありませんか。

そしてまた、自らの根本的変化をもたらすことも、あなた自身の問題です。
政治、経済、官僚制の変化等の表面的な革命に満足などしないことも。

私や、私の生命観を理解しようとなどしないでください。
あなた自身を理解しようとするのです。
直面せざるを得ないあなた自身の問題があることを理解するのです。

それらを一緒に熟考することによって、
この対話の中で今まさにそのことをしているのですが、
よりはっきり、より明晰にそれを見ることを
お互いに助け合うことができるでしょう。

しかし、「はっきり見る」と、
言語的な範囲の理解をしただけでは不十分です。
それでは、創造的な精神的変化はもたらされません。
言葉を超えて、あらゆる象徴やその知覚を超えていかなければなりません。
それら全てを脇に置いて、中心の本題に至らなければなりません。

どうやって「私」を消し去るのか、
時間につながれ、一片の愛も、思いやりもない「私」を。

心が心そのものから分離していない時にだけ、「私」を超えていくことができます。
「思考する人と、思考」の非分離と同じように…。

思考する人と思考とが一つであるとき、
そのときにのみ静寂があります。

その静寂は、何のイメージを造り出すことも、さらなる経験を待ち望むこともありません。
その静寂の中では(経験する人と経験が一つであって)、今何かを経験しつつある経験者はいません。
そしてその時にのみ、創造的な働きを持つ心理的革命があるのです。

2017.10.19

つなぎ止められることも、とどまることもない心

The Book of Life
10/19のテーマは
A Mind Without Anchorage or Haven

以下、天野の訳です。

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あなたには新しい精神が必要です。
時間から自由な心。
もはや時の隔たりや空間について考えることのない心。
何の限界もない心。
つなぎ止められることも、とどまることもない心。
神などというものを扱うためにだけではなく、
目の前にある生活の諸問題に対処するためにも
このような新しい精神が必要です。

つまり、重要なことは、
私たち一人一人が、そのような心を持つことができるかということです。
だんだんにではなく、努力錬成することもなくです。

なぜなら、心の修練も、開発も、プロセスも、必ず時間を伴うからです。
その新しい心は、即生じなければなりません。
時間を超える特性を持つのですから、今、変わらなければなりません。

生は、即ち死です。
死はあなたを待受けています。
生に抗することができるように、
死に抗することはできません。
そう。だから、新しい心を持つ。それは可能ですか。

何かを達成するのでもなく、
何かのゴールでもなく、
何かを目指すのでもなく、
何かに到達しようとするのでもなく。

それら全ては、時間と空間を必ず伴ってしまうのです。

私たちは、とても便利で、慰安的な、定型の思考パターンを持っています。
時を経て進歩していく。
時を経てそこへ到達する。
時を経て成し遂げる。
時を経て真理へと近づいていく。
それは私たちを欺く偽物の考えです。
全くの幻想です。
そうした意味で、時間は幻想なのです。

2017.08.28

努力とは「自然」から気をそらすこと

The Book of Life
8/28のテーマは
Effort is Distraction from What is

以下、天野の訳です。
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「懸命に努力する」ことの問題について
私たちは理解しなければなりません。
努力ということの重大性にはっきり気づけば、
それを日々、行動へと転化していくことができます。

「努力」とは、あるがままの自然な状態から、
そうではない不自然な状態へ、
そうあるべき、そうなってしかるべき状態へ
変えようと苦闘することではないですか。

わたしたちは常に、そのままの状態から逃れようとし、
すっかり変貌させたり、修正しようとします。
真に満たされている人とは、
あるがままの自然を解し、当然のように尊重している人です。
真の満足は、いくばくか、または数多く所有することによってではなく、
そのままであること、その全き重要性にはっきり気づくことによってもたらされます。

(能動的に、気づこうとするのではなく)
受動的な気づきのみが、その真の意味を明らかにします。

私が今話しているのは、地球や建築に関わる現物的、身体的な努力奮闘や、
技術的な問題解決についてではなく、
精神的な努力奮闘についてです。
精神的な苦闘や諸問題は、常にこの物質世界や身体にも影を落とします。

あなたは、社会的な砦をとても注意深く構築するかもしれませんが、
精神の闇と努力奮闘について悟ることが無いかぎり、
そうしたものが、あなたがきめ細かに築き上げたものを覆すことは必定です。

努力とは、「そのままに自然であること」から気をそらすことです。
ありのままにあることを受け容れると、努力奮闘は止みます。

あるがままの状態を変えたい、
修正したいという欲求があるかぎりは、何の受容もありません。
(精神的な)努力奮闘は、破壊を指し示すものですが、
あるがままの自然を変えようとする欲求がある限りは、
どうしても存在してしまうのです。

2017.07.01

幸福か満足か

The Book of Life
7/1のテーマは
Happiness vs. Gratification

以下、天野の訳です。
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私たちのほとんどが、求めているものは何ですか。
私たちひとりひとりは、何を欲しているのでしょうか。

この、休む間もない世の中では、ことさらに
皆が、何らかの平安や幸せや、避難場所を見つけようとしていますが、
いったい何を求め、何を見つけようとしているのですか。

それが判ることがとても大切なこと、
そうではありませんか。

おそらく大部分の人たちは、
何らかの幸せ、何らかの平安を探し求めています。
混乱と戦争、競争や紛争に苦しむ世の中で、
少しでも平安がありそうな避難場所を求めているのです。
これが大部分の人たちが望んでいること、私はそう思います。

だから、ある指導者からまた別の指導者へ、
ある宗教からまた別の宗教へ、
ある師からまた別の師へ、
(避難場所を)求めて、次々と、さまよい歩いていくのです。

つまり私たちは、幸福を探し求めているのでしょうか。
あるいは、私たちが求めているのはある種の満足で、
その欲求の充足を通じて幸せになれたらと思っているということですか。

幸福と満足は、違うものです。

幸福を追い求めることができますか。
おそらく満足は見つかるでしょう。
しかし幸福をみつけることはとうてい出来ません。

幸福は派生するものです。
(求めて得られるものではなく、)副産物なのです。

ですから、
頭や心に莫大な努力や注意、思考や配慮を強いるその前に、
私たちが探し求めているものは何なのか、
それは幸福なのか満足なのか、
はっきり見抜かなければなりません。
その必要が無いと、どうして言えるでしょうか。

2017.06.24

争いの本質的原因

The Book of Life
6/24のテーマは
The Central Cause of Conflict

以下、天野の訳です。
—————–

ただ願うだけで、平和が訪れるなどと考えないでください。
あなたは、日々様々なものと関わりながら、
意欲的に、何かを得ようと、
今生や来世の精神的な安全を願う生活をしていますね。
そのままでは、平和は来ないのです。

平和を望むのなら、
争いや、不幸の本質的な原因を
直覚し、消し去っていくのです。
平和のためにと、外のことばかり考えないようにしてください。

ご承知のように、私たちはたいがい無精です。
(直感的な感覚が)怠けすぎているので、
自らをピタッと把握することも、はっきり判ることもありません。

この無精さとは、まさしく独断的な心の現れです。
だから、誰かがこの問題を解決して、
私たちに平和を与えてくれるだろうと考えたり、
戦争を引き起こしているだろう
一握りの人々をやっつけてしまえ、などと考えてしまうのです。

もし、あなた一人が内に争いや葛藤を抱えているならば、
周囲にも、必ず、不可避的に、争いを造り出します。
自身の内に平和を築くことだけが、
世界全体に、平和をもたらすのです。
あなたが、世界そのものなのですから。

2017.05.23

自我から自由になる

The Book of Life
5/23のテーマは
Freedom from the Self

以下、天野の訳です。
—————–

心というものを、あらゆる色づけから自由にするには、
心のまるごと全部を、思考を働かせずに見る必要があります。

これは難しい問いかけではありません。
ご自身でやってみてください。そうすればわかるでしょう。

あなたは思考を働かせずに、何かを見たことがありますか。
聞いたことがありますか、そしてはっきり見たことがありますか、
思考が次々と反応して働き出さない状態でです。

あなたは、思考を働かせずに見ることなど不可能だと言うかもしれません。
何にも色づけされていない心など、ないとおっしゃるかもしれません。
もしそうなら、その時点ですでに、思考によって
自分を閉じ込めてしまっているのです。真実は、あなたが知らないものですから。

では、私は、(私の心の全部を思考を働かせずに)見ることができるでしょうか。
心が、自身によって色付けされていることに気づくことができるでしょうか。
私は、できると思います。

やってごらんなさい。
あなたは、あなたがヒンドゥ教徒だと気づくことができますか。
科学者だ、経済学者だ、そうしたあれこれにただ気づく。
それが良い、悪いという思考のつぶやきなしにです。
このように、「ただ見る」ということはとても難しいので、出来ないと言ってしまうのです。

何の思考の反応もなしに、あなたの存在の全てに、
あるがままに気づく時にのみ、あらゆる色づけ、条件付けは、
完全に、根こそぎ無くなります。

それこそがまさしく、自我からの本当の自由なのです。

2017.04.30

理由なき熱情

The Book of Life
4/30のテーマは、
Passion Without a Cause

以下、天野の訳です。
________________

何の理由もない熱情のただ中にある時、
そこには、全ての執着から自由な熱烈さがあります。
しかし、熱情に理由があるなら、
そこには執着があり、執着は悲しみの始まりとなります。

私たちはたいてい、何かに執着しています。
誰かに執着し、国に、信仰に、思想に執着し、
その執着の対象が奪われたり、重要性が失われたりすることで、
自分を空虚に感じ、満たされない感じがします。
この虚無感を満たそうと、何か他のものに執着すると、
それがまた熱情を引き起こす目的となります。

あなた自身の、心と頭の中を調べてみてください。
私は鏡に過ぎません。鏡にはあなた自身が映っています。
見たくないのなら、それも全くかまいません。
しかし本当に「見よう」と思うのなら、
自分自身をはっきりと、容赦手加減なく、熱意を持って見てください。
自分の苦悩や不安、罪の意識を解消しようなどと期待するのではなく、
いつも悲しみへと導くこの異常な熱情を理解するために見るのです。

熱情が何らかの目的を持つとき、熱情は強い欲望へと変わります。
何かのためにと抱いた熱情は、
それがある人に対してであれ、ある思想に対してであれ、何かを成し遂げるということであれ、
その熱情からは、矛盾、争い、努力が生じます。
あなたは、ある特定の状態を達成したり、維持したりしようと懸命になり、
また、どこかへ行ってしまったあの人を取り戻そうと必死になったりします。

しかし、私がお話している「熱情」は、矛盾も争いも引き起こしません。
「熱情」は、原因とは全く関係がなく、
何かの原因に導かれた「結果」ではないからです。

2017.03.31

全ての恐れの根源

The Book of Life
3/31のテーマは
The Root of All Fear
以下、天野の訳です。
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何かになろうと切望することが恐れをもたらします。
何かでありたいと思い、何かを成し遂げようとする。
その、何かへの依存が恐れを生じさせるのです。

恐れがない状態とは、
恐れの反対や否定などではなく、
また勇敢であることでもありません。
恐れは、その原因を知れば自ずから止むもので、
勇敢になることで無くなるのではありません。
何かになろうとすることの全てに、恐れの種があるのですから。

モノへの依存、人への依存、
あるいは思想への依存が恐れを育てます。
依存は、無知から生じ、
自らを知らないことから生じ、
内面の貧しさから生じます。
恐れは、精神や心の安定を乱し、対話や理解を妨げます。

自分自身に深く気づくことを通じて、恐れの原因に気づきはじめ、
恐れというものを理解します。
表面的な恐れのみならず、
深い根を持つ恐れや、ずっと蓄積されて来た恐れに対してもです。
恐れには、生まれながらに持っている恐れと、
後天的に身につけた恐れとがあります。
恐れは、過去に関係しています。
なので、思考や感情を恐れから自由にするには、
(過去の結果としての今を見るのではなく)
今を通じて過去を把握しなければなりません。
過去は、いつも現在を生み出そうとし、
これが「私」、これは「私のもの」、「私が」
という自己認識の記憶を作り上げていくのです。

自我というものが、全ての恐れの根源なのです。

2017.02.24

悪の正当化

The Book of Life
2/24のテーマは
Justifying Evil

以下、天野の訳です。

—————-

明らかに、全世界を覆っている現在の危機は、
並外れたもので、前例のないものです。

歴史上、それぞれの時代に様々に異なる危機がありました。
社会的危機、国家的危機、政治的危機など。
危機はやって来ては去っていきます。
経済的な衰退や不況がやって来ては、緩和され、また形を変えて続いていきます。
それは周知のことで、そうした浮き沈みの経過はよく知っています。
現在の危機はそれとは明らかに違う…。そうではありませんか。

その違いは、まず、お金でも実体のあるものでもなく、観念を扱っていることです。
この危機が例外的であるのは、「観念化」という枠組み内のことだからです。

私たちはある考えを巡って争い、殺人を正当化します。
世界中、到るところで、正しい目的を達成する手段として殺人を正当化しています。
それ自体が前代未聞のことです。
悪が悪として認識されていた以前は、
殺人は殺人でしかありませんでした。
しかし今は、殺人が崇高な目的を達成する手段と化しています。
一人の、あるいはある集団の殺人も正当化されます。
殺人者や、殺人者が属する集団は、
人類の利益に貢献するような結果を達成するための手段として、殺人を正当化するのです。

すなわち、私たちは「未来のために」と現在を犠牲にしているのです。
そして、私たちがどのような手段を用いようと、問題ではないのです。
我々の公然の目的、これこそが人類の利益に貢献するような結果を造り出すのだという限りは。

すなわち、こういうことではないですか。
間違った手段が正しい結果を生み出すと考え、
間違った手段を観念により正当化している。

私たちは、悪を正当化するための観念という
とてつもない建造物を所持してしまったのです。
それこそが、前代未聞のことです。

悪は悪です。
悪が善をもたらすことはできません。

戦争が平和の手段であるなどということは無いのです。

2017.01.06

努力なしに聞く

The Book of Life
1/6のテーマは
Listening Without Effort

以下、天野の訳です。

—————-

私の話を聞いていますね。

注意深く聞こうと努力するのではなくて、ただ聞いていますね。

もし、あなたが聞いていることの中に真実があれば、
あなたの中で、目覚ましい変化が生じていることに気づかれるでしょう。
あなたが考えていた通りのものでも、期待した通りでもない変化が。

それは変容であり、完全な革命です。
そこには真実のみが超然としてあり、心が造り出したものはありません。

よろしいですか。
全てのことに対して、このようにお聞きになっていただきたいのです。
私の話を聞くときだけではなく、
他の方の話を聞くときにも、
鳥のさえずりにも、
列車の汽笛にも、
バスが通り過ぎる騒音にも。

あらゆる物事に耳を開けば、開くほど、
静寂はより一層大きくなります。
その静寂はもはや騒音で壊されることはないのです。
あなたが何かに抵抗しようとしている時にだけ、
あなたと、あなたが聞きたくないものとの間に垣根を築こうとしている時にだけ、
ただその時にだけ、葛藤があるのです。

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