気功のひろば

ブログ

2017.04.30

理由なき熱情

The Book of Life
4/30のテーマは、
Passion Without a Cause

以下、天野の訳です。
________________

何の理由もない熱情のただ中にある時、
そこには、全ての執着から自由な熱烈さがあります。
しかし、熱情に理由があるなら、
そこには執着があり、執着は悲しみの始まりとなります。

私たちはたいてい、何かに執着しています。
誰かに執着し、国に、信仰に、思想に執着し、
その執着の対象が奪われたり、重要性が失われたりすることで、
自分を空虚に感じ、満たされない感じがします。
この虚無感を満たそうと、何か他のものに執着すると、
それがまた熱情を引き起こす目的となります。

あなた自身の、心と頭の中を調べてみてください。
私は鏡に過ぎません。鏡にはあなた自身が映っています。
見たくないのなら、それも全くかまいません。
しかし本当に「見よう」と思うのなら、
自分自身をはっきりと、容赦手加減なく、熱意を持って見てください。
自分の苦悩や不安、罪の意識を解消しようなどと期待するのではなく、
いつも悲しみへと導くこの異常な熱情を理解するために見るのです。

熱情が何らかの目的を持つとき、熱情は強い欲望へと変わります。
何かのためにと抱いた熱情は、
それがある人に対してであれ、ある思想に対してであれ、何かを成し遂げるということであれ、
その熱情からは、矛盾、争い、努力が生じます。
あなたは、ある特定の状態を達成したり、維持したりしようと懸命になり、
また、どこかへ行ってしまったあの人を取り戻そうと必死になったりします。

しかし、私がお話している「熱情」は、矛盾も争いも引き起こしません。
「熱情」は、原因とは全く関係がなく、
何かの原因に導かれた「結果」ではないからです。

2017.03.31

全ての恐れの根源

The Book of Life
3/31のテーマは
The Root of All Fear
以下、天野の訳です。
—————-

何かになろうと切望することが恐れをもたらします。
何かでありたいと思い、何かを成し遂げようとする。
その、何かへの依存が恐れを生じさせるのです。

恐れがない状態とは、
恐れの反対や否定などではなく、
また勇敢であることでもありません。
恐れは、その原因を知れば自ずから止むもので、
勇敢になることで無くなるのではありません。
何かになろうとすることの全てに、恐れの種があるのですから。

モノへの依存、人への依存、
あるいは思想への依存が恐れを育てます。
依存は、無知から生じ、
自らを知らないことから生じ、
内面の貧しさから生じます。
恐れは、精神や心の安定を乱し、対話や理解を妨げます。

自分自身に深く気づくことを通じて、恐れの原因に気づきはじめ、
恐れというものを理解します。
表面的な恐れのみならず、
深い根を持つ恐れや、ずっと蓄積されて来た恐れに対してもです。
恐れには、生まれながらに持っている恐れと、
後天的に身につけた恐れとがあります。
恐れは、過去に関係しています。
なので、思考や感情を恐れから自由にするには、
(過去の結果としての今を見るのではなく)
今を通じて過去を把握しなければなりません。
過去は、いつも現在を生み出そうとし、
これが「私」、これは「私のもの」、「私が」
という自己認識の記憶を作り上げていくのです。

自我というものが、全ての恐れの根源なのです。

2017.02.24

悪の正当化

The Book of Life
2/24のテーマは
Justifying Evil

以下、天野の訳です。

—————-

明らかに、全世界を覆っている現在の危機は、
並外れたもので、前例のないものです。

歴史上、それぞれの時代に様々に異なる危機がありました。
社会的危機、国家的危機、政治的危機など。
危機はやって来ては去っていきます。
経済的な衰退や不況がやって来ては、緩和され、また形を変えて続いていきます。
それは周知のことで、そうした浮き沈みの経過はよく知っています。
現在の危機はそれとは明らかに違う…。そうではありませんか。

その違いは、まず、お金でも実体のあるものでもなく、観念を扱っていることです。
この危機が例外的であるのは、「観念化」という枠組み内のことだからです。

私たちはある考えを巡って争い、殺人を正当化します。
世界中、到るところで、正しい目的を達成する手段として殺人を正当化しています。
それ自体が前代未聞のことです。
悪が悪として認識されていた以前は、
殺人は殺人でしかありませんでした。
しかし今は、殺人が崇高な目的を達成する手段と化しています。
一人の、あるいはある集団の殺人も正当化されます。
殺人者や、殺人者が属する集団は、
人類の利益に貢献するような結果を達成するための手段として、殺人を正当化するのです。

すなわち、私たちは「未来のために」と現在を犠牲にしているのです。
そして、私たちがどのような手段を用いようと、問題ではないのです。
我々の公然の目的、これこそが人類の利益に貢献するような結果を造り出すのだという限りは。

すなわち、こういうことではないですか。
間違った手段が正しい結果を生み出すと考え、
間違った手段を観念により正当化している。

私たちは、悪を正当化するための観念という
とてつもない建造物を所持してしまったのです。
それこそが、前代未聞のことです。

悪は悪です。
悪が善をもたらすことはできません。

戦争が平和の手段であるなどということは無いのです。

2017.01.06

努力なしに聞く

The Book of Life
1/6のテーマは
Listening Without Effort

以下、天野の訳です。

—————-

私の話を聞いていますね。

注意深く聞こうと努力するのではなくて、ただ聞いていますね。

もし、あなたが聞いていることの中に真実があれば、
あなたの中で、目覚ましい変化が生じていることに気づかれるでしょう。
あなたが考えていた通りのものでも、期待した通りでもない変化が。

それは変容であり、完全な革命です。
そこには真実のみが超然としてあり、心が造り出したものはありません。

よろしいですか。
全てのことに対して、このようにお聞きになっていただきたいのです。
私の話を聞くときだけではなく、
他の方の話を聞くときにも、
鳥のさえずりにも、
列車の汽笛にも、
バスが通り過ぎる騒音にも。

あらゆる物事に耳を開けば、開くほど、
静寂はより一層大きくなります。
その静寂はもはや騒音で壊されることはないのです。
あなたが何かに抵抗しようとしている時にだけ、
あなたと、あなたが聞きたくないものとの間に垣根を築こうとしている時にだけ、
ただその時にだけ、葛藤があるのです。

2016.12.23

瞑想

The Book of Life
12/23のテーマは
Meditation

以下、天野の訳です。
—————-

瞑想ということについて、
一歩ずつその中へ足を踏み入れていきましょう。

話が終わるまで、じっと待っていないでください。
瞑想とはこうするものだという徹底解説など、
期待して待っていなくてよいのです。
今、私たちがこうしてしていることそのものが
瞑想の一部なのですから。

まず「思考する人」に気づきます。
思考と、それを考えている人の間にある矛盾を解決しようとか、
統合しようとしたりしないでください。
「思考する人」とは、
(実際にそこにいる誰かではなく)心の上での存在です。
「思考する人」は、(ただ純粋に経験するのではなく)
経験を知識として溜め込みます。

故に、「思考する人」とは、時間に縛られた
心の中にいる「中心」的な存在なのです。
絶え間ない外界の変化に影響されて、
この時間に縛られた「中心」(=「思考する人」)が出来上がります。
私たちは、この「中心」を通じて、見て、聞いて、経験しているのです。

この「中心」の構造や、正体を見抜かない限り、常に葛藤があり、
葛藤の渦中にある心は、
瞑想の深さや美しさに目覚めることはとうてい不可能です。

瞑想のただなかでは、どんな思考者も存在し得ません。
瞑想とは、思考が完全に止むことを意味しています。
結果を得るために次々に何かをしようと働いている
思考が停止するのです。

瞑想は、何かを達成しようとすることとは何の関係もありません。
特別な呼吸法などでもないし、
鼻先を見つめることでも、
何かの術を使う力を感得することでもありませんし、
その他諸々の稚拙なたわごとでもありません。

瞑想は、生活とは別の何かではありません。
車の運転をしているとき、
バスにゆられて座っているとき、
何の目的ももたずに会話しているとき、
森の中を一人で歩いているとき、
風に運ばれていく蝶を眺めているとき、
何を選ぶということもなく、
それら全てにただ気づいていることが、
瞑想の一部なのです。

2016.11.10

日々死んでゆく心

The Book of Life
11/10のテーマは
Die Every Day

以下、天野の訳です。
—————-

年齢とは何でしょうか。

あなたが生きて来た年数のことですか。
それも年齢の一つですね。
いついつの年に生まれ、
今、15歳、40歳、あるいは60歳だと。

体は年老いていきます。
そして心もまた年老いていきます。
幾多の経験という重荷を背負い、
苦悩や、生活の疲れという苦渋を負っているために。
そうした心は、真実に目を見開くことが決してできないでしょう。

若く、生き生きとした、無垢な心のみが、真実と巡り会うことができます。
心の穢れの無さは、年齢とは関係のないことです。

純心無垢なのは子どもだけのことではなくて、
経験の残りかすを溜め込むこと無く、
「ただ経験している」心もまた、純真なのです。

もしかしたら子どもであっても無垢とは限らないかもしれませんね。

心は必ず、何らかの経験をします。
それは避けられないことです。
そして、心は必ず、全てのことに反応します。

川が流れている、病んだ動物がいる、
亡くなって火葬場へと運ばれていく肉体がある、
重荷を背負いながら道を歩いていく貧しい村人がいる、
生活の辛酸や悲惨さがある。
そうしたものに反応しないのなら、心は既に死んでいます。

しかし、経験に束縛されることなく反応することは、
真に可能なことです。
長年の習慣が、経験の蓄積が、記憶の遺骸が
心を老いさせるのです。

日々死ぬ心。
毎日、昨日の記憶に全て別れをつげ、死す心、
毎日、過去の楽しみや悲しみの全てとお別れし、死す心。

そんな心は、生き生きとして、純粋無垢で、年老いることがありません。
10歳であろうと60歳であろうと関係ありません、
このような心の純真さを持たずして、神性と出会うことはないでしょう。

2016.10.17

いつも新しい心

The Book of Life
10/17のテーマは
A Fresh Mind

以下、天野の訳です。
—————-

何かのために努力を重ねること
何かになろうと努力を積み上げること、
そのことが精神の廃退と老化の真の原因です。
なんと早く老いていくことかご覧なさい。
60を過ぎた人たちのことだけではなく、
若い人々もそうです。
精神的に、なんとこんなに老いてしまっているのでしょうか。
ほんのわずかの人たちのみが、
若い精神の状態を保ち、あるいは維持しています。
「若い」と言っているのは、
単に、ワクワクたい、楽しい時を過ごしたいという心のことではなく、
汚染されていない無垢な心のことです。
人生の災難や事件によって、引き裂かれ、くるまれ、ねじ曲げられることのない心、
苦闘、悲しみ、絶え間ない努力により、ぼろぼろになることのない心のことです。
そうですとも、若い心を保つことは必要にして不可欠です。
老いた心は記憶に対する恐怖でいっぱいになっていて、
生きていません、熱意というものがありません。
はじめから全部決まったとおりの、いわば死んだ心です。
はじめから決まっていて、
その決まったものに従って動いている心は死んでいるのです。
ところが、若い心は次々に新たな決断をしていきます。
そのいつも新しい心は、
無数の記憶から生じる重荷を負うことがありません。
苦しみの影を全く持つことがない心は、
たとえ悲しみの淵を歩んだとしても、
傷つくということがありません。

そんな若い精神が必要なんだと言いたいのではありません。
若い心は、努力や犠牲によって追求できるものではないからです。
どんなお金でも買えない、売ったり買ったりできるものではもちろんありません。
ところがもし、若い精神の大切さに、その欠かせない尊さに目が開き、
そのありのままの真実に気づいたとすれば、
そこに何か別のことがおこるのです。

2016.09.03

知性と「こころ」の統一

The Book of Life
9/3のテーマは
Unity of Mind and Heart

以下、天野の訳です。
—————-

知力のトレーニングを重ねても、
智恵に結びつくことはありません。
むしろ、智恵が生じるのは、
知的なものと情的なもの、
その両方が完璧な調和の中で動いている時です。

知性と智恵との間には、広大な隔たりがあります。
知性は、単なる思考です。
思考は、情的なものとは独立してち機能しています。
知性は、情的なものとは無関係なので、
どんな特別な分野の研鑽を重ねたとしても、
立派な知識は得られるかもしれませんが、
智恵を得ることはできません。
なぜなら、智恵の中には、
理知的に考える能力と同様に、
感じる能力が元々備わっているからです。
智恵の中には、どちらの能力も等しく存在しています。
とてもはっきりと、そして調和的に。

現代の教育は、知性を開発しています。
次から次へと生活への解釈や説明を与え、
原理原則をあてがっていきます。
そこには愛や慈しみの心、調和的な品性が欠落しています。
そのため、争いから逃れるための狡猾な知性を作り上げていくのです。
ゆえに、私たちは、科学者や哲学者の説に満足してしまうのです。
知性、つまり論理的な心は、そうした無数の説明に満足してしまいます。
しかし智恵はそうではありません。
「わかる」という時には、
行動に伴って、知的な精神と感覚的な心との完璧な統一がなければならないからです。

2016.08.30

不満を生き生きと保つ

The Book of Life
8/30のテーマは
Keep Discontent Alive
以下、天野の訳です。

—————-

「不満」は、私たちの生活に欠かせないものではありませんか。

疑問を生じ、問いかけ、よく調べ、
何が真実か、本当のことは何か、
生活に何が必要不可欠なのかを見つけようとする不満のことです。

学生の頃には、この燃え盛るような不満を持っていたかもしれませんが、
よい就職ができたことで、この不満は消え、満足しました。
家族のために頑張り、生活の糧を稼がなければならないので、
不満は静まり、壊され、
日々の生活の出来事に満足する平凡な存在となり、
不満ではなくなったのです。

しかし、この不満の炎は、終始保たれていなければなりません。
そうすることで、不満の正体は何なのかという問題への
本当の問いかけがおこり、本当の探求が生じます。

ところが、精神はいとも簡単に満足という麻薬を求めるのです。
徳や品性というものによって、あるいは
頭に思い浮かべたことや、行動を通じて不満を満たしてしまい、
それが習慣になり、とらわれてしまうのです。

私たちは、このとらわれた状態に慣れっこになってしまっていますが、
問題は、いかに不満をなだめ、鎮まらせるかということではなく、
不満の火種をずっと内に保ち、
生き生きと活発に働かせ続けることこそが重要です。

あらゆる宗教書、精神的指導者、国家や政治の形態が、
心をなだめ、静かにさせ、
どうにかして押し鎮まらせ、
不満をどこかにやって、何らかの満足に溺れさせようとします。

何が本当なのかを見つけるために、
「満足をしない」ことは必要不可欠なのではないでしょうか。

2016.08.10

事実はひとつ、永遠に変わらないものはない

The Book of Life
8/10のテーマは
There Is Only One Fact: Impermanence
以下、天野の訳です。

—————-

永久に続く状態というものがあるでしょうか、あるいは無いのでしょうか。
そうあって欲しいということではなく、
実際の事実として、真実に気づいていきましょう。

私たちに関する全てのことは、
私たちの範囲のことも、それ以外のことも、
関係性や、思考や、感覚も、
不変のものではなく、常に変化の流れの中にあります。

そのことに気づくと、
心は永遠に続くものを欲しがります。
永遠の平和、愛、幸福、
時間にも出来事にも壊されることのない安全を求めるのです。

そうした心の働きが、不変の魂であるとか、真我であるとか、
諸々の永遠の楽園のビジョンを造り出しているのです。

ところが、この永遠性というものは、
元々無常の中から生まれたものであり、
その永遠性の中に、無常の種を宿しています。
事実はただひとつです。
永遠に変わらないものはありません。

最近の記事

img_04