心のリラックス〜9/8京都
毎月第二日曜、「季節の気功」9月のお話から。
*次回→11/10「冷えに強くなる」
2019/9/18 於:朝日カルチャー京都 天野泰司
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*秋をあじわう
季節の巡りが、変化を生む。
生きる中で様々なことに出会う。辛いこと、楽しいこと、
ずっと続くといいな、と思ったり
これが続くとどうしよう、と思ったりするけれど、
季節は、ピークを超えてはまた巡り、必ず動きがあって循環している。
暑さが過ぎると、また涼しくなることを体が事前に察知して準備している。
もし、今が「最悪!」であっても
冬なら春を思い、夏なら秋がくることを思う。
新春の頃、体は春を感じて動き始める。
生まれ直す感覚、体も立て直す時。
春に向けて骨盤が開き、体は毎年リセットされる。
例えば、赤ちゃんが生まれたら、家中にその新しい気配が充満し
男性もフルリセットを体験する。
春は勢いがあり、秋は落ち着きがある。
季節の巡りの中で、体は次の春に向けて準備してゆく。
秋を心地よく過ごすと、春が気持ちよく迎えられる。
秋は、冬に向けて体が引き締ろうとするが、引き締れない部分が出てくる。
左右差が生じて、腰のねじれや冷えにつながる。
症状が出てきたら、「その場でほどく」ことを繰り返しやっていく。
多少は気にしないでやっていくことが積み重なると、体が鈍ってくる。
小さな異常をその場でリセットし、切り替えていくことで、生きる楽しみが増えてゆく。
渦中にあると、気持ち良さに気づかない。
一年のなかで、いまが「秋の入り口」にあることを思い、
秋の気持ち良さを味わうように。
*軽くなる私
生まれて、死んでゆく、どちらも同じ輝き。
暖かさと真剣さを持って向き合う。
死に向かうときは、積み上げてきたものを下ろしてゆく。
四十九日という修行期間に、7日づつ7体の仏がついてくれて
さまざまなものを落とし、
そして1周忌はどの仏、3回忌はどの仏、と
解脱に向けて、あらゆる束縛を解いてゆくのが輪廻思想。
苦しみや辛いことに煩わされない世界があり、
そこへいくことができるかもしれない、
それを成し遂げたブッダという方がいて、
生きている間にも
そちらの方向へ向かえばいいんだな、という空想は、大きな力がある。
「悟り」は、特別なことではなくて、とらわれからふっとぬけた状態。
歩いていてふと気持ち良い瞬間があるように、日常の至る所に悟りがある。
昔の生活はシンプルで、生きていければいい、ような時代が続いた。
「妙好人」のように、市井の隅にある人がただ念仏を重ねるうちに
その言葉やありようが人を助け、後世に残る例もある。
毎日、何も考えずに繰り返しできるような状態を作るとよい。
気功はその一助になる。
シンプルなことを、何も考えずにたんたんとやっていく。
自分のなくなった感じ、軽くなる感覚。
自分で設定している「私」がほどけたとき、ほんとうの自分が現れてくる。
心が休まって、小さいレベルの悟りに出会っていく。
例えば「ふりこ」、単純な動作の繰り返しで、意識がほどけていく。
順番や、様々なことを忘れて、何もない集中した時が生まれる。
坐禅をしていて、様々なことが浮かんで集中しにくいものだが
何をしているかわからないくらいの感覚で座っている時には、
警策は通り過ぎていく。
辛い思いが浮き出してくる時がある。
昔の傷や、苦しかった体験など、
心の奥深くで、見えなかったものが顕在化する時が、変わる時。
漠然とした嫌な感じや、辛さと同時に、体になんとなく嫌な感じが生じてくる。
その時に体の違和感をなくす。
迎え入れ、気持ちよくなるように。
辛さを他人のせいにすると、すりかえが起こる。
少し楽になったような気がして、スッキリ感があっても
自分の苦しみは保存されてしまう。
辛さが出てきては、消えることを習慣づけていると、
辛いことを体が最初からよけて、受けないようになってくる。
[実習・頭部活点のてあて〜おちつく気功]
左右の、「鬼の角の生える場所」、耳の前を上がった処と、黒目を上がった交点。
骨の隙間で、手の止まるところに指先をあてる。
押すのではなく、ゆっくりと。
[実習・わき腹をつまむ・内股をなでる]
秋の、からだのねじれをとるポイント。ゆっくり、ていねいに。
[実習・立って動く]
ねじりのふりこもていねいに。左右、ねじりやすいほうに少し大きくすると
調整される。
後頭部中央のてあてもよい。(純)