気功のひろば

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2017.08.24

自分で見つける〜7・8月気功の学校

「気功の学校」後期、7-8月のお話から
少し、まとめますね。(純)

2017/7/2・8/6 天野泰司

・・・・・・・・・・
*7月 

体が「100%万全」といったことは、ない。
季節や、時期でも変化するもの。
すっきりしないところで、自力でバランスをとる。
苦しさ、つらさを敵視しない。

みな、苦しみ、辛さを抱えて生きている。
自力で壁を乗り越えようとする時に、辛さ・苦しさが伴う。
「やはり生きていこう」とするから苦しい。
自力、他力、そして天の力といったようなもの、
そうして乗り越えて体力が培われる。

そうした「天然のトレーニング」といったようなことが、
絶え間なく起こる。

梅雨は最も過ごしにくい時期、
汗をどんどんかいていくべき時期なのに、
長雨で汗が出にくく、腎臓に負担がかかる。

なので、「楽に動く」ことが大切。
立って、歩いたり、踊ったり。足腰を使う全身運動がよい。
自由に動く「活元運動」や、しゅーっとのびのび「ふりこ」をするのもよい。

*8月

夏。体力が必要な時。
生命力の中枢、後頭部、おなかにてあてを。
そして、楽に動きながら、不要な物を外に出す。
動いたら、ストンと休むと、深い息が入ってくる。

「楽」を見直す。
漫然と物事を行うのでなく、どうしたら楽なのか
いま、一番楽な姿勢はほんとうにこれでよいのか、
「自分で見つける」つもりで。

気功のポイントは「自分で見つける」スイッチを入れること。

そして、日々「心にささったこと」は、その日のうちに抜く。

・リフレーミング
「こうした見方もあるよ」と、自分にも、相手にも
捉え直し、言葉で伝えることで、頭の掃除になる。
「AだからBだよね」といつも思っていることを、
「Cでも、Dでもあるよね」と、違う見方を探してみる。

「すべてポジティブに、ということでなく、そのままを認め
いろんな見方があることに気づいていく。

相手は、自分の認めた通りになる。
状況そのものも、変わっていく。

その後、首をらくに、目を楽に。
あたためたり、手をあてたり。
そうすることで、分離していた頭と体がつながる。

・願望実現法
リフレーミングとは両輪にあたる。
8/11「七夕てあての会」で、短冊を書きながら、詳しく。→つづく
(純)

2016.02.22

「できない」という壁 〜エレメンタリー2日目

「気功の学校」エレメンタリー2回目です。。(純)
「浅草てあての会」からお話が続いています。

2016.2/7  天野泰司

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「できない」という壁は、自分で立てている。

「できないことだから、やらなくていい」という安心剤として。

なので、壁を自分で立てたことに気づけば、変えていくとができる。
壁に穴をあけたり、壁の無いところを通ったり。
自分で立てていない壁は、容易に変わらない。

「立派な壁なんだ」「大きな壁なんだ」という思い込み。
「あなたはできるからいいね」
「私はできないから、もっと可愛がってください」と
大切にされたい思いが
自分で壁をたてて、その中に自分をはめこむ。

人はお互いに、「愛」を与え合って生きている。
「真の愛」と浅草で表現したようなもの。
手あて(=愉気)をし合っていない生活は、考えられない。
壁にぶつかった時は、その原点に戻る。

気は、はかることができない。
いつも流れている、「いのちの響き」のようなもの。
お互いに生き、存在していることは、深く、貴重で、活き活きしたもの。

純粋に、相手に気をあつめることで、
好き嫌いを越えた「いのちの響き」を共有するのが手あて。
「私」はいのちのまとまり。
「私以前の私」と、つながっている。
今は仮に生きている、そこへ立ち返る。

自ら立てた目の前の壁を、楽しむ。
「人生楽ありゃ苦もあるさ」、苦楽は少々あるほうが楽しい。
気の流れがスムーズだと、苦楽を楽しめる。
とどこおると、浮き沈みを楽しむのが難しい。

人は変化することが自然。
気の滞りが怖れを生み、動けない状況を作る。
死への怖れが最も大きい。
生と死はひとつのことの表裏、世代を切り替えることで命を再生する。
死ぬ4日前から死への準備が始まるのだから、
それまでは思い煩うことなく、全力で生き、4日かけていのちの火をたたんでいく。

[実習・てあて〜目・胸・下腹]〜春の変化をスムーズに。

[実習・肩の荷がおりる気功〜波動功]
波動功=「円の動き」は、出口衆太郎さん作の太極気功。
太極拳の動きをやさしくしたもの。
腕で動かず、上半身の力を抜いて足腰で動く。
下半身の重心移動が中心。
水の中で動くように。

腰をおとすことは、生きる力(=性の力)を養う。
体の中から「動きたいな」という感じが出てきた時に動く。

[実習・てあて〜肩甲骨]〜春は生まれ変わりの季節。
[実習・活元運動]〜制限をなくし、感覚を高める。

2016.02.21

エレメンタリー初回から

「気功の学校」エレメンタリー初回。
実習まで通して起こしてみますね。(純)

2016.1/17  天野泰司

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自然が先生

ゼロに戻る。

つみあげてきた常識。
例えば、「健康ってこんなものだ」。
「私は、こんな時はこうなる人だ」。
教えてきた経験。
そうしたものがひとつの世界を作り上げている。

何もないところから学ぶ。
のほほんと、子どものように。
今迄のことを忘れて、ゼロから学ぶ。

毎年、ゼロに戻る。

お正月、年があらたまる。大掃除、初詣で心を刷新するのは、日本の良い伝統。
新月。月のリズム。今月はどんな新しいことがあるだろうか。
新しい週。生まれた時から、週単位のリズムをそれぞれ持っている。
そして、新しい日。日の出。毎日生まれ変わる。毎日、眠る時には死ぬ。

日々、月々、年々新しく生きていく。
「気功の学校」も、毎年、原点から始まる。

選択肢を広げるためにさまざまなことを学ぶが、
答えは体の中にある。
全部、自分の体が教えてくれる。

自然は完璧にできている。
体との対話を深めていくことは大切。
自分で見つけていく。体から答えを引き出していく。
それが「自然が先生」ということ。

ふりこ
前後・左右・ねじりの3つの運動で、すべてを考えていくことができる。
原点は「ゆるむ」こと。
無意識的な運動が大切、
思考の働きと体の緊張がゆるむことで、流れがスムーズになる。

力を抜くコツは、無理に抜こうとしないこと。
楽感的に。「まぁその内抜けるだろう」。
空想を用いる。
淡々と、体のある処に集中する。
ゆるんでいて、まっすぐ。

「動くことが気持ちよい」のが、動物的な本能。
体の使い方を学び直し、観念を捨てる。

安静体操〜寝る
今もっとも気持ちよい姿勢をとって、休む。
自分を大切にすることに、妥協しない。
夜、寝るときにするのもよい。毎晩気持ちよく死ぬ。

操体法
前後・左右・ねじり=呼吸器・消化器・泌尿器のつかえをとる。
他に神経系、股関節と、1から5番までの全ての腰椎を
意図的に整えることができる、強力な方法。

脱力体操
のびをすることで、今一番ゆるめたい処を一カ所だけ的確に変える。
連続して3回。

操体法・脱力体操は、必要と思うものを毎日1回でいい。
安静体操ができれば良いが、
ほぐれにくい時は脱力体操、ポイントが自分でわかりにくい時は操体法。

活元運動
寝返りは、安静体操を組み合わせていくもの。
あくびや、笑うことは、天然の呼吸法。
泣くこと、怒ることで心身を調整する。
そうしたことはみな、活元運動。
意識のブレーキをかけないことが大事。
春先の、体が開いてくる時期がやりやすい。

2016.02.20

夢は叶う、体は整うのが自然 〜新春

「気功の学校」新春、今年最初の講座から。
お話の後、からだをじっくりゆるめ、
最後にそれぞれの「今年の夢」を書き出しました。(純)

2016.1/11  天野泰司

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自然が先生
「気功の学校」では、「自然が先生」。
誰か特定の人が偉い、のではない。

自然の働きを高めていく、または
不自然なものを減らしていく。
必ず、そのどちらかをやっていく。

それは、その時々違い、またその人によって違う。
万人に合う方法はない。
臨機応変に、その人または自分に合うことを選べるよう
さまざまなことを学んでいく。

選び方は、直感に従って。考える前に選ぶ。
「これにしよう」「良さそう。」
つまり、直感を働かせていく方法を学ぶ。
先ずは勘で、後で考える。

講座のノートはとらないように。
感覚を働かせて聞き、休み時間や、終えた電車の中など
直後にまとめると定着する。

今日から「祈りの2ヶ月」が始まる。
震災以後、自然の働きが高まっている一方、不自然なことも多い。
対立構造は争いの元、争いの無い状態を作る。
その為に争うのもまた違う。
人々の潜在意識が大きく動いていて、
それが去年くらいから顕在化している。
火がついて、燃え盛ろうとしている。

向かっていく方向は「こうしなければ」でなく、「こうしたい」。
生きていることは、自発的。
全面的な自発性の元に動く。
生命体の中でヒトだけが、「しなければ」で動くことができるが
みな「こうしたい」と動いていけると
お互いに助け合う社会が実現する。

肩の荷がおりる気功」。
「肩の荷」とは、やらなければならないこと、しなければならないこと、
ほんとうにやりたいことでなければ、一端下ろしていく。
そうすると、したいことだけが残る。

下ろしてまた、もし同じことをしょい直しても
それは「肩の荷」ではなくなっている。
まず下ろしてみて、しょってみる。
必ずしも違うことをしなくてもよい。

マイペースで動く。力を抜く。
気功でそうした動きをはぐくむことで、自分らしさを培う。

夢を叶える
「養生とは、いつも楽々悠々と生くること也」。(野口晴哉)
認めれば、そのごとくになる。

例えば、「私には幸せになる可能性がある」と認める。
「素晴らしい政治家が表れる」と認める。
「楽々悠々と生きる可能性がある」ことを認める。

「そうなのかもしれない」という思いは、「たしかにその通り」より強い。
夢を叶えていくには、自分に正直であること。
そのままでいい。

「こんなことしたいな。」
「もうちょっとこうなるといいな。」
そうした思いを、過去形で書いていく。

不満があるなら、不満の無い状態を思い浮かべる。
不満で立ち止まると時間がかかる。
立ち止まると、息が乱れる。長く続く思いは自分を苦しめる。
一瞬の不満や怒りは、自然な息の範疇。

楽々悠々といつも生きることができる、と空想することが大事。

「生命の自発性に添う」のが自然な生き方。
生命体は、必要な物をあつめ、不要な物を捨てる。
自然界は、常にバランスをとって動いている。
人の体にも調整作用があり、必要な時に怒りや悲しみが起こってくる。
人の気持ちにも共鳴するし、カチンとくることも自然。
それがずっと続くことが不自然。

夢は叶うのが自然、体は整うのが自然。

誰かのせいにしていることを卒業する。
自分の責任を自覚すると、変えていける力になる。
自分をゆるすこと。
自分を大切にすること。

2015.12.22

成長しつづけること

「気功の学校」後期、「教える」12月の
お話からまとめました。(純)

2015.12/6  天野泰司

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「〜が悪いから、正さないとならない」
という風潮は、おかしいのではないか。

それが、世の中を乱してきた根本的なもの。
何かを強調することによって、動きを作ろうとする。
各自がのびのび動ける状態を封じてしまい、
無意識の中に不幸の種を撒いていることになる。

悪い者探し、原因探しをしない。
それがなくてもいいことを、
本人が気づくように伝える。
体で気づくと、悩みが消える方向へ
体が勝手に向かっていく。

例:「腰が痛いんですけど」と相談された。
相手の主張に巻き込まれず、その人の思考を他へもってゆく。
「ちょっと動いてみましょうか。」
「腰を回してみましょうか。」「首を回してみましょうか。」
日常的にテープレコーダの同じところが何度も流れているような状態から、
発想が変わるような誘導がポンと入ると、
自分で変わっていったりする。

「ここがしんどい」「大変だ」という自負心、
ある意味「自慢の種」のようなものを手放す。
人に対しては見つけやすいが、自分に対してはハードルが少し高い。
「自分の中で回っている思考」を変えていく。

相手を大切に思う時、相手の中で回っている思考、発想を
変えていきたくなることがある。
相手の思考が変わっていくと、
自分に対しても、つきあいやすくなってくる。

体のほうから変えていくこともできる。
思考のゆるみは、「あくび」「首のぶらさげ」
「首回し」「邪気呼出法」がよい。

いまの時期、頭をゆるめていくことは春の準備になる。
時々思い出してやるとよい。
思考の転換が容易になる。

そして、感覚が働き、自然にうごいていくならば
体にまかせてよい。
体が自然に動いていってしまうことが、命の原点。
命にはすべて自発性がある。

叩かれてやるのは自発的でない。
自ら、おのずからうごいている時だけ、全力が出せる。
それが、「自然に動く」ということ。

強制を教育に使うことは間違っている。
その人らしい動きを自分で選んでもらうには、
自分がゆるみ、感じて、自然に動くことが大切。

自ら体験していなかったら、言葉に重みがない。
日々、自分が、心身を気持ちよく、すっきりさせていく。
そうして初めて「続けるといいよ」という言葉に
重みが出てくる。
それが、相手に続けてもらう方策になる。

昨日より今日、今日より明日、成熟し進歩していくこと。
自分自身が成長し続けること。
「成長しようとし続ける」勢い、エネルギーが大切。
それが、「全力を出している」ということ。

出し惜しみしたり、「できない」と
と決めてしまうのは勿体ない。
赤ちゃんは、立とうと思わなくても立って、歩き始める。
ブレーキをかける必要はない。
思う存分やってください。

自分が気持ちのいい場をつくることが大切。
準備も大切だが、始まったら全部なくなる。

その時、その人にとっていちばん必要なことを。
気功やてあては、その練習。
決まったやり方、考え方ではそうならない。
一対一でも、一対多でも同じ。

2015.12.22

教える醍醐味

「気功の学校」後期、「教える」11月の
お話からまとめていきますね。
すべてにつながることではと思います。(純)

2015.11/1  天野泰司

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体の勘を育てる。
「てあて」であっても、相手に対して影響はある。
だからこそ、意図的なものをできるだけ減らし、
その都度勘を働かせて、体と向き合う。

それが「気功の学校」のテーマ。

教える時にも、相手に対する影響を少なくしていく。
「こうすればいいだろう」という思いは、
相手に負担になったり、
マイナスの影響を与えるかも、という心をどこかに持って、
方向修正を常にかけていけるよう、片隅に置いておく。

方法はできるだけシンプルで、少なく。

各自が好きなように動く時、各自の体が選択していく時も必要。
その時に、過剰な意識を抜いていくよう工夫する。
体が自然に選択していくように。

それは、伝えている自分自身が自然に動くこと、
自分の体感、気持ちよさを中心にすることが大切。
今、自分が必要としている動きを選んでいく。

気功を伝えている場では、同調が起こりやすい。
同じ形をとっている。同じ形のものは響きやすい。
息がそろってくる。

気功をすることは、同調を深めてゆくこと。
教室を始める前には、いろいろ準備をしてもよい。
始めたら全部なくなって、
ポカンとしてただ立っていると、その場に引きこまれてゆく感じ。

相手に必要なものが自分の中に既にある。
なので、自分の体調、立ち位置が大切。

気功を教えることは、
「穴追い」と同じで、いちばんよいゴールデン・ルートを
たどっていく、探していくこと。
一本の筋から離れないように。

楽しみの1つであり、たいしたことではない、
という前提で
そこから気を抜かない。
それが、お互いを育てることになる。

いい加減では楽しくない。集中がない。
マニアックになりすぎてもよくない。
楽しみつつ、集中が途切れないようにするのが
教える醍醐味。

2015.06.08

荷を下ろしつづける大切さ

「気功の学校・教える」6月の講座から、少しだけお話部分を。

        2015.6.7 於:山科和室 天野泰司
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肩の荷をおろす気功」の後で。

私たちは、外側からさまざまな制約を受け、
その状態が終わっても、自らその荷物を
知らず知らずの内に、背負い続けている。

有形無形の教育によって、
やりたくないことをやらされる状態が続いたり
安易に答えを与えられてしまうこともある。

いのちは、必要なものを必要なタイミングで
自ら集めてくるもの。
子どもに取っては、全部が初めて。
本来は、「なぜだろう」というワクワクが引き出されると
自ら、大事なものをつかみとる。

答えを与えられて、「知ったつもりになる」危険性。
この人はこう言い、あの人はそういう、という矛盾。

そんな中で、私たちは、「勘を働かせて」知っていくことが大切。
気功は、勘をみがいていく方法。

「肩の荷をおろす気功」は、
そうした不要な、気づかず背負いつづけているもの
体のどこかに溜まっている、いらないものを
気持ちよく下ろしていく。

(純)

2015.03.14

気功の学校・ステップアップ

開講中の「気功の学校・ステップアップ」の1回目から、少しだけお話を。

2015/3/1 天野泰司 於:山科和室

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学ぶ時に大切なのは、苦手意識をまず無くすこと。

たとえば「本を読むのが苦手」と思っていたとすると、
そのイメージに添って、また同じことが再現されてしまう。
思考の連鎖が起こる。

「昨日は、うまくいかなかった」と思うのは、よい。
そして、「今日は、きょう。」

心身の能力が、きのうより、ほんのわずか上回るように
生活そのものを見直していく。

気功の学校の密度の高さは、「努力を手放す」ことから生まれている。
努力しなくなると、物事はすんなり入ってくる。

練習はしないほうがいい。いつも本番、100パーセントを出していく。

教える時、出し惜しみをする先生が時にあるが、
出し切ることで能力は伸びる。
子ども、とくに赤ちゃんはいつも全力。

ゆるむことで感覚が高まり、
体の中の自然の働きが立ち現れてくる。
すると、全力が発揮しやすくなる。

自分の病を自慢しない。
それは、病気を一番長引かせる方法。
「私はこんな大変な症状、あの人に勝った!」
そうして自分の存在価値を高める、
そんなことをやめるだけで、病気は半分にもなるだろう。

大げさに見せるのは、気が足りないから。
ほんとうは、ただ、気を引きたい心があるだけ。

そのままに見ていく。
単純に決めてしまうことの、荒っぽさに気づく。

自然の働き=気。

人は、人為的に自然でない方向へも進むことができる。
過剰な人為を取り除く必要がある。

手あての本質は、
「透明な集中」、何もない心。
静かで澄み渡った気をあつめることで、
お互いに余分な意識が抜ける。

自分をなくし、ただ相手をそのままにみる。
掌から伝わる感覚で。
自分の体に反映される、相手の状態から。

そうすると、変化が起こる。
息が深くなったり、自然にさまざまな動きが起こってくる。
そうした「主体的な変化」が終わると、
ふっと自然に手が離れていく。

相手との同調はしばらく続いている。
自分の感じ、相手の感じを味わって、終わる。

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2014.12.23

気功の学校・プリペア

天野のリクエストで、
12/21 気功の学校・プリペアから
お話中心にノートを起こしました。(純)

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[活元運動について]

気功の学校では、毎年初めに、再受講生も新受講生も
「ゼロに戻る」。
今まで積み重ねてきたことをいったんまっさらにして、
新しい気持ちで学びを始める。

こうして、繰り返し受講をしていくうち
内容に深まりがあるので、
新規の受講生には少し準備が必要と思い
このたび、初めて「プリペア」を設定した。

気功の学校で、1-3月、よく行う活元運動が
ひとつ、ハードルになりやすい。
きょうは最初に、まず説明をして、
順に体を動かしてから、最後に活元運動に入る予定。

例えば歩くとき、無意識に多くの動きが
順になされている。
あくび、のび、寝返り。
日常の動きのほとんどは、無意識。
心身を整えるには、無意識の動きを変えていく必要がある。

ふと、きれいな動きだな、と感じられる人が
武術家や、踊りをされている方だったりする。
動きの中に、自然に無意識的なものが出てくる。
そうした型に添う動きではなくて、
型が無くて、無意識の動きが整うものはないか。
そうした観点で野口晴哉さんが設計したのが、活元運動。

日本古来の霊動法や、神道の中にあって
秘伝、特殊とされてきたものをまとめ、
今では整体協会の初めの入り口になっている。

目的は、生命の自発性。
自ら生き生きと動いていくこと。
体と心の動き方が、自ずと変わってくること。

初めて体験した人は、無意識の動きをそのまま出していくので
どんな動きが出てくるかそれぞれわからず、
驚いて先入観を持ってしまうことが多々ある。

本来、人間も動物。動きには美しさがある。
生き生きとした、いのちのはたらきがある。
けれど、人は動物とは違う。
日常生活から生じるねじれやこわばりを解消するために、
不自然な、美しくない動きも混じってくる。

活元運動をしている人たちの、美しさを見ていく必要がある。

[実習・ふりこ]
ふりこは、抵抗を少なくするとゆれつづける。
基本は、ゆるむこと。

慣れてくると、日常のあらゆる処に
「こんなにがんばらなくてよかったんだ」という瞬間が出てくる。

何故人間だけこんなに大変なんだろう。
大きなビルも造り、さまざまな技術も高めてきた。
こんなに能力が高いのだから、楽々生きていけるはず。

「がんばる」ことで、過剰なエネルギーが混乱を生む。
エネルギーを使う方向が違う。

ゆるむ習慣がつくと、
日常の中で「コレ、いらないかもしれない」とふと気づく。
それは、手放すかもしれないし
持っているかもしれない。
けれどそこに、「動く自由」が出てくる。

それでも残っていくものがある。
必要なものを、きちんとみていくことができる。

物質的豊かさと、精神的豊かさは
どちらかを犠牲にしてどちらかを得るのではなく、
その両方が大切。

より豊かになっていく方向性を作っていくことができる。
それが、人の本来の自然。
「志」を含めて、自然であることが、動物と違う点。

今、これまでと違う方向の努力が必要になっているのかもしれない。
それには、気功はひとつの鍵になる。

より気持ちよく、にこにこして暮らすことが実現。
それが「気功の学校」の目的。

先へ進むこと。
「右肩上がり」=経済成長がずっと重視されてきた。
それは、動いているお金の量が多くなって、
たくさん入ってたくさん使っている、ということ。

常に伸びていく、増えていく。
より強く、たくさん。
その背後には、争い、戦いがある。

自然界には、常に伸びていくということはあまりなく
何かの木が伸びると何かが枯れ、
ひとつの状態ができると安定する。
そうした、ちょうどよくバランスした安定した状態がよい。

争いには弊害があって、
相手が下がると自分が上がるような気がする。
朝のドラマで、日本初めてのウィスキー造りの努力が描かれると
ライバル会社は、その特集を組まないように
雑誌社に通達を出したとも聞く。
年度年度で決算をするから、短期的な考えになりがちだけれど
長い目でみれば、ウィスキー全体の売り上げが上がって
世界が広がって、良い事ではないのか。

子育てでも、他の子と比較してほめると相手をいじめるようなことが起こりやすい。

退一歩。
一歩下がる。
ゆっくり、と禅密功の劉漢文先生がおっしゃるのは
そういった意味。

自分に戻る。いのちに戻る。
先に先に、と働きやすい意識から離れる。

江戸時代に日本を訪れた欧米人は、
民衆が、貧しいのにみな幸せそうに生活していることに驚嘆している。
とくに子どもの笑顔が素晴らしい、と。
けれども彼らは、「西洋文明が入ってくることで
この美しさが失われるだろう」と予見していた。

昔はもっとゆとりがあった。
月がきれい、と立ち止まる余裕。
生活が豊かだった。

気功は、自らの中から
汲めどもつきぬ豊かさが湧き出る泉。

[実習・心がおちつく やさしい気功〜活元運動]

2014.12.23

気功の学校・教える 12月

2014.12.7 天野泰司 於:アスニー山科和室 

最終回、「教える」ことについて。
このあとは交流会で、おいしいインド料理をいっぱいいただきました。(純)
・・・・・・・・

人には、グループを作って仲良くやっていく本能がある。

まず同調し、自分がいちばん気持ちよくなるように。
ちょうどピッタリ、というひとつをみつけていく。
私を狭めるものを、なくしていく。
今この動き、というひとつを見つけていくことで
完全な自由を、気功を通じて体験する。
これでいい、という時に終わる。

[実習・活元相互運動]
相手は、自分にないものをもっている。
自分が変わるスイッチを入れればよい。

「教える」ことは、相手によって変わる。
相手に引き出される、相互活元のような世界。
そうすると尽きることがない。

何が核心か、腑に落ちていると
相手に応じて必要なものが出てくる。
より気持ちよく、楽しく、夢がふくらむように生きていく。
そうならなければ、教室で教える意味がない。

ふりこ・円(波動功)・波(禅密功)、立つ・座る・眠る。
のび・操体法・安静体操。
中心があると、自由に動ける。

新しい事を次々に学びつづけなければならないか。
学んでもいいが、伝えるには責任がある。
それが相手のためになっているか。
体の内からあふれるようにして伝えていくのがよい。

いのちにたいして、ためになることをしたか。
その吟味が必要。
体から、自ずと湧き出るようにして出てくるものが、
相手と自分のためになること。

よく知って、自分のものにしていく。
それが内から出てくる。

気楽に教える。自分に嘘いつわりがないように。
体に添って、正直に。
そうすると、すっきりした感じがのこる。
それが、相手のためになっていること。

気功の入り口は、平たくて広い。
相手との関係性、生き方が変わる可能性もある。
何かと組み合わせていくこともできる。

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