気功のひろば
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2015.06.08

荷を下ろしつづける大切さ

「気功の学校・教える」6月の講座から、少しだけお話部分を。

        2015.6.7 於:山科和室 天野泰司
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肩の荷をおろす気功」の後で。

私たちは、外側からさまざまな制約を受け、
その状態が終わっても、自らその荷物を
知らず知らずの内に、背負い続けている。

有形無形の教育によって、
やりたくないことをやらされる状態が続いたり
安易に答えを与えられてしまうこともある。

いのちは、必要なものを必要なタイミングで
自ら集めてくるもの。
子どもに取っては、全部が初めて。
本来は、「なぜだろう」というワクワクが引き出されると
自ら、大事なものをつかみとる。

答えを与えられて、「知ったつもりになる」危険性。
この人はこう言い、あの人はそういう、という矛盾。

そんな中で、私たちは、「勘を働かせて」知っていくことが大切。
気功は、勘をみがいていく方法。

「肩の荷をおろす気功」は、
そうした不要な、気づかず背負いつづけているもの
体のどこかに溜まっている、いらないものを
気持ちよく下ろしていく。

(純)

2015.03.14

気功の学校・ステップアップ

開講中の「気功の学校・ステップアップ」の1回目から、少しだけお話を。

2015/3/1 天野泰司 於:山科和室

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学ぶ時に大切なのは、苦手意識をまず無くすこと。

たとえば「本を読むのが苦手」と思っていたとすると、
そのイメージに添って、また同じことが再現されてしまう。
思考の連鎖が起こる。

「昨日は、うまくいかなかった」と思うのは、よい。
そして、「今日は、きょう。」

心身の能力が、きのうより、ほんのわずか上回るように
生活そのものを見直していく。

気功の学校の密度の高さは、「努力を手放す」ことから生まれている。
努力しなくなると、物事はすんなり入ってくる。

練習はしないほうがいい。いつも本番、100パーセントを出していく。

教える時、出し惜しみをする先生が時にあるが、
出し切ることで能力は伸びる。
子ども、とくに赤ちゃんはいつも全力。

ゆるむことで感覚が高まり、
体の中の自然の働きが立ち現れてくる。
すると、全力が発揮しやすくなる。

自分の病を自慢しない。
それは、病気を一番長引かせる方法。
「私はこんな大変な症状、あの人に勝った!」
そうして自分の存在価値を高める、
そんなことをやめるだけで、病気は半分にもなるだろう。

大げさに見せるのは、気が足りないから。
ほんとうは、ただ、気を引きたい心があるだけ。

そのままに見ていく。
単純に決めてしまうことの、荒っぽさに気づく。

自然の働き=気。

人は、人為的に自然でない方向へも進むことができる。
過剰な人為を取り除く必要がある。

手あての本質は、
「透明な集中」、何もない心。
静かで澄み渡った気をあつめることで、
お互いに余分な意識が抜ける。

自分をなくし、ただ相手をそのままにみる。
掌から伝わる感覚で。
自分の体に反映される、相手の状態から。

そうすると、変化が起こる。
息が深くなったり、自然にさまざまな動きが起こってくる。
そうした「主体的な変化」が終わると、
ふっと自然に手が離れていく。

相手との同調はしばらく続いている。
自分の感じ、相手の感じを味わって、終わる。

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2014.12.23

気功の学校・プリペア

天野のリクエストで、
12/21 気功の学校・プリペアから
お話中心にノートを起こしました。(純)

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[活元運動について]

気功の学校では、毎年初めに、再受講生も新受講生も
「ゼロに戻る」。
今まで積み重ねてきたことをいったんまっさらにして、
新しい気持ちで学びを始める。

こうして、繰り返し受講をしていくうち
内容に深まりがあるので、
新規の受講生には少し準備が必要と思い
このたび、初めて「プリペア」を設定した。

気功の学校で、1-3月、よく行う活元運動が
ひとつ、ハードルになりやすい。
きょうは最初に、まず説明をして、
順に体を動かしてから、最後に活元運動に入る予定。

例えば歩くとき、無意識に多くの動きが
順になされている。
あくび、のび、寝返り。
日常の動きのほとんどは、無意識。
心身を整えるには、無意識の動きを変えていく必要がある。

ふと、きれいな動きだな、と感じられる人が
武術家や、踊りをされている方だったりする。
動きの中に、自然に無意識的なものが出てくる。
そうした型に添う動きではなくて、
型が無くて、無意識の動きが整うものはないか。
そうした観点で野口晴哉さんが設計したのが、活元運動。

日本古来の霊動法や、神道の中にあって
秘伝、特殊とされてきたものをまとめ、
今では整体協会の初めの入り口になっている。

目的は、生命の自発性。
自ら生き生きと動いていくこと。
体と心の動き方が、自ずと変わってくること。

初めて体験した人は、無意識の動きをそのまま出していくので
どんな動きが出てくるかそれぞれわからず、
驚いて先入観を持ってしまうことが多々ある。

本来、人間も動物。動きには美しさがある。
生き生きとした、いのちのはたらきがある。
けれど、人は動物とは違う。
日常生活から生じるねじれやこわばりを解消するために、
不自然な、美しくない動きも混じってくる。

活元運動をしている人たちの、美しさを見ていく必要がある。

[実習・ふりこ]
ふりこは、抵抗を少なくするとゆれつづける。
基本は、ゆるむこと。

慣れてくると、日常のあらゆる処に
「こんなにがんばらなくてよかったんだ」という瞬間が出てくる。

何故人間だけこんなに大変なんだろう。
大きなビルも造り、さまざまな技術も高めてきた。
こんなに能力が高いのだから、楽々生きていけるはず。

「がんばる」ことで、過剰なエネルギーが混乱を生む。
エネルギーを使う方向が違う。

ゆるむ習慣がつくと、
日常の中で「コレ、いらないかもしれない」とふと気づく。
それは、手放すかもしれないし
持っているかもしれない。
けれどそこに、「動く自由」が出てくる。

それでも残っていくものがある。
必要なものを、きちんとみていくことができる。

物質的豊かさと、精神的豊かさは
どちらかを犠牲にしてどちらかを得るのではなく、
その両方が大切。

より豊かになっていく方向性を作っていくことができる。
それが、人の本来の自然。
「志」を含めて、自然であることが、動物と違う点。

今、これまでと違う方向の努力が必要になっているのかもしれない。
それには、気功はひとつの鍵になる。

より気持ちよく、にこにこして暮らすことが実現。
それが「気功の学校」の目的。

先へ進むこと。
「右肩上がり」=経済成長がずっと重視されてきた。
それは、動いているお金の量が多くなって、
たくさん入ってたくさん使っている、ということ。

常に伸びていく、増えていく。
より強く、たくさん。
その背後には、争い、戦いがある。

自然界には、常に伸びていくということはあまりなく
何かの木が伸びると何かが枯れ、
ひとつの状態ができると安定する。
そうした、ちょうどよくバランスした安定した状態がよい。

争いには弊害があって、
相手が下がると自分が上がるような気がする。
朝のドラマで、日本初めてのウィスキー造りの努力が描かれると
ライバル会社は、その特集を組まないように
雑誌社に通達を出したとも聞く。
年度年度で決算をするから、短期的な考えになりがちだけれど
長い目でみれば、ウィスキー全体の売り上げが上がって
世界が広がって、良い事ではないのか。

子育てでも、他の子と比較してほめると相手をいじめるようなことが起こりやすい。

退一歩。
一歩下がる。
ゆっくり、と禅密功の劉漢文先生がおっしゃるのは
そういった意味。

自分に戻る。いのちに戻る。
先に先に、と働きやすい意識から離れる。

江戸時代に日本を訪れた欧米人は、
民衆が、貧しいのにみな幸せそうに生活していることに驚嘆している。
とくに子どもの笑顔が素晴らしい、と。
けれども彼らは、「西洋文明が入ってくることで
この美しさが失われるだろう」と予見していた。

昔はもっとゆとりがあった。
月がきれい、と立ち止まる余裕。
生活が豊かだった。

気功は、自らの中から
汲めどもつきぬ豊かさが湧き出る泉。

[実習・心がおちつく やさしい気功〜活元運動]

2014.12.23

気功の学校・教える 12月

2014.12.7 天野泰司 於:アスニー山科和室 

最終回、「教える」ことについて。
このあとは交流会で、おいしいインド料理をいっぱいいただきました。(純)
・・・・・・・・

人には、グループを作って仲良くやっていく本能がある。

まず同調し、自分がいちばん気持ちよくなるように。
ちょうどピッタリ、というひとつをみつけていく。
私を狭めるものを、なくしていく。
今この動き、というひとつを見つけていくことで
完全な自由を、気功を通じて体験する。
これでいい、という時に終わる。

[実習・活元相互運動]
相手は、自分にないものをもっている。
自分が変わるスイッチを入れればよい。

「教える」ことは、相手によって変わる。
相手に引き出される、相互活元のような世界。
そうすると尽きることがない。

何が核心か、腑に落ちていると
相手に応じて必要なものが出てくる。
より気持ちよく、楽しく、夢がふくらむように生きていく。
そうならなければ、教室で教える意味がない。

ふりこ・円(波動功)・波(禅密功)、立つ・座る・眠る。
のび・操体法・安静体操。
中心があると、自由に動ける。

新しい事を次々に学びつづけなければならないか。
学んでもいいが、伝えるには責任がある。
それが相手のためになっているか。
体の内からあふれるようにして伝えていくのがよい。

いのちにたいして、ためになることをしたか。
その吟味が必要。
体から、自ずと湧き出るようにして出てくるものが、
相手と自分のためになること。

よく知って、自分のものにしていく。
それが内から出てくる。

気楽に教える。自分に嘘いつわりがないように。
体に添って、正直に。
そうすると、すっきりした感じがのこる。
それが、相手のためになっていること。

気功の入り口は、平たくて広い。
相手との関係性、生き方が変わる可能性もある。
何かと組み合わせていくこともできる。

2014.12.23

気功の学校・教える 11月

2014.11.16 天野泰司 於:アスニー山科和室 

私のノートから、お話部分を。
*11月と12月を合わせて、「気功生活」86号に
掲載します。(純)
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「教える」とは、日常的に、その時に応じて、相手に必要なことを伝えること。
赤ちゃんを育てるのと同じ。日々違う。

それには、直感力が大切。
そして観察力。知識と勘の橋渡しになる。
そして、正しい知識。

勘だけに頼っていると、空想や思い込みとの区別がつかない。
観察力、ぱっと見て、触れて、体で感じること。
観察する=相手と同調している。

視線の集中で、愉気(手あて)になる。
愉気できる目を持つ。そうすると、どんな人と会っていても
その方のためになることができる。

自分のほんとうにためになることをすると、
その方のほんとうにためになる事を伝えるようになり
その方のほんとうにためになる事を伝える(教える)ようになると
自分のほんとうにためになることをするようになる。

「自利」も「利他」も区別はない。
気功を通じて、自分の、そして相手のためになる。
「教える」立場なら、こうした志があることが大切。

まず相手と同調し、その上で自分が気持ちよくなるようにやっていく。

Q.「ほんとうにためになること」とは?
A.「発菩提心」、思いがなければ行き着くことはできない。
 そして思いが消えた時、悟りが訪れる。
そのように、最初に明確な意志をインプットしておくことが大切。
「その方にとってほんとうに大切なこと、
自分にとって本当に大切なことをやっていく」と、きょう考えたら、忘れる。
思い出した時は考え、また忘れる。

Q.親に薬を飲んでもらいたくないが、飲むなとはいえない。
A.言っても、言わなくてもいい。
止めても、止めなくてもいい。どちらでもいい、自由な心持ちを持つことが大事。

Q.家を売ろうか迷っている。
A.同調して、家に聞いてみる。お腹の赤ちゃんに聞くのとおなじ。
 noなら、みぞおちが固い。
 yesなら、おなかが落ち着いて、みぞおちがゆるむ。
みぞおちがゆるむ方向へゆくこと。

[実習・リクエスト愉気]
まず相手を受け容れて、あとは自分のペースでたんたんとやっていく。
意識でなく、いのちとお話する。
無意識では違うものを欲していたりするので、
体の声に応えていく。

難しい人は、意識が言ってくることと、体の思いが一致していない。
極端に一致していない場合もある。
中心は、「見てほしい」という気の集中欲求か
あたりちらす、無視するような、気の分散欲求。

気を集中して欲しい人には、接するのは少し距離を置いて、
いないところでその人を思い、手あてする。

エネルギーを分散したい人には、消耗させる。
いちばんよいのは、責任感をもってやれること、目標を乗り越えるようなことを。
たとえば子どもはエネルギーのかたまり。
そうしたことを、ちょうどよくどんどんやらせる。
骨盤をゆるめるのもよい。

2014.10.21

気功の学校・10月

年間コース、京都山科での「気功の学校」。
あと数回で終わりなのですが、これから、といった感じ。
浅草と内容的につながるものがあるので、起こしてみました。

テーマは、「基本に戻る」。
そして「伝える」。

 10/19 山科和室 天野泰司 

・・・・・
基本に戻る

10月に入った。

1月から今迄に学んできて、立ち止まってみると
「これだけ力がついた」「まだまだ伸ばしていける処がある」
その両方が見いだせるだろう。

新年には、願いを書いてみた。
初めて活元運動を学んで、驚いた方も多かっただろう。

ポカンとする。
体にまかせる。
心が自由。
そうしたことも学んできた。

それもまた、活元運動だと言えるし
願いが叶っていくことも、そう言える。
活元運動は、特別なことではなく、本質的で当たり前のこと。

「気功の学校」では、自然を学ぶ。
「自然」といったことが、自分の中でどこまでこなれているだろう。
深まって、体が実感していくと
言葉にした時、的確な表現になる。
ゆるがない。
明らかに、そうである、という言葉となる。

伝える

気功を教えていくときも、
相手の多様性に添って、伝わりやすい伝え方をする。
自分の体感がゆるがないからこそ、自在に変化できる。

言葉は少なく。
私たちの間では、非言語的な、雰囲気や調子、態度などが
言葉よりはるかに多くのことを伝えている。
気が伝わる。

言葉を選ぶ。
問題点に意識を向けない。
本質的、中心であるところをみていく。

大事なことほど、言葉を使わない。
大きな声で言われるほど、反発が起こる。
何気ない、でも確実に伝わるように。
大事なことほど、小さな声で。

「相手を変えよう」とすると、それは伝わってしまう。
その意志を消す。消えた所で、ふっ、と言う。
そうすると、言われたことだと気づかないで相手の中に入る。

禅密功で、音を出していく時があるが
劉漢文先生が「尋音→知音→真言」という段階を踏む、と仰った。
まず、どんなだろうとその音を探していく段階。
あ、これだ、とわかる段階。
そうして真言となっていくと、ゆるがない。
力になり、響きが相手に伝わる。

絞り込まれた言葉は、凝縮された「何か」。
「はい、結構です。」そのひとことでも
相手に必要な変化が起こる。

伝えよう、とするのではなく
相手に必要な「これ」を表現していく。

動作の「説明」ではなく、
「自分が、こんな状態です」ということを表現する。
それは、今の私、未来の私、その両方の状態がある。

「ゆるんでいます。」と言った時、
いまゆるんでいる、ということと
これからゆるんでいく、という願いを叶えていくことの両方。

相手と同調して、ゆるんでいる時にかける言葉は
大きな変化を誘導する。
それは諸刃の剣でもある。

終わりがあることが大事。
「終わった。これで良し。」
それで、ストンと落ちる。
お互いにする手あても、初めはいつ終えていいかわからないが
経験を積むと、明確に終わった感じがあって、
自然に手が離れていく。
伝統芸能のお稽古などでも、できたところでぱちんと止める。
すると、保たれる。

[実習・ふりこ〜波の動き]
お互いに同調し、言葉をかけていく実例として。

快原則

今度、岡崎の中国茶のお店、好日居さんで
お茶と気功の会」をする。
文化とは、感度が上がるもの。すなわち健康に結びつく。
その善し悪しは、
「気持ちがいいかどうか」が指標になる。

[実習・寝る]
もっと気持ちのいい姿勢はないか。
横になって、自分で探していく。
「気持ちがいい」レベルは、探していくとバージョンアップしていく。
毎日、新しい。違う面白さ、楽しさがある。

こんなふうな姿勢が気持ちいいかな、
こんな行動が気持ちいい。
私たちは自分で決めているところがある。
それは固定していることと同じ。

もっと違う気持ちよさはないか。
一度も、同じ動きはない。
まず固定をやめ、より気持ちのいい感じ、自由な感じを探す。

感覚を高めていこうとする方向性、
本来の自由に出会う方向性を決めてゆく。

[実習・胸部活点]…鎖骨のくぼみのてあて
後ろから、相手の鎖骨のくぼみに静かに手をあてる。
より繊細な変化が出てくるように。
何もしない。
まかせる。

相手の感覚を、その人に合わせて
順々に敏感にしていく。

宿題は、「相手の感覚を高める」てあて、言葉がけ。
終えた時相手の美しさが際立つように。
美しさの中に、気、自然の発露がある。

 Q:どんなふうに言葉をかけたらいいのかわからない。
 A:どんなふうに、と迷う中に、よりよく相手の感覚を高めたいという思いがある。
  わからない時は、形式にもどる。例えば、挨拶。
  「おはよう」という挨拶ひとつに、ちょっとした話ひとつに
  相手の感覚が高まるように。
  発散感がある時は、うまくいっていない。

[実習・穴追い〜心がおちつく やさしい気功]

2014.10.21

気功の学校・浅草

久し振りの東京、初めての浅草。
1日で、「気功の学校」と禅密功の
基本の考え方、動作を学びました。

「気功の学校」の内容を、久し振りに起こします。
 写真はこちらに。→

 10/5 浅草公会堂 天野泰司 

・・・・・
気功の学校の基礎

楽に動くこと。

徹底的に、楽に動く。そのことに気を抜かない。
集中が持続することで、道が開ける。
習慣が変わる。生活に、気功が活きてくる。

気功の学校は、何かを習うのではない。
生活のさまざまな場面に、「気が満ちている」ことが目的。

原点に戻る。

例えば、「気功の学校」の年間コースでは
毎年、ゼロに戻って、新しい気持ちで始める。
原点は、自然。
からだの中にある「自然」に、学ぶものは無限にある。

[実習・ふりこ〜波の動き]

自然に動く事が、そのまま調整になる。
「決まり」は仮のもの、として今ちょうどいい動き方をする。
体にまかせることで、ブロ以上の調整運動が
自ずから起こったりする。
そこに意図が入ると、間違える。
「〜しないといけない」意識、固定しているものから自由になる。
それが、自然に向かう道筋。

その自由、自然さは周囲にも伝わる。
体を通じて「自然という事実」に出会っていくことで、
社会全体がスムーズに動くようになる。

私たちの細胞、ひとつひとつがいのち。
独自に生きている沢山のものが、わたしを作っている。

社会も、私たちひとつひとつの集まり。
細胞のひとつひとつ、私たちひとりひとりには
それぞれの役割がある。

明恵上人は「あるべきようは」という言葉を遺している。
私たち、ひとりひとりの自然を生きていく。
自分のベストポジションは必ずある。
それを、体でつかんでいく。

 Q:ゆるむと引き締まりが出て来る、とはどういう意味?

 A:ベースは、「どちらに行ってもいいよ」という状態。
 それが、ゆるんだ状態。
 ゆるみがあると、引き締まるべき処が自ずと引き締まり
 骨盤、下腹部に力が集まってくる。
 まとまりがあると、その中で、ゆるんだり引き締まったりできる。
 集約した中にうねりが起こって、大きなエネルギーになる。
 力はいらない、そこに力があるから。
 「ゆるみの道」に添って、動きが起こってくる。
 そこに生じる、力の大きさ。

 「あるべきものが、あるべきところに、あるべきようにある」(増田明)
 これが、ゆるんでいる、ということ。

禅密功の基礎

禅密功は、中心にゆるみを作る。
骨盤の中をゆるめる。=「密処がゆるむ」。

イメージすると、自ずとゆるむ。
空想に寄って、体は変わる。
空想に入ると、意図が淡くなって消える。
それが、ゆるんでいる状態。

そして、自ずと「慧目がひらく」。=ひたいが開き、笑う。
すると、体が変化し、動きが起こる。

背骨がまっすぐ、天からぶら下がるようにして立つ。=「三点一線」、
頭頂部、密処、かかととかかとを結んだ線の中心がひとつながりになるように。
この線はゆるやかに動き、禅密功の間は途切れなくその状態が続く。

[実習・禅密基礎功〜心がおちつく やさしい気功〜穴追い]

穴追いについて

「この道」をていねいにたどる。
歩くと、いちばん気持ちがいい道。
また、そこに戻ればいい。

体を通じて、生き方を再確認する。

2012.10.21

こころの気功 2

     2012.10.7 天野泰司 於:気功の学校・教える
・・・・・・・
(気功を教えるときは)
自分が感じていることだけを、言葉にしていく。

言葉にすることで、自分の体感がもう一つ深まる。
体から言葉へ、言葉から体へのフィードバックが起こる。
力を引き出す、言葉がけ。
本来の力を抑制する、言葉がけ。
その2つの方向がある。

自分に向き合い、言葉の癖を見直す感じが起こってくることで
他への不必要な言葉がけが減る。

心が流れるままにまかせることを、「不動心」という。
さらさらと流れ、どちらにでも自由に動ける心。
ただ、自然の流れだけがあり、横やりに動かされない状態。
例えば、禅密功を終えた時のように。
感情をコントロールしようとするのではなく、
その時々、出していくとちょうどいい処へ収まってくる。

[宿題]
・心の流れを見る。
・流れている心を、見る。(=瞑想)

流れていく心に、口出ししない。味わい、その色んな味を楽しむ。
そうしたことが、大変なことがあっても戻ってこれる「心の体力」をつけていく。

日本は、自然災害が多い。
天然の無情によって培われた「心の力」も大きい。
心の力は、振幅のトレーニングによって作られる。

今、大きな波が来ている人は、
大きな波を乗り越えていく力をつけている。
今、細かな波が来ている人は、細かな中に味わいを感じている。
感情にも、自分の特質にも、素直なほうがいい。

病はビッグウェイブ」と以前話したが、
自ら「この心の波に乗っていく」。
心配や、不安も同じ。心配を止めないで、不安を止めないで、乗っていく。
体はいつも最善をつくしている。
そうした体への信頼、心への信頼をもって。

[宿題]…水を飲む
乾燥に寒さが加わると、より寒く感じる。
乾燥してくる冬や、来年への貯金だと思って、水が欲しいな、と思うタイミングに
(お風呂上がり、動いた後、起きた時など) 味わって、少し、水をこまめに飲むこと。
・・・・・・・
引き続き、水をのむことについて補足。(純)

2012.10.11 天野泰司 於:朝日カルチャー京都定例
「乾く」のは、秋冬。夏は自分で水分をとっている。
つめの周りや、唇がかさかさしてきたら水の足りないサイン。
水の保ちは、体の弾性。
年齢ごとにだんだん体の水分量は少なくなってくる。
水分補給が不足すると、関節部分が痛む。
うまく動かない。背骨が曲がる。
日本は四季がある。暑さ、寒さ、梅雨の湿気はわかりやすいが、
乾燥はある程度耐えられるのでわかりにくい。
乾く事だけには、意識的な注意が必要。
お風呂上がり、動いた後、起きた時など、タイミング良く、水を飲むと吸収されやすい。
水を飲むことと、腎臓のてあてを組み合わせるとよい。
腎臓をなでたあと、ゆっくりてあてする。
足の裏を、ゆっくりなでる。
秋は、「きれいだな」「すずしいな」と
感覚が素直に深まってくる季節。

[宿題]
頭の、ふと手がいくところにてあてし
顔や、胸など気持ちのいいルートを通って
ゆっくりなでおろしていくことも10月いっぱい、とてもよい。

2012.10.08

こころの気功

   2012.10.6 天野泰司 於:山科
・・・・・・・
心はどこにあるだろう。

心は、独立してどこかにあるのではなくて、体とつながっている。
たとえば辛い気持ちが、きゅっと胸にくる時があったり。
おなかにくる時もある。

心のこわばりは、体のどこかの部分の緊張を生む。
例えば頭、胸、おなか、胴、骨盤。
体のその部分をゆるめていくことで、心もほぐれてくる。

胸部で、辛さのでやすい処は、鎖骨のくぼみ・胸筋。
胸筋(鎖骨の下、胸の上部、左右の筋肉)がゆるむことが大切。

[実習・胸をなでる]
鎖骨のくぼみの下から、肩のつけねあたりまで、片方づつ、ゆっくり丸くなでる。
「腹が立つ」のは、文字通り直腸筋の緊張。長く続くと、体を壊す。
お腹にきたぞ、という時は、左右にゆれるとほぐれてくる。
その都度、することが大切。
習慣づくと、緊張はしてもゆるめることができる。

[実習・左右にゆれる]
左右にゆっくりゆれる。
胴は、腎臓と泌尿器の系統。体がねじれてくると、誰かと比べやすい。
ねじり運動をスムーズにしていくと解消する。

[実習・ねじりのふりこ・腎臓をなでる・わき腹のてあて]
骨盤に怒りが入り込むと、緊張がゆるまない。
たとえば「道成寺」のような激しい嫉妬、愛。
骨盤の力は強く、緊張を長く保たせられる。
力づくではゆるまない。とてつもなく、気持ちよくするとゆるむ。
骨盤を直接でなく、その出張所のようなところをゆるめていく。
後頭部・あご関節・肩甲骨・手首・仙椎・尾骨・足・足首など。

[実習・くるぶしから下、足の甲と足の裏をなでる]
お互いに組んで、ゆっくりと、やわらかく。
止まりたい、と感じた処では止まって、てあて。
なでる側が気持ちよく、体をゆらしながら。
肩甲骨は、うつぶせになってもらって、おなかに座布団を一枚多く入れ、
肩甲骨に両手をあてて、ゆるやかになでる。
肩甲骨から骨盤の動きが止まる事がある。
わきのあたり、腕までなでてゆく。
お乳と関係があって、肩甲骨にてあてをしていると、生理の周期が整うこともある。

[実習・頭にふれる→なでおろす]
てのひらで2カ所、頭の中で
気になるところ、当てたいところ、盛り上がっているような処に手をあてる。
しばらくしたら、腕や胸など、なでおろしたいルートを通って
ゆっくりなで下ろしていく。
数回、してよい。

つらいときも、その都度、体をゆるめていくことが大事。
現象そのものは、体とは全く関係がない。
どんな状況が起こっても、こうして、
自分で体から対応していくことができる。

2012.09.07

「げっ」の裏返し

「気功の学校・教える」の授業では、時々宿題が出ます。
7月に出されたお題は、「げっ」の裏返し。
日常生活の中で「げーっ」て思うこと、いろいろありますよね。
例えば「大切な茶碗を割っちゃった」
「会いたくないあの人にばったり会っちゃった」
「何で原発が再稼動するんだ」みたいに。
 そういう時に思い出すのが、裏と表がある一枚のカードです。
どんな出来事の中にも両面性があります。
そして、その出来事をどのように受け取るかは、
一人一人の感受性のフィルターによって百人百様に変化します。
だから「げっ」ていうカードを引いてしまったら、
その日のうちに必ず裏返しておきます。
それが今回の宿題でした。
この宿題の原点にあるのは、
身の周りにおこっている全てのことは、
自らの潜在意識の反映だということ。
一見不必要で、いまいましく思えるようなことでも、
気付かない自分の願いの反映として生じているので、
そこには何らかの意味が隠れています。
特に「げっ」と思うような強い感情が生じることは、
自分にとって影響の大きな出来事ですから、
裏返しにすると、とても大切な事柄が見えてきたりするのです。
「げっ」の裏返しの習慣は、
秋に向けての準備でもあります。
秋になると感覚が繊細になり、
感覚が磨かれていくと、自ずと健康になります。
でも、もし辛い思いが山積みだと、
感覚は閉じていこうとするので、体の働きも滞ってしまいます。
そこで、毎日せっせと裏返していく。
「新しい茶碗にリニューアルね、今までありがとう」
「これであの人への嫌な気持ちがお掃除できるかも」
「今回の再稼動は、みんなの気持ちが
一つにまとまる大きな契機かもしれない」と。
どうしても裏面が思い浮かばないときは、
ただ裏返すイメージだけでもかまいません。
ともかく単純作業で裏返していく。
そうやって毎日練習しているうちに、
自動的にカードがぱたぱたと表向きになっていくようになったら
もう練習する必要はありません。
心がとても自由で広々とした感じになり、
落ち着いた心で、
本来の自分の役割を淡々とこなしていることだろうと思います。
・・「気功生活」72号より 天野泰司

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