2014.12.23
気功の学校・プリペア
天野のリクエストで、
12/21 気功の学校・プリペアから
お話中心にノートを起こしました。(純)
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[活元運動について]
気功の学校では、毎年初めに、再受講生も新受講生も
「ゼロに戻る」。
今まで積み重ねてきたことをいったんまっさらにして、
新しい気持ちで学びを始める。
こうして、繰り返し受講をしていくうち
内容に深まりがあるので、
新規の受講生には少し準備が必要と思い
このたび、初めて「プリペア」を設定した。
気功の学校で、1-3月、よく行う活元運動が
ひとつ、ハードルになりやすい。
きょうは最初に、まず説明をして、
順に体を動かしてから、最後に活元運動に入る予定。
例えば歩くとき、無意識に多くの動きが
順になされている。
あくび、のび、寝返り。
日常の動きのほとんどは、無意識。
心身を整えるには、無意識の動きを変えていく必要がある。
ふと、きれいな動きだな、と感じられる人が
武術家や、踊りをされている方だったりする。
動きの中に、自然に無意識的なものが出てくる。
そうした型に添う動きではなくて、
型が無くて、無意識の動きが整うものはないか。
そうした観点で野口晴哉さんが設計したのが、活元運動。
日本古来の霊動法や、神道の中にあって
秘伝、特殊とされてきたものをまとめ、
今では整体協会の初めの入り口になっている。
目的は、生命の自発性。
自ら生き生きと動いていくこと。
体と心の動き方が、自ずと変わってくること。
初めて体験した人は、無意識の動きをそのまま出していくので
どんな動きが出てくるかそれぞれわからず、
驚いて先入観を持ってしまうことが多々ある。
本来、人間も動物。動きには美しさがある。
生き生きとした、いのちのはたらきがある。
けれど、人は動物とは違う。
日常生活から生じるねじれやこわばりを解消するために、
不自然な、美しくない動きも混じってくる。
活元運動をしている人たちの、美しさを見ていく必要がある。
[実習・ふりこ]
ふりこは、抵抗を少なくするとゆれつづける。
基本は、ゆるむこと。
慣れてくると、日常のあらゆる処に
「こんなにがんばらなくてよかったんだ」という瞬間が出てくる。
何故人間だけこんなに大変なんだろう。
大きなビルも造り、さまざまな技術も高めてきた。
こんなに能力が高いのだから、楽々生きていけるはず。
「がんばる」ことで、過剰なエネルギーが混乱を生む。
エネルギーを使う方向が違う。
ゆるむ習慣がつくと、
日常の中で「コレ、いらないかもしれない」とふと気づく。
それは、手放すかもしれないし
持っているかもしれない。
けれどそこに、「動く自由」が出てくる。
それでも残っていくものがある。
必要なものを、きちんとみていくことができる。
物質的豊かさと、精神的豊かさは
どちらかを犠牲にしてどちらかを得るのではなく、
その両方が大切。
より豊かになっていく方向性を作っていくことができる。
それが、人の本来の自然。
「志」を含めて、自然であることが、動物と違う点。
今、これまでと違う方向の努力が必要になっているのかもしれない。
それには、気功はひとつの鍵になる。
より気持ちよく、にこにこして暮らすことが実現。
それが「気功の学校」の目的。
先へ進むこと。
「右肩上がり」=経済成長がずっと重視されてきた。
それは、動いているお金の量が多くなって、
たくさん入ってたくさん使っている、ということ。
常に伸びていく、増えていく。
より強く、たくさん。
その背後には、争い、戦いがある。
自然界には、常に伸びていくということはあまりなく
何かの木が伸びると何かが枯れ、
ひとつの状態ができると安定する。
そうした、ちょうどよくバランスした安定した状態がよい。
争いには弊害があって、
相手が下がると自分が上がるような気がする。
朝のドラマで、日本初めてのウィスキー造りの努力が描かれると
ライバル会社は、その特集を組まないように
雑誌社に通達を出したとも聞く。
年度年度で決算をするから、短期的な考えになりがちだけれど
長い目でみれば、ウィスキー全体の売り上げが上がって
世界が広がって、良い事ではないのか。
子育てでも、他の子と比較してほめると相手をいじめるようなことが起こりやすい。
退一歩。
一歩下がる。
ゆっくり、と禅密功の劉漢文先生がおっしゃるのは
そういった意味。
自分に戻る。いのちに戻る。
先に先に、と働きやすい意識から離れる。
江戸時代に日本を訪れた欧米人は、
民衆が、貧しいのにみな幸せそうに生活していることに驚嘆している。
とくに子どもの笑顔が素晴らしい、と。
けれども彼らは、「西洋文明が入ってくることで
この美しさが失われるだろう」と予見していた。
昔はもっとゆとりがあった。
月がきれい、と立ち止まる余裕。
生活が豊かだった。
気功は、自らの中から
汲めどもつきぬ豊かさが湧き出る泉。
[実習・心がおちつく やさしい気功〜活元運動]